塵埃抄

阿波野治

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 急用が入ったので打ち合わせには一時間遅れる、と牛谷さんから電話があった。
 待ち時間を利用して昼食を済ませておこうと、チェーンの牛丼店に入る。牛丼の並盛りを注文すると、牛のように体の大きな店員は眉を八の字にし、牛肉を切らしているので牛丼は作れない、と答えた。唖然とする私を残し、店員は店の奥に引っ込んだ。すぐに戻ってきたかと思うと、その手には牛刀が握られている。それを私に手渡し、悪いが牛肉をとってきてくれ、牛は牧場にいる、牧場にはバスで行けばすぐに着く、と述べた。
 バスの走行速度は牛の歩みのように遅く、目的地に着くのに十五分もかかった。牧場はだだっ広く平坦な牧草地で、柵の内側のあちこちに、鼻輪をつけた黒白柄の牛がぼんやりと立っている。牛はみな、牧草を食んだり、口をもぐもぐさせたりしていて、その場から殆ど動かない。
 一番近くにいる一頭に歩み寄る。牛は逃げる素振りを見せない。呑気に口をもぐもぐさせている。殺すのは可哀相だと思ったが、早く食事を済ませないと、牛谷さんとの打ち合わせに遅れてしまう。
「牛の眉間を目がけて牛刀の鋒を打ち込む……。眉間は急所なので、牛は一撃で絶命する……。牛を殺したら、牛の太股から、牛丼の並盛りに使う量だけ肉を切り取る……」
 牛のように体の大きな店員に教えられた手順を反芻しつつ、牛刀を高々と振り上げ、鋒を牛の急所に打ち下ろした。牛は、もー、と呻き声を上げ、牧草の上に崩れ落ちた。胸部に掌を宛がうと、鼓動は止まっていた。
「馬鹿野郎!」
 後方から叫び声が聞こえたのは、太股から肉を切り取ろうと腰を屈めた直後のことだった。
「よく見ろ! それは乳牛だ!」
 振り返ると、柵に繋がれた全裸の牛谷さんが、牛のように体の大きな店員に搾乳されていた。
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