アリス・イン・東京ドーム

阿波野治

文字の大きさ
27 / 28

グッバイ東京

しおりを挟む
「お前さあ、テレパシーが使えるなら早く言えよな」

 東京ドームから遠ざかりながら、俺は小脇に抱えたアリスをなじる。

「ていうか、そんな便利な能力があるんだったら、もっと使おうぜ。例えば、金沢駅のコインロッカーに置き去りにされたときとか。……あ、もしかして、使った結果東京まで来られた?」
「使っていないわ。テレパシーは気軽に使えるものじゃないから」

 俺に小脇に抱えられて東京ドームから遠ざかりながら、アリスは答える。

「受信者との相性が悪いと送信エラーが起きるし、それに、一回使っただけでも結構疲れるし」
「へえ、相性。俺とアリスはばっちりだったわけか」
「そういうこと」

 難事を切り抜けた直後特有の熱に浮かされて、俺たちは饒舌だった。口数が多くはないアリスでさえそうなっていた。表情は無表情なりに晴れやかで、かわいげがあって、広義のアリスらしく、狭義のアリスらしくない。

 勝負を制した俺は、磔から解放されたアリスとセンターの定位置付近で合流を果たし、熱い抱擁を交わした。それが済むと、アリスを小脇に抱えてそそくさとグラウンドを去り、そのまま東京ドームをあとにした。後ろ髪は引かれなかった。俺たちの出る幕は終わった。そんな心境だった。

「これからどうする? しばらく東京に留まるか、それとも――」

 言うつもりだった台詞をみなまで言えなかったのは、駆け寄ってくる靴音を聞き取ったからだ。立ち止まり、振り返る。
 キャッチボールをするとすればちょうどいい距離を空けて、古謝さんは足を止めた。表情が硬い。言いたいことがあるのだが、言いにくい、言い出せない、そんな様子を見せている。こちらから口火を切るべきなのだろうが、さて、どう切り出すべきか。黙ったままでいると、

「ごめんなさい」

 古謝さんは深々と頭を下げた。一秒、二秒、三秒、顔が持ち上がる。俯いていた三秒間にどのような想念が胸に去来したのか、古謝さんの瞳は潤んでいた。こちらがなにか悪いことをしたかのような錯覚を覚え、どぎまぎしてしまったが、目は逸らさない。絶対に逸らさない。

「あなたとアリスちゃんには、数え切れないくらい酷いことをしてしまって、心から申し訳なく思っているわ。謝って済むことではないかもしれないけど……」
「いや、まあ、いいんじゃないですか。俺もアリスもなんともなかったんだし。……な?」

 アリスはこっくりと頷いた。

「……だそうですよ?」

 古謝さんに微笑みかけると、表情が大きく緩んだので、俺は安堵の息を吐いた。

「じゃあ、最後に一つだけ、いいですか?」

 古謝さんは頷く。俺は頷き返し、話し始める。

「古謝さんの、試合時間の長さが野球人気低下の原因だという主張、分からなくもないです。分からなくもないんですけど、でも、長いのもそう悪いことじゃないと思うんです。試合が長く続く。それって、つまり」

 あえて言葉を切り、そして、

「観戦をともにする人がいた場合、その人と長く一緒にいられる、ということでしょう。それが自分が好きな人だったなら、最高じゃないですか。……実はですね、古謝さん、野球に興味がないのにあなたを野球観戦に誘ったのは、そんな下心があったからなんです」

 ぽかんとしている古謝さんに向かって深々と一礼、背を向けて走り出した。呼び止める声が聞こえたが、立ち止まらないし、振り返らない。

「おい、アリス!」

 走る。しゃかりきに走る。

「今後の予定だけどな、俺が勝手に決めたぞ」

 息が苦しくなる。それでも走り続ける。

「家に帰るぞ。誰がなんと言おうと、今日中に家に帰る!」

 さようなら、古謝さん。
 さようなら、東京。



 徳島の自宅までは、行きと同じく新幹線で帰ることにした。単純に移動距離だけを見れば、東海道新幹線を利用する方が早そうだが、JR金沢駅は金沢家の二階に繋がっていると俺は本気で信じていた。だから北陸新幹線に乗り込んだ。
 今度はちゃんとアリスも連れて。

「ていうか、お前ん家どこにあるの?」

 俺は隣席の五歳児に話しかける。俺が通路側で、アリスが窓側だ。

「JR金沢駅で降りるつもり? それとも俺の家まで来るの?」
「そのときの気分で決めるから、お気遣いなく」
「そんな適当でいいんだ?」
「ええ」

 アリスはとても眠たそうだ。今日は大変な目に遭ったのだから、五歳という年齢を考えれば無理もないだろう。ただ、アリスはただの五歳児ではないので、意外だな、という思いはある。
 テレパシーが使えて、大人に変身できて、食事をする必要がない体でも、眠たくなるんだ?
 そう言葉をかけたかったが、こちらも眠たくなってきた。
 うつらうつらしていると、急に鮮明に聞こえてきた車内アナウンスに、眠気が吹き飛んだ。
 ――信州の庵の前。

「アリス! アリス!」

 隣席の幼女に話しかけると、閉じていた瞼が億劫そうに開いた。

「さっきのアナウンス、聞いたか? 俺とお前が出会ったとき、テレビでやってただろ。ほら、おっぱい丸出しの尼さんが物凄くゆっくり読経しているだけの番組。その尼さんがいた庵の近くにある駅に、今乗っている新幹線が停まるらしいんだ。窓の外をよく見ていようぜ」

 新幹線は速度を落として「信州の庵の前」駅に滑り込む。鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた、こぢんまりとした田舎の駅。新幹線の停車駅だという事実が嘘に思えるその駅のホームは、無人。
 ――ではなかった。一人、ぽつんと佇んでいる人物がいる。
 思わず息を呑んだ。
 尼さんだ。テレビで観たのと同じ、若い尼さん。紫色の法衣を身にまとい、おっぱいはその内側に隠れている。
 目が合うと、尼さんは僧職に殉じる者というよりは、仏そのものの柔和な微笑を湛え、俺に向かって手を振った。読経を唱える速度を彷彿とさせる、今にも止まりそうなくらいゆっくりとした動作だった。

「おい、アリス。あそこに立っている人――」

 隣を向くと、アリスの姿が消えている。

「アリス……?」

 席から立ち上がり、周囲を見回したが、どこにもいない。
 狐につままれた気持ちで着席し、再び窓外を窺うと、ホームに尼さんの姿はなかった。
 新幹線がゆっくりと動き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...