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支部長でした
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移動時間は五分以上十分未満といったところか。東京ドーム内のどこか。奥の壁際に安物くさい事務机が据えられ、机上に小型のテレビ、部屋の中央にパイプ椅子が置かれているだけの、十畳ほどの洋室。そこに俺は連れてこられた。
警備員は俺をパイプ椅子に座らせると、事務机の抽斗からロープを取り出し、それ用いて俺の体を椅子に固定した。緊縛という表現がぴったりの厳重な縛り方だ。力では敵わず、救援も期待できないのだと思うと、抵抗は形式的のものにしかならなかった。
拘束が完了すると、警備員はさっさと部屋を出て行った。一言もないまま行ってしまった。
遠ざかる足音が完全に聞こえなくなったのを受けて、黙考を開始する。言うまでもなく、この状況から脱する妙案を捻り出すために。
だが、悲しいかな。考えても、考えても、何一つ浮かんでこない。
廊下から靴音が聞こえてきたのは、一人にされてどれくらい経ったときだろう。
息を殺して耳を澄ませた。音は次第に大きくなり、部屋の前で止まる。ノブが回ってドアが開く。
いや、驚いたのなんのって。
入室したのは古謝さんだった。
その後ろに従っているのは、三人の警備員。いずれも男性で、俺をこの部屋まで連れてきた男と同じ制服を着ている。三人の外貌が揃いも揃って無個性なため、三人の中に先刻の男が含まれているか否かは不明だ。
警備員の制服も、古謝さんの服装も、白一色。
その事実に気がついた瞬間、鳥肌が立った。
警備員三名は出入口を塞ぐようにドアの前で待機し、古謝さんは俺の目の前まで歩を進めた。膝に両手をついて前屈みになり、目の高さを同じにする。悲しそうな、申し訳なさそうな顔。声を発することなく俺の顔をじっと見つめる。
俺はなんと言えばいいか分からない。なにか言うべきなのか否かの判断もつかない。
不意に古謝さんの表情に変化が生じた。微笑んだのだ。強いて笑顔を作ったような、そんな印象もなくはなかったが、それが引き金となり、
「どこに行っていたんですか、古謝さん」
俺は古謝さんに話しかけることに成功していた。ひとたび成功すると、言葉は次から次へと、驚くほどスムースに唇の外へと流れ出した。
「ついでになにか他のことをしていたにしても、あまりにも遅すぎますよ。心配したんですよ。何事もなかったみたいなので、よかったですけど。安心したついでに訊きますけど、どうなっているんですか。俺が置かれている状況、これはどういうことなんですか。古謝さんが戻ってこなかったことと関係があるんですか。古謝さんはなにか知っているんですか」
「……ごめんなさいね」
古謝さんは顔から笑みを消してそう呟き、背筋を真っ直ぐにした。胸ポケットに手を入れ、取り出したものを眼前に突きつける。名刺だ。
『日本の野球場から田舎者を排除する会
東京ドーム支部長 古謝夏葉』
名刺が仕舞われる。俺は唖然と古謝さんを見つめる。
「私、『日本の野球場から田舎者を排除する会』という会の、東京ドーム支部長を務めているの」
長い説明が始まるんだな、と思わせる喋り出しだった。説明慣れしていると聞いた瞬間に分かる喋り出しでもあった。
「『日本の野球場から田舎者を排除する会』の主な活動は、球場内に田舎者がいるのを見つけ次第排除することよ。それから、広報活動。田舎者が球場にいると、球場内の時間の流れが遅くなり、試合時間が長引いてしまいます。他の観客の迷惑になるので、野球は球場ではなく自宅で観戦するようにしましょう。そう広く呼びかけているのだけど――」
「時間の流れが遅くなる……?」
「やっぱり知らなかったのね。じゃあ、この機会に知っておいて。田舎者は誰しも、生まれながらに、自らがいる空間を流れる時間を遅くさせる能力を持っているの。徳島で生まれ育ったあなたも例外ではないわ。そしてその能力は、本人の意思でコントロールできるものではない。田舎者は、ただ存在するだけで時間の流れを遅くさせてしまうの」
「いやいやいや」
俺は猛烈な勢いで頭を振った。手首が固定されていなかったら手も一緒に振っていたに違いない。
「時間の流れを遅くさせる能力? そんなもの、持っているわけないじゃないですか。時間の流れが遅くなる現象が俺の周りで起きたことなんて、今までに一度もないですし。俺はそんな非現実的な能力なんて持っていない。神に誓ってもいいです」
「ところが、持っているのよ。自覚していないだけで、ちゃんと持っているの」
「証拠はあるんですか?」
「今日あなたが観戦していた一戦、試合展開が遅くはなかったかしら」
「遅かったと言われれば遅かったですけど、あの程度の遅さなんて珍しくもなんともないですよ。超自然的な力が働いた結果だとは思えませんね。到底思えません」
「信じようとしない人にはなにを言っても無駄、というわけね。でも、信じようが信じまいが関係ないわ。あなたは時間の流れを遅くさせる能力を持っている。それは動かしようのない事実よ」
古謝さんは思い込みに囚われているのではないか、という気がした。この人には話が通じない。そう思った。
「『日本の野球場から田舎者を排除する会』は、野球人気の低下に歯止めをかけ、もっと多くの人に野球を好きになってもらうべく結成された会です。私たちは、野球人気低下の最大の原因は試合時間の長さにあると考えました。では、その問題を解決するために、私たちがするべきことはなにか? 私たちにできることはなにか? 議論に議論を重ねた末、田舎者を球場から排除するべきだ、という結論に私たちは達したの。時間の流れを遅くさせてしまう田舎者を球場から排除することで、試合時間が妄りに長くならないようにする。それが私たちの務めだと」
