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グッバイ東京
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「お前さあ、テレパシーが使えるなら早く言えよな」
東京ドームから遠ざかりながら、俺は小脇に抱えたアリスをなじる。
「ていうか、そんな便利な能力があるんだったら、もっと使おうぜ。例えば、金沢駅のコインロッカーに置き去りにされたときとか。……あ、もしかして、使った結果東京まで来られた?」
「使っていないわ。テレパシーは気軽に使えるものじゃないから」
俺に小脇に抱えられて東京ドームから遠ざかりながら、アリスは答える。
「受信者との相性が悪いと送信エラーが起きるし、それに、一回使っただけでも結構疲れるし」
「へえ、相性。俺とアリスはばっちりだったわけか」
「そういうこと」
難事を切り抜けた直後特有の熱に浮かされて、俺たちは饒舌だった。口数が多くはないアリスでさえそうなっていた。表情は無表情なりに晴れやかで、かわいげがあって、広義のアリスらしく、狭義のアリスらしくない。
勝負を制した俺は、磔から解放されたアリスとセンターの定位置付近で合流を果たし、熱い抱擁を交わした。それが済むと、アリスを小脇に抱えてそそくさとグラウンドを去り、そのまま東京ドームをあとにした。後ろ髪は引かれなかった。俺たちの出る幕は終わった。そんな心境だった。
「これからどうする? しばらく東京に留まるか、それとも――」
言うつもりだった台詞をみなまで言えなかったのは、駆け寄ってくる靴音を聞き取ったからだ。立ち止まり、振り返る。
キャッチボールをするとすればちょうどいい距離を空けて、古謝さんは足を止めた。表情が硬い。言いたいことがあるのだが、言いにくい、言い出せない、そんな様子を見せている。こちらから口火を切るべきなのだろうが、さて、どう切り出すべきか。黙ったままでいると、
「ごめんなさい」
古謝さんは深々と頭を下げた。一秒、二秒、三秒、顔が持ち上がる。俯いていた三秒間にどのような想念が胸に去来したのか、古謝さんの瞳は潤んでいた。こちらがなにか悪いことをしたかのような錯覚を覚え、どぎまぎしてしまったが、目は逸らさない。絶対に逸らさない。
「あなたとアリスちゃんには、数え切れないくらい酷いことをしてしまって、心から申し訳なく思っているわ。謝って済むことではないかもしれないけど……」
「いや、まあ、いいんじゃないですか。俺もアリスもなんともなかったんだし。……な?」
アリスはこっくりと頷いた。
「……だそうですよ?」
古謝さんに微笑みかけると、表情が大きく緩んだので、俺は安堵の息を吐いた。
「じゃあ、最後に一つだけ、いいですか?」
古謝さんは頷く。俺は頷き返し、話し始める。
「古謝さんの、試合時間の長さが野球人気低下の原因だという主張、分からなくもないです。分からなくもないんですけど、でも、長いのもそう悪いことじゃないと思うんです。試合が長く続く。それって、つまり」
あえて言葉を切り、そして、
「観戦をともにする人がいた場合、その人と長く一緒にいられる、ということでしょう。それが自分が好きな人だったなら、最高じゃないですか。……実はですね、古謝さん、野球に興味がないのにあなたを野球観戦に誘ったのは、そんな下心があったからなんです」
ぽかんとしている古謝さんに向かって深々と一礼、背を向けて走り出した。呼び止める声が聞こえたが、立ち止まらないし、振り返らない。
「おい、アリス!」
走る。しゃかりきに走る。
「今後の予定だけどな、俺が勝手に決めたぞ」
息が苦しくなる。それでも走り続ける。
「家に帰るぞ。誰がなんと言おうと、今日中に家に帰る!」
さようなら、古謝さん。
さようなら、東京。
☆
徳島の自宅までは、行きと同じく新幹線で帰ることにした。単純に移動距離だけを見れば、東海道新幹線を利用する方が早そうだが、JR金沢駅は金沢家の二階に繋がっていると俺は本気で信じていた。だから北陸新幹線に乗り込んだ。
今度はちゃんとアリスも連れて。
「ていうか、お前ん家どこにあるの?」
俺は隣席の五歳児に話しかける。俺が通路側で、アリスが窓側だ。
「JR金沢駅で降りるつもり? それとも俺の家まで来るの?」
「そのときの気分で決めるから、お気遣いなく」
「そんな適当でいいんだ?」
「ええ」
アリスはとても眠たそうだ。今日は大変な目に遭ったのだから、五歳という年齢を考えれば無理もないだろう。ただ、アリスはただの五歳児ではないので、意外だな、という思いはある。
テレパシーが使えて、大人に変身できて、食事をする必要がない体でも、眠たくなるんだ?
