アリス・イン・東京ドーム

阿波野治

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しりとりと思い出話

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「古謝さん、アリス、暇なのでしりとりでもしませんか」

 何気なく提案してみたところ、

「いいわね、やりましょう」

 意外や意外、古謝さんはとても乗り気だ。

「別にいいけど」

 あまり乗り気ではなさそうだが、アリスも一応承諾の返事をした。

「じゃあ言い出しっぺの俺から始めて、アリス、古謝さん、そして俺に戻る、という順番でいきましょう。しりとりの『り』だから、えーっと利尻島」
「ウルトラ右翼」
「クッキー」
「あれ? これ『き』なの? それとも『い』?」
「どっちでもいいんじゃないかしら」
「それもそうですね、じゃあ、イーゼル」
「ルックイースト政策」
「難しい言葉を知っているのね」
「いや古謝さん。そこは『また「く」なの?』って言うところじゃないですか」
「まだ二回連続じゃない、うーんと、熊」
「祭り」
「リーガルリスク」
「孔雀」
「久米島」
「マーキュリー計画」
「また『く』かよ。お前最低だな。言葉も意味不明だし」
「ルールに則ってやっているだけよ。ちなみに、マーキュリー計画というのは、アメリカ初の有人宇宙飛行計画のことよ」
「知らねぇよ」
「まあまあ、楽しくやりましょう。鯨」
「ラー……油」
「あ、もしかして、ラーメンって言いそうになった?」
「ばれましたか。でも、言ってないからセーフですよ」
「ユーグ族」
「クーラー」
「『ら』でも『あ』でもいいんですよね。それじゃあ、淡路島」
「マキシマムトルク」
「くしゃみ」
「ミルフィーユ」
「ユーモアの鎖国」
「靴」
「続きますなぁ、しかし。終わらないぞこれ」
「レッドデータブック」
「いや、今のはしりとりじゃないんだけど」
「靴紐」
「モナカ」
「褐寛博」
「靴底」
「子宝」
「卵隔膜」
「クリアファイル」
「ルーツ」
「ツングース族」
「くしゃみ」
「みかん……せい」
「あ、ずるした」
「ぎりぎりセーフです」
「蜜柑って言いかけたでしょ」
「ぎりぎりセーフです」
「二回目はアウトじゃない?」
「ぎりぎりセーフです」

 やがて単純なルールの遊びの宿命、飽きてきたが、しりとりをした甲斐はあったと言うべきか、目の前にそびえる人の壁の密度は次第に薄れていった。やがて古謝さんがうっかり「栗きんとん」と答えてゲームが終わりを迎えたときには、グラウンドの様子がそれなりに見えるまでになっていた。
 ベンチ前でストレッチをしている選手。外野を走っている選手。ネクストバッターズサークルあたりを暇そうにうろうろしている、ラビッツのマスコットキャラクターのラーくんとビッツちゃん。全体的に長閑な雰囲気だ。

「ちょっとトイレに行ってくるね」

 スカートの裾を押さえながら席を立ち、古謝さんは行ってしまった。

「二回戦、やる?」

 隣に座る幼女に提案すると、

「遠慮しておくわ」

 と、冷ややかに一言。ノリが悪いやつだ。

 古謝さんの後ろ姿が見えなくなった途端、腹の虫が狂おしげに鳴いた。鳴いて当然だ。なにせ昼飯はたこ焼き数個。女性や子供や高齢者なら満足できたかもしれないが、こちとら十代の男だ。足りるはずがないではないか。

『じゃあ、二人分頼めよ』

 そう苦言を呈する者がいるかもしれない。おっしゃる通りである。二人分でも三人分でも、腹が満たされるまで食べればよかったのだが、俺はそうはしなかった。見栄を張ったのだ。食い意地が張っているやつだと古謝さんに思われたくなかったがために、愚かにも痩せ我慢をしてしまったのだ。
 ドーム内には飲食店が多数出店している。古謝さんが不在の隙に、なにか買って食べようか。いや、こそこそする必要はない。

