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急転
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全ての調査が終わってからの数日間、菜摘は毎日、公園に行って三橋さんとお喋りをした。放課後を計画のために費やしていた間は一切会っていなかったので、その分、羽目を外してはしゃいだ。計画に言及するのは意識的に避けたし、三橋さんも触れようとはしなかった。
その数日間は、精神的なゆとりを持って仇敵に相対することができた。近い将来に強姦されるとも知らずに、蒸散だの維管束だのと真面目腐った顔で講釈を垂れる濱田結衣を、菜摘は腹の中でせせら笑った。
「辻、あんた、なに馬鹿みたいにニヤニヤしてんの。今は授業中よ」
感情が無意識に顔に出てしまうらしく、頻繁に注意を受けた。
なにを言われても、菜摘は平然としていた。かつての仇敵は、今となっては憫笑と侮蔑の対象でしかなかった。
*
計画書が完成し、あとは放課後に三橋さんに提出するだけとなった薄曇りの朝、思いがけないことが起きた。
下駄箱の扉を開けると、上履きの上に一枚の紙切れが置かれていたのだ。
A4サイズの、コピー用紙と思われる白い紙で、二つ折りにされている。手に取り、開いてみると、文字が綴られていた。
『こそこそと妙な真似をして、なにか企んでいるようですが、あなたがしようとしていることは犯罪です。そんなことをしても、あなたのためにはなりません。そんなことをしようという考えは、今すぐに捨てなさい。これ以上、妙な真似をしないのであれば、このことは誰にも言いません。どう行動するのがあなたにとって正しい選択なのか、取り返しのつかないことになる前に、一度よく考えてみなさい』
周囲に目を走らせたが、昇降口付近に人の姿はない。
紙切れをトートバッグに入れ、教室に向かう。文面を思い返しながら、手紙を書いたのは誰だろう、と考える。
真っ先に疑ったのは、三橋さん。
これまでの言動から判断した限り、彼は明らかに、計画に協力するのには乗り気ではない。文章で訴えたような考えを胸に秘めていたとしても不思議ではない、という意味で、書いたのが三橋さんの可能性は充分にある。
ただ、いくつか謎がある。
第一に、考えを菜摘に直接伝えるのではなく、手紙という手段に頼ったのはなぜか。
第二に、通っている小学校の名称程度しか、菜摘の通学先に関する情報を知らないはずなのに、どうやって菜摘の下駄箱を探し当てたのか。
第三に、「こそこそと妙な真似をして」とあるが、「妙な真似」が濱田結衣の尾行を指しているのだとしたら、菜摘が「妙な真似」をしている事実をどのようにして知ったのか。
第一の謎に関しては、菜摘が計画への協力を強く求めたので、面と向かって反対を唱えづらかった、ということなのかもしれない。
第二の謎に関しては、教員か児童に尋ねて場所を突き止めた、と考えるのが妥当だろう。しかし、不審者扱いされる危険を犯してまで下駄箱に手紙を置くくらいなら、本人に直接意見したほうが遥かに安全だし、手っ取り早い。
第三の謎に関しては、濱田結衣を尾行していた菜摘を三橋さんが尾行していた、という可能性が真っ先に浮かんだ。ただ、菜摘は尾行中、何者かにあとをつけられていると感じたことは一度もない。
考えれば考えるほど、手紙を書いたのは三橋さんではない気がしてくる。
だとすれば、濱田結衣が書いたとしか考えられない。
濱田結衣は尾行には気づいていない、と菜摘は認識していたが、実際は気づかないふりをしていただけかもしれない。自分が受け持つ児童なのだから、当然、下駄箱の場所は把握しているはずだ。
唯一引っかかるのは、媒体に手紙を選んだことだ。濱田結衣は、発見した不正はその場で咎める。少なくとも、学校においてはそうだ。今回に限って、手紙という回りくどい手段に訴えたのはなぜなのか。
三橋さん。濱田結衣。どちらかが手紙の書き手なのだろうが、断定するには決め手に欠ける。
その日の濱田結衣の立ち居振る舞いに、不自然な点は見受けられなかった。菜摘に対する態度に関しても同様だ。手紙を書いておきながら何食わぬ顔をしているのか、書いていないから普段通りなのか、判断がつかない。鎌をかけてみようかとも考えたが、実行に移す勇気は湧かなかった。
放課後、菜摘は公園には寄らなかった。
*
重大な事実に気づかずにいたことに菜摘が気づいたのは、翌日、朝食を食べている最中のことだ。
手紙を書いた可能性があるのは、三橋さんと濱田結衣、この二人に絞られる。二人に交流はなく、共犯の可能性はない。つまり、二人のうち一人は必ず手紙を書いていて、一人は手紙には一切関与していない。従って、どちらか一人を問い質しさえすれば、自ずと書き手が判明する。
学校が終わると、菜摘は家に帰って必要な物をトートバッグに入れ、公園に向かった。
十分ばかり待つと三橋さんが現れた。隣のブランコに座るのを待ってトートバッグから手紙を取り出し、手渡す。