「……好きだったんですね、野球」
言下に頷いた古謝さんの笑い顔からは眩しささえ感じられて、的確な表現ではないかもしれないが、邪念に染まり切っていない、という印象を受けた。
警備員は俺をパイプ椅子に座らせると、事務机の抽斗からロープを取り出し、それ用いて俺の体を椅子に固定した。緊縛という表現がぴったりの厳重な縛り方だ。力では敵わず、救援も期待できないのだと思うと、抵抗は形式的のものにしかならなかった。
拘束が完了すると、警備員はさっさと部屋を出て行った。一言もないまま行ってしまった。
遠ざかる足音が完全に聞こえなくなったのを受けて、黙考を開始する。言うまでもなく、この状況から脱する妙案を捻り出すために。
だが、悲しいかな。考えても、考えても、何一つ浮かんでこない。
廊下から靴音が聞こえてきたのは、一人にされてどれくらい経ったときだろう。
息を殺して耳を澄ませた。音は次第に大きくなり、部屋の前で止まる。ノブが回ってドアが開く。
いや、驚いたのなんのって。
入室したのは古謝さんだった。
その後ろに従っているのは、三人の警備員。いずれも男性で、俺をこの部屋まで連れてきた男と同じ制服を着ている。三人の外貌が揃いも揃って無個性なため、三人の中に先刻の男が含まれているか否かは不明だ。
警備員の制服も、古謝さんの服装も、白一色。
その事実に気がついた瞬間、鳥肌が立った。
警備員三名は出入口を塞ぐようにドアの前で待機し、古謝さんは俺の目の前まで歩を進めた。膝に両手をついて前屈みになり、目の高さを同じにする。悲しそうな、申し訳なさそうな顔。声を発することなく俺の顔をじっと見つめる。
俺はなんと言えばいいか分からない。なにか言うべきなのか否かの判断もつかない。
不意に古謝さんの表情に変化が生じた。微笑んだのだ。強いて笑顔を作ったような、そんな印象もなくはなかったが、それが引き金となり、
「どこに行っていたんですか、古謝さん」
俺は古謝さんに話しかけることに成功していた。ひとたび成功すると、言葉は次から次へと、驚くほどスムースに唇の外へと流れ出した。
「ついでになにか他のことをしていたにしても、あまりにも遅すぎますよ。心配したんですよ。何事もなかったみたいなので、よかったですけど。安心したついでに訊きますけど、どうなっているんですか。俺が置かれている状況、これはどういうことなんですか。古謝さんが戻ってこなかったことと関係があるんですか。古謝さんはなにか知っているんですか」
「……ごめんなさいね」
古謝さんは顔から笑みを消してそう呟き、背筋を真っ直ぐにした。胸ポケットに手を入れ、取り出したものを眼前に突きつける。名刺だ。
『日本の野球場から田舎者を排除する会
東京ドーム支部長 古謝夏葉』
名刺が仕舞われる。俺は唖然と古謝さんを見つめる。
「私、『日本の野球場から田舎者を排除する会』という会の、東京ドーム支部長を務めているの」
長い説明が始まるんだな、と思わせる喋り出しだった。説明慣れしていると聞いた瞬間に分かる喋り出しでもあった。
「『日本の野球場から田舎者を排除する会』の主な活動は、球場内に田舎者がいるのを見つけ次第排除することよ。それから、広報活動。田舎者が球場にいると、球場内の時間の流れが遅くなり、試合時間が長引いてしまいます。他の観客の迷惑になるので、野球は球場ではなく自宅で観戦するようにしましょう。そう広く呼びかけているのだけど――」
「時間の流れが遅くなる……?」
「やっぱり知らなかったのね。じゃあ、この機会に知っておいて。田舎者は誰しも、生まれながらに、自らがいる空間を流れる時間を遅くさせる能力を持っているの。徳島で生まれ育ったあなたも例外ではないわ。そしてその能力は、本人の意思でコントロールできるものではない。田舎者は、ただ存在するだけで時間の流れを遅くさせてしまうの」
「いやいやいや」
俺は猛烈な勢いで頭を振った。手首が固定されていなかったら手も一緒に振っていたに違いない。
「時間の流れを遅くさせる能力? そんなもの、持っているわけないじゃないですか。時間の流れが遅くなる現象が俺の周りで起きたことなんて、今までに一度もないですし。俺はそんな非現実的な能力なんて持っていない。神に誓ってもいいです」
「ところが、持っているのよ。自覚していないだけで、ちゃんと持っているの」
「証拠はあるんですか?」
「今日あなたが観戦していた一戦、試合展開が遅くはなかったかしら」
「遅かったと言われれば遅かったですけど、あの程度の遅さなんて珍しくもなんともないですよ。超自然的な力が働いた結果だとは思えませんね。到底思えません」
「信じようとしない人にはなにを言っても無駄、というわけね。でも、信じようが信じまいが関係ないわ。あなたは時間の流れを遅くさせる能力を持っている。それは動かしようのない事実よ」
古謝さんは思い込みに囚われているのではないか、という気がした。この人には話が通じない。そう思った。
「『日本の野球場から田舎者を排除する会』は、野球人気の低下に歯止めをかけ、もっと多くの人に野球を好きになってもらうべく結成された会です。私たちは、野球人気低下の最大の原因は試合時間の長さにあると考えました。では、その問題を解決するために、私たちがするべきことはなにか? 私たちにできることはなにか? 議論に議論を重ねた末、田舎者を球場から排除するべきだ、という結論に私たちは達したの。時間の流れを遅くさせてしまう田舎者を球場から排除することで、試合時間が妄りに長くならないようにする。それが私たちの務めだと」
「……好きだったんですね、野球」
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