『食い意地が張っていると思われたくなかったから一人分しか食べなかったけど、本当はもっと食べたかったんだよね』

 などと、あとになって馬鹿正直に告白するのは間抜けだが、

『球場にいるとなにか食べたくなりません? 食べたくならないのだとしても、試合が始まるまでやることもないし、なにか食べましょうよ』

 そう提案したとしても、なんとも思われないはずだ。よっしゃ、それで決定。古謝さんが戻り次第言うぞ。方針を固めた直後、

「いか焼き、いかがですかー」

 どこからか売り子の声。ビールではなく、いか焼き。確かにそう聞こえた。
 問題の売り子は、現在地から後方三十メートル、左に十五メートルほどの位置にいた。ビールの売り子が背負っている、ビールを蓄えておくタンクの代わりに、長大な平たい容器を胸に抱えていたので、問題の売り子だと一目で分かった。

「そうそう、思い出した。いか焼きといえばね」

 俺は唐突を承知で口火を切った。

「俺の生まれ故郷の近くに、たらいうどんが名物の町があるんだけど、知ってる? たらいうどん。でかい木のたらいに湯がいたうどんを入れて、それを外に持ち出して食べるんだ。青空の下、芝生の上に胡座をかいてね。いや、曇り空でも、座るのがブルーシートの上でも、座り方が正座でも、たらいうどんはたらいうどんなんだけども」

 俺を見るアリスの目つきはどことなく訝しげだ。が、構わずに語り続ける。

「美味かったなあ、たらいうどん。うどん自体はなんの変哲もない、ごく普通のうどんなんだけど、でかい器に入ってて、屋外で食べるっていうのがいいんだよね。子供のころはよく食べに行ったなあ、家族総出で。会場では椀子そば、じゃない、椀子うどんか、椀子うどんの早食い大会なんかもやってて、賑やかな雰囲気でね。参加しようかな、早食いすると太るからやめておこうかな、なんて話を行くたびにするくらい、俺の親父は体型も食も太かったんだけど、健啖家だから、うどん一玉二玉じゃ満足できないわけね。うどんばかりをどか食いするのも乙だけども、会場にはうどん以外の食べ物の屋台も出店しているから、うどん以外のものも食べたい。そんなとき、親父は決まっていか焼きを買ったんだけど、そのいか焼きが物凄く美味そうに見えたんだよね、子供の俺の目には。屋台のいか焼きの味なんて高が知れているんだろうけど、誇張でもなんでもなくてご馳走に見えた。にもかかわらず、たらいうどんを食べに行って、たらいうどん以外のものを食べたことが俺は一度もない。親がケチだから買ってくれなかったんじゃない。いか焼きは親父専用の食い物であって、子供が食べるべきものではない。どういうわけか、当時の俺はそう思い込んでいたんだよね。なにせ十年近くも前の話だから、なぜそう思い込むに至ったのか説明してくれと言われても、上手く説明できないんだけど」

 そこまで語ったところで、アリスの顔を見る。青い瞳は俺ではなく、グラウンドへと注がれている。

「うおおおい! 話! 人が話してるんだから、ちゃんと聞け!」
「他のお客さんの迷惑になるから、声はもう少し落とした方がいいと思うわ」

 アリスは顔を俺に向けて苦言を呈した。無表情だが、かなり面倒くさそうだ。

「話を逸らすな。なんで無視したんだよ」
「だって、動いているものを眺める方が楽しいから」
「いや、他人様の思い出話って結構面白いぜ? 秘められた過去が明らかになるって、わくわくしない? 違う?」
「一理あるとは思うけど、ショウスケは食べ物の話をしていただけでしょう」
「誰だよ、ショウスケって」
「それに、途中までは聞いていたから」
「あっ、そうなんだ。どこまで?」
「屋外で食べると美味しいって」
「序盤じゃねぇか」

 全く、『欧米的禅之公案』のときといい、女はどうして無関心なものには徹底的に無関心なのか。
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