アリス・イン・東京ドーム

阿波野治

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いか焼きが食べたい

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 俺が長々と昔語りをした一番の理由は、話をしている間に売り子がこちらに来てくれれば、という期待があったからだ。しかし売り子のお姉さんは、依然として同じ場所を行ったり来たりしている。昔語りは注文を済ませてから、いか焼きを食いながらするべきだったと遅まきながら気がついた。

「あの! すみません!」

 大声で呼んでみたが、お姉さんはこちらには見向きもせずに、いか焼きはいかがですか、いか焼きはいかがですか、と繰り返すばかり。双方を隔てる距離、周囲の騒々しさ、お姉さん自身も大声を発していることを考えれば、こうなってしまうのも仕方あるまい。
 用事があるのに無視される。仕方ないとはいえ、虚しいものだ。俺は虚しさよりもいか焼きを味わいたい。考えられる方法としては、

1、売り子のもとに自ら足を運んでいか焼きを買う。
2、アリスにいか焼きを買ってきてもらう。
3、もっと大きな声で売り子を呼び寄せる。
4、テレパシーを送って売り子を呼び寄せる。

 以上の四パターンが考えられるが、俺は超能力者ではないので、自動的に4は除外、1か2か3か、三択になるわけだが、腹が減っているので体は極力動かしたくないし、全身が弛緩しているアリスにおつかいを頼むのは心もとない。よって3を選択する。

 深く息を吸い込み、吐き出すとともに発した声は、突如として鳴り出したやかましい音に掻き消された。打楽器と金管楽器の音。ラビッツのだかパンサーズのだか知らないが、スタンドの一画に陣取った応援団が応援歌の練習を始めたのだ。
 あまりにもタイミングが悪い。それ以上にやかましい。ドームの中だからか、実に音が響く。

 俺は日曜日の午前、暇を持て余しに持て余した挙げ句、大して興味もないのにメジャーリーグ中継を観てしまうことがたまにある。フォークボールはスプリット、直球はファストボールと呼ぶとか、選手たちはベンチの中でも平気で唾を吐くとか、日米の違いは色々とあるが、鳴り物による応援がないというのもその一つだ。日本流の応援スタイルに染まり切った身としては、静かすぎて落ち着かないが、ある程度慣れると、日本の応援が騒々しいだけに思えてくる。私見を述べさせてもらうならば、近年盛んに指摘されている野球人気の低下、その要因の一つは応援のうるささにあるといっても――。

 不意に音が鳴りやんだ。練習にけりがついたらしい。
 再び息を吸い込み、吐き出すとともに発した大声は、またしても鳴り物の大音量に呑み込まれた。練習のやり直し? 違う。もう一方の応援団が練習を始めたのだ。

「ええい、煩わしいな」

 さっさとこっちへ来い! 俺は一刻も早くいか焼きが食べたいんだ!
 必死の思いで念を送ると、信じられないことに、売り子が方向転換し、こちらに向かってきた。
 双方の距離は見る見る縮まり、売り子はどうやら俺のおかんと同年代らしい、ということが明らかになった。なんとなくがっかりしてしまったが、空腹の人間は、食い物の売り手の年齢やほうれい線のくっきり具合には頓着しない。目の前で足を止めたおばちゃんに俺は告げる。

「あっ、すんません。いか焼きを三つ」

 なぜ三つにしたのか? 俺と古謝さんとアリスの三人で食べるからだが、アリスはどうせ「無理にいらない」と言うだろうから、その分は俺がちょうだいする。二つも食べれば、確実に空腹は満たされる。そのような計算があったのだ。
 手渡された三本の串の一本を左手で持ち、残る二本をアリスの両手に一本ずつ持たせておいて、唯一フリーな右手でポケットから財布を取り出す。一緒にチラシも出てきた。『このチラシを持参した方は洩れなくなんでも無料にできます』と綴られたチラシが。

「すみません。このチラシ」

 チラシの表面を見せつけながら、おばちゃんに疑問をぶつける。

「『洩れなくなんでも無料にできます』とありますけど、いか焼きの代金をタダにすることはできますか?」
「はい、できますよー」

 即答だった。

「ただ、いか焼きは値段が安いので、別のものに使った方がいいと思いますよ。なにせタダにできるのはお一人様一回限りなので」
「あっ、なるほど。ちなみにいか焼き、一本いくらですか?」
「三百円です」
「さんっ……」

 三本で九百円。……高い。相田みつを展示館(?)の入館料よりも上ではないか。高すぎる……。
 使おうかとも一瞬思ったが、チラシを引っ込め、財布から野口英世を抜き出して手渡すと、

「三本買ってくれたので、おまけをしておきますね」

 と、百二十三円という中途半端な額を釣りとして渡してきやがった。しかも、二十三円は十円玉二枚に一円玉三枚ではなく、二十三枚の一円玉だったので、財布の小銭を入れるところは瞬く間にぱんぱんになった。なんて嫌がらせだ。

「いか焼きいかがですかー。いか焼きいかがですかー」

 売り子のおばちゃんは去っていった……。

「いか焼き、アリスも食べろよ」

 一応、のつもりで声をかけたのだが、意外にも、アリスは既にいか焼きを食べていた。腹が減っていたのか、いか焼きに目がないのか。それは定かではないが、どちらでもいい。味は、まあ普通だったが、空腹の身には充分に美味い。昼飯のたこ焼きと味がもろ被りだとか、そんなことは全く気にならない。アリスがまだ半分も食べないうちに、俺はいか焼きを平らげた。

「勝手に食べていいの?」

 アリスがキープしていた、古謝さんが食べるはずだった一本を受け取ってかじった瞬間、疑問を呈された。

「いいんだよ。最初から二つ食べるつもりで買ったんだから」

 嘘だ。一個食べてもまだ空腹だったので、ちょうだいする予定だったアリスの分の代わりに、古謝さんの分を食べることにしたのだ。我ながら、なんとまあ、食い意地が張っていることか。
 軽い自己嫌悪に襲われたが、食べ終わり、空腹が解消されたころには、その感情は跡形もなく消えている。古謝さんが戻ってきて、不在の間に俺とアリスが食事をしていたことに気づいたとしても、

『ビールを売るノリでいか焼きを売っていて、アリスが欲しそうな顔をしたんで、一本ずつ買って食べたんですよ。味ですか? 美味しかったですよ。古謝さんも食べます? 俺、奢りますよ』

 そう何食わぬ顔で答えればいい、と開き直ることができた。食い意地が張っている人間というのは、性格が単純なのだ。
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