「こんな手紙が来てたんだ。気味が悪いなぁ。計画のことを知っているのは僕と菜摘ちゃんだけのはずなのに、こんなものが送られてくるなんて」
三橋さんは困惑しきっている。彼は感情を素直に表に出す傾向がある。この反応を見て、手紙を書いたのは三橋さんではない、と菜摘は確信した。
「それ、書いたのは多分濱田だよ。ボク、計画書作りのために何回か濱田を尾行したんだけど、そのときにばれたんだと思う」
「尾行って……。菜摘ちゃん、そんなことまでしていたの?」
まだ諦めていなかったのか、と言いたげな三橋さんの表情。不愉快に思ったが、黙ってトートバッグから一枚のルーズリーフを取り出し、差し出す。
紙を受け取り、読み始めてすぐ、三橋さんの顔は驚きに包まれた。計画を遂行するために必要な情報が、細かな文字でびっしりと書き込まれていたからだ。
「ねえ、三橋さん」
呼びかけに応じ、三橋さんはルーズリーフから顔を上げた。その顔を見つめながら菜摘は話す。
「言われた通り、必要な情報は全部、ちゃんと紙にまとめたよ。内容におかしなところがあるんだったら、はっきり言って」
「いや、完璧だよ。おかしなところはどこにもない。でも、手紙を書いたの、濱田先生なんでしょ。先生に計画が漏れたんだったら、たとえ計画書が完璧でも――」
「大丈夫!」
菜摘は口を三日月の形にした。
「濱田が気づいたのは、ボクが『こそこそと妙な真似をして、なにか企んでいる』っていうことだけで、ボクがいつ、どこで、誰に、なにをしようとしているのかまでは分かっていないはずだよ。手紙、読み返してみて。具体的になにをするのはやめなさい、なんてことはどこにも書いてないから」
三橋さんは言われた通りにした。手紙から顔を上げ、菜摘の目を見て頷く。
「計画書通りにやれば絶対に成功するって、自信を持って言いきれる。三橋さんなら上手くやれるって、ボクは信じてる。だから、計画に協力してよ。ボクのために濱田を強姦してよ」
三橋さんは表情を引き締め、再び頷いた。
「菜摘ちゃんが頑張ったから、今度は僕が菜摘ちゃんのために頑張る番だね。約束通り、計画に協力するよ。濱田先生を強姦するよ」
歓喜が込み上げてくる。三橋さんに抱きつき、頬にキスをしたい衝動に駆られたが、流石にそれは照れくさい。代わりに手を取り、手の甲に頬ずりをした。
三橋さんは一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐに相好を崩した。少年のように初心な照れ笑いだった。
「それじゃあ、その計画、いつ実行に移そうか?」
菜摘は間髪を入れずに答える。
「そんなの、今からに決まってるでしょ」
その数日間は、精神的なゆとりを持って仇敵に相対することができた。近い将来に強姦されるとも知らずに、蒸散だの維管束だのと真面目腐った顔で講釈を垂れる濱田結衣を、菜摘は腹の中でせせら笑った。
「辻、あんた、なに馬鹿みたいにニヤニヤしてんの。今は授業中よ」
感情が無意識に顔に出てしまうらしく、頻繁に注意を受けた。
なにを言われても、菜摘は平然としていた。かつての仇敵は、今となっては憫笑と侮蔑の対象でしかなかった。
*
計画書が完成し、あとは放課後に三橋さんに提出するだけとなった薄曇りの朝、思いがけないことが起きた。
下駄箱の扉を開けると、上履きの上に一枚の紙切れが置かれていたのだ。
A4サイズの、コピー用紙と思われる白い紙で、二つ折りにされている。手に取り、開いてみると、文字が綴られていた。
『こそこそと妙な真似をして、なにか企んでいるようですが、あなたがしようとしていることは犯罪です。そんなことをしても、あなたのためにはなりません。そんなことをしようという考えは、今すぐに捨てなさい。これ以上、妙な真似をしないのであれば、このことは誰にも言いません。どう行動するのがあなたにとって正しい選択なのか、取り返しのつかないことになる前に、一度よく考えてみなさい』
周囲に目を走らせたが、昇降口付近に人の姿はない。
紙切れをトートバッグに入れ、教室に向かう。文面を思い返しながら、手紙を書いたのは誰だろう、と考える。
真っ先に疑ったのは、三橋さん。
これまでの言動から判断した限り、彼は明らかに、計画に協力するのには乗り気ではない。文章で訴えたような考えを胸に秘めていたとしても不思議ではない、という意味で、書いたのが三橋さんの可能性は充分にある。
ただ、いくつか謎がある。
第一に、考えを菜摘に直接伝えるのではなく、手紙という手段に頼ったのはなぜか。
第二に、通っている小学校の名称程度しか、菜摘の通学先に関する情報を知らないはずなのに、どうやって菜摘の下駄箱を探し当てたのか。
第三に、「こそこそと妙な真似をして」とあるが、「妙な真似」が濱田結衣の尾行を指しているのだとしたら、菜摘が「妙な真似」をしている事実をどのようにして知ったのか。
第一の謎に関しては、菜摘が計画への協力を強く求めたので、面と向かって反対を唱えづらかった、ということなのかもしれない。
