鏖の季節

阿波野治

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 真理愛の父親の靖彦が以前勤めていた工場で、従業員の一人が右手を切断する事故が起き、責任を追及された彼は退職を余儀なくされた。実兄が経営する自動車部品工場に再就職したのに伴い、湯田家の三人は街を出ていくことになった。
 右手を切断。
 その事実を伝えられた真理愛は、幼少時に母親の麻子から口酸っぱく聞かされた話を思い出した。

『昔、お父さんが働きはじめて間もないころに、工場に忍び込んだ子どもが機械に巻き込まれて、体が真っ二つになる事故があったの。真理愛もそんなくだらないことで死にたくないなら、工場には絶対に入らないようにね』

 幼い真理愛は青ざめて震え上がった。工場には絶対に近づかないようにしよう、と固く心に誓った。靖彦も、麻子と足並みを揃えたわけではないのだろうが、職場見学に娘を誘うことはなかった。真理愛は工場がいかなる場所なのかを知らないまま十四歳になった。

 大切な、大切な一人娘を守りたい一心でついた、恐ろしくも優しい嘘なのだと、成長した彼女は理解している。
 それでも、幼いころに植えつけられた教訓の威力は絶大だ。真理愛は中学二年生になった今でも、工場という場所に対して、謎と危険に満ちているというイメージを持ちつづけている。

 その影響もあって、樹音たちへの復讐を空想しはじめてすぐに、彼女たちを工場に連れ込んで殺害する、という案が浮かんだ。使用される処刑器具はもちろん、哀れな少年の体を真っ二つに切断した機械だ。
 十四歳の想像力は、成人男性ほどの直径を持つ円盤状の回転式刃、というふうに具体像を描いた。幼女の真理愛は、小さな子どもが股から頭部にかけて真っ二つにされるのを想像しただけだったが、中学二年生の真理愛はそこに血と肉片と内臓を描き足した。歪む顔と悲鳴も描き加えた。不快感が込み上げた。瞬間的には吐き気を催すほどの強烈さだったが、そこはかとなく甘美なものを孕んでもいた。

 人を殺すためだけにあるような機械が自動車部品工場にあるはずがないのは、中学生にもなれば誰にでもわかる。理性的であると同時に生真面目でもある真理愛の頭は、「絵空事であることを前提に遊ぶ」という、遠くない過去に打ち出した方針も忘れて、ここでいったん空想を休止するように命じた。
 しかし、樹音たちへの復讐心は健在だ。無理矢理気味にストップをかけたことで、反発し、膨らむ速度を若干ながらも速めた。

 真理愛は空想を続きから再開するのではなく、想像力の枝葉を別方面へと向けて伸ばした。すなわち、もっと現実的な復讐はないかと考えた。
 真っ先に浮かんだのは、トモノリの年齢不詳の無表情。
 体が熱くなった。表層はたぎるように熱く、中心部はロウソクの炎のように温かく。

 真理愛はおもむろにサドルに跨り、ペダルを漕ぎはじめた。百メートルも走らないうちに立ち漕ぎをしていた。
 気持ちが逸る。早く、早く、あの小屋にたどり着きたい。立ち漕ぎ以上に速く走れる方法がないのがもどかしい。
 早くも息が上がりはじめた。吹きつける風が、肌に浮かぶ宝石のような汗を奪いとっていく。
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