そう言葉をかけたかったが、こちらも眠たくなってきた。
うつらうつらしていると、急に鮮明に聞こえてきた車内アナウンスに、眠気が吹き飛んだ。
――信州の庵の前。
「アリス! アリス!」
隣席の幼女に話しかけると、閉じていた瞼が億劫そうに開いた。
「さっきのアナウンス、聞いたか? 俺とお前が出会ったとき、テレビでやってただろ。ほら、おっぱい丸出しの尼さんが物凄くゆっくり読経しているだけの番組。その尼さんがいた庵の近くにある駅に、今乗っている新幹線が停まるらしいんだ。窓の外をよく見ていようぜ」
新幹線は速度を落として「信州の庵の前」駅に滑り込む。鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた、こぢんまりとした田舎の駅。新幹線の停車駅だという事実が嘘に思えるその駅のホームは、無人。
――ではなかった。一人、ぽつんと佇んでいる人物がいる。
思わず息を呑んだ。
尼さんだ。テレビで観たのと同じ、若い尼さん。紫色の法衣を身にまとい、おっぱいはその内側に隠れている。
目が合うと、尼さんは僧職に殉じる者というよりは、仏そのものの柔和な微笑を湛え、俺に向かって手を振った。読経を唱える速度を彷彿とさせる、今にも止まりそうなくらいゆっくりとした動作だった。
「おい、アリス。あそこに立っている人――」
隣を向くと、アリスの姿が消えている。
「アリス……?」
席から立ち上がり、周囲を見回したが、どこにもいない。
狐につままれた気持ちで着席し、再び窓外を窺うと、ホームに尼さんの姿はなかった。
新幹線がゆっくりと動き出した。
東京ドームから遠ざかりながら、俺は小脇に抱えたアリスをなじる。
「ていうか、そんな便利な能力があるんだったら、もっと使おうぜ。例えば、金沢駅のコインロッカーに置き去りにされたときとか。……あ、もしかして、使った結果東京まで来られた?」
「使っていないわ。テレパシーは気軽に使えるものじゃないから」
俺に小脇に抱えられて東京ドームから遠ざかりながら、アリスは答える。
「受信者との相性が悪いと送信エラーが起きるし、それに、一回使っただけでも結構疲れるし」
「へえ、相性。俺とアリスはばっちりだったわけか」
「そういうこと」
難事を切り抜けた直後特有の熱に浮かされて、俺たちは饒舌だった。口数が多くはないアリスでさえそうなっていた。表情は無表情なりに晴れやかで、かわいげがあって、広義のアリスらしく、狭義のアリスらしくない。
勝負を制した俺は、磔から解放されたアリスとセンターの定位置付近で合流を果たし、熱い抱擁を交わした。それが済むと、アリスを小脇に抱えてそそくさとグラウンドを去り、そのまま東京ドームをあとにした。後ろ髪は引かれなかった。俺たちの出る幕は終わった。そんな心境だった。
「これからどうする? しばらく東京に留まるか、それとも――」
言うつもりだった台詞をみなまで言えなかったのは、駆け寄ってくる靴音を聞き取ったからだ。立ち止まり、振り返る。
キャッチボールをするとすればちょうどいい距離を空けて、古謝さんは足を止めた。表情が硬い。言いたいことがあるのだが、言いにくい、言い出せない、そんな様子を見せている。こちらから口火を切るべきなのだろうが、さて、どう切り出すべきか。黙ったままでいると、
「ごめんなさい」
古謝さんは深々と頭を下げた。一秒、二秒、三秒、顔が持ち上がる。俯いていた三秒間にどのような想念が胸に去来したのか、古謝さんの瞳は潤んでいた。こちらがなにか悪いことをしたかのような錯覚を覚え、どぎまぎしてしまったが、目は逸らさない。絶対に逸らさない。
「あなたとアリスちゃんには、数え切れないくらい酷いことをしてしまって、心から申し訳なく思っているわ。謝って済むことではないかもしれないけど……」
「いや、まあ、いいんじゃないですか。俺もアリスもなんともなかったんだし。……な?」