第二の謎に関しては、教員か児童に尋ねて場所を突き止めた、と考えるのが妥当だろう。しかし、不審者扱いされる危険を犯してまで下駄箱に手紙を置くくらいなら、本人に直接意見したほうが遥かに安全だし、手っ取り早い。
第三の謎に関しては、濱田結衣を尾行していた菜摘を三橋さんが尾行していた、という可能性が真っ先に浮かんだ。ただ、菜摘は尾行中、何者かにあとをつけられていると感じたことは一度もない。
考えれば考えるほど、手紙を書いたのは三橋さんではない気がしてくる。
だとすれば、濱田結衣が書いたとしか考えられない。
濱田結衣は尾行には気づいていない、と菜摘は認識していたが、実際は気づかないふりをしていただけかもしれない。自分が受け持つ児童なのだから、当然、下駄箱の場所は把握しているはずだ。
唯一引っかかるのは、媒体に手紙を選んだことだ。濱田結衣は、発見した不正はその場で咎める。少なくとも、学校においてはそうだ。今回に限って、手紙という回りくどい手段に訴えたのはなぜなのか。
三橋さん。濱田結衣。どちらかが手紙の書き手なのだろうが、断定するには決め手に欠ける。
その日の濱田結衣の立ち居振る舞いに、不自然な点は見受けられなかった。菜摘に対する態度に関しても同様だ。手紙を書いておきながら何食わぬ顔をしているのか、書いていないから普段通りなのか、判断がつかない。鎌をかけてみようかとも考えたが、実行に移す勇気は湧かなかった。
放課後、菜摘は公園には寄らなかった。
*
重大な事実に気づかずにいたことに菜摘が気づいたのは、翌日、朝食を食べている最中のことだ。
手紙を書いた可能性があるのは、三橋さんと濱田結衣、この二人に絞られる。二人に交流はなく、共犯の可能性はない。つまり、二人のうち一人は必ず手紙を書いていて、一人は手紙には一切関与していない。従って、どちらか一人を問い質しさえすれば、自ずと書き手が判明する。
学校が終わると、菜摘は家に帰って必要な物をトートバッグに入れ、公園に向かった。
十分ばかり待つと三橋さんが現れた。隣のブランコに座るのを待ってトートバッグから手紙を取り出し、手渡す。
「こんな手紙が来てたんだ。気味が悪いなぁ。計画のことを知っているのは僕と菜摘ちゃんだけのはずなのに、こんなものが送られてくるなんて」
三橋さんは困惑しきっている。彼は感情を素直に表に出す傾向がある。この反応を見て、手紙を書いたのは三橋さんではない、と菜摘は確信した。
「それ、書いたのは多分濱田だよ。ボク、計画書作りのために何回か濱田を尾行したんだけど、そのときにばれたんだと思う」
「尾行って……。菜摘ちゃん、そんなことまでしていたの?」
まだ諦めていなかったのか、と言いたげな三橋さんの表情。不愉快に思ったが、黙ってトートバッグから一枚のルーズリーフを取り出し、差し出す。
紙を受け取り、読み始めてすぐ、三橋さんの顔は驚きに包まれた。計画を遂行するために必要な情報が、細かな文字でびっしりと書き込まれていたからだ。
「ねえ、三橋さん」
呼びかけに応じ、三橋さんはルーズリーフから顔を上げた。その顔を見つめながら菜摘は話す。
「言われた通り、必要な情報は全部、ちゃんと紙にまとめたよ。内容におかしなところがあるんだったら、はっきり言って」
「いや、完璧だよ。おかしなところはどこにもない。でも、手紙を書いたの、濱田先生なんでしょ。先生に計画が漏れたんだったら、たとえ計画書が完璧でも――」
「大丈夫!」
菜摘は口を三日月の形にした。
「濱田が気づいたのは、ボクが『こそこそと妙な真似をして、なにか企んでいる』っていうことだけで、ボクがいつ、どこで、誰に、なにをしようとしているのかまでは分かっていないはずだよ。手紙、読み返してみて。具体的になにをするのはやめなさい、なんてことはどこにも書いてないから」
三橋さんは言われた通りにした。手紙から顔を上げ、菜摘の目を見て頷く。
「計画書通りにやれば絶対に成功するって、自信を持って言いきれる。三橋さんなら上手くやれるって、ボクは信じてる。だから、計画に協力してよ。ボクのために濱田を強姦してよ」
三橋さんは表情を引き締め、再び頷いた。
「菜摘ちゃんが頑張ったから、今度は僕が菜摘ちゃんのために頑張る番だね。約束通り、計画に協力するよ。濱田先生を強姦するよ」
歓喜が込み上げてくる。三橋さんに抱きつき、頬にキスをしたい衝動に駆られたが、流石にそれは照れくさい。代わりに手を取り、手の甲に頬ずりをした。
三橋さんは一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐに相好を崩した。少年のように初心な照れ笑いだった。
「それじゃあ、その計画、いつ実行に移そうか?」
菜摘は間髪を入れずに答える。
「そんなの、今からに決まってるでしょ」
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