アリスはこっくりと頷いた。
「……だそうですよ?」
古謝さんに微笑みかけると、表情が大きく緩んだので、俺は安堵の息を吐いた。
「じゃあ、最後に一つだけ、いいですか?」
古謝さんは頷く。俺は頷き返し、話し始める。
「古謝さんの、試合時間の長さが野球人気低下の原因だという主張、分からなくもないです。分からなくもないんですけど、でも、長いのもそう悪いことじゃないと思うんです。試合が長く続く。それって、つまり」
あえて言葉を切り、そして、
「観戦をともにする人がいた場合、その人と長く一緒にいられる、ということでしょう。それが自分が好きな人だったなら、最高じゃないですか。……実はですね、古謝さん、野球に興味がないのにあなたを野球観戦に誘ったのは、そんな下心があったからなんです」
ぽかんとしている古謝さんに向かって深々と一礼、背を向けて走り出した。呼び止める声が聞こえたが、立ち止まらないし、振り返らない。
「おい、アリス!」
走る。しゃかりきに走る。
「今後の予定だけどな、俺が勝手に決めたぞ」
息が苦しくなる。それでも走り続ける。
「家に帰るぞ。誰がなんと言おうと、今日中に家に帰る!」
さようなら、古謝さん。
さようなら、東京。
☆
徳島の自宅までは、行きと同じく新幹線で帰ることにした。単純に移動距離だけを見れば、東海道新幹線を利用する方が早そうだが、JR金沢駅は金沢家の二階に繋がっていると俺は本気で信じていた。だから北陸新幹線に乗り込んだ。
今度はちゃんとアリスも連れて。
「ていうか、お前ん家どこにあるの?」
俺は隣席の五歳児に話しかける。俺が通路側で、アリスが窓側だ。
「JR金沢駅で降りるつもり? それとも俺の家まで来るの?」
「そのときの気分で決めるから、お気遣いなく」
「そんな適当でいいんだ?」
「ええ」
アリスはとても眠たそうだ。今日は大変な目に遭ったのだから、五歳という年齢を考えれば無理もないだろう。ただ、アリスはただの五歳児ではないので、意外だな、という思いはある。
テレパシーが使えて、大人に変身できて、食事をする必要がない体でも、眠たくなるんだ?
そう言葉をかけたかったが、こちらも眠たくなってきた。
うつらうつらしていると、急に鮮明に聞こえてきた車内アナウンスに、眠気が吹き飛んだ。
――信州の庵の前。
「アリス! アリス!」
隣席の幼女に話しかけると、閉じていた瞼が億劫そうに開いた。
「さっきのアナウンス、聞いたか? 俺とお前が出会ったとき、テレビでやってただろ。ほら、おっぱい丸出しの尼さんが物凄くゆっくり読経しているだけの番組。その尼さんがいた庵の近くにある駅に、今乗っている新幹線が停まるらしいんだ。窓の外をよく見ていようぜ」
新幹線は速度を落として「信州の庵の前」駅に滑り込む。鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた、こぢんまりとした田舎の駅。新幹線の停車駅だという事実が嘘に思えるその駅のホームは、無人。
――ではなかった。一人、ぽつんと佇んでいる人物がいる。
思わず息を呑んだ。
尼さんだ。テレビで観たのと同じ、若い尼さん。紫色の法衣を身にまとい、おっぱいはその内側に隠れている。
目が合うと、尼さんは僧職に殉じる者というよりは、仏そのものの柔和な微笑を湛え、俺に向かって手を振った。読経を唱える速度を彷彿とさせる、今にも止まりそうなくらいゆっくりとした動作だった。
「おい、アリス。あそこに立っている人――」
隣を向くと、アリスの姿が消えている。
「アリス……?」
席から立ち上がり、周囲を見回したが、どこにもいない。
狐につままれた気持ちで着席し、再び窓外を窺うと、ホームに尼さんの姿はなかった。
新幹線がゆっくりと動き出した。
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