さようなら、空色。

阿波野治

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 七海はいつだって兄の虚をつくタイミングで連絡を寄越す。

「兄貴、電話に出るの遅いよ。なにしてたの?」
「お前、いつも『出るのが遅い』ばかりだな。毎回毎回すぐに出られるわけがないだろ。今から出かけるところなんだけど」
「どうしたの、そういら立って。女の人に会いに行くところ?」
「違うよ。女性もいる場所ではあるけど、特定の個人に会いに行くわけじゃない。夕食が済んだから美術館に行こうと思って」
「美術館通い、まだ続いてたんだ。珍しい。『音と声の美術館』だっけ」
「『声と音の美術館』だよ。ていうか、七海は僕になんの用? もしかして、暇だからかけてきた?」
「正解。最近連絡とってなかったから、どうしてるのかなと思って」
「いっしょに食べに行ってから、まだ一週間も経っていないけどね。七海はなにかと慌ただしいから、時の流れが速く感じられるのかな」
「ああ、そうかもね」
「暇なら旦那に相手にしてもらえよ。隙間風が吹いてるとかじゃないだろうな」
「不吉なこと言わないでよ。残業してて帰りが遅いだけだから。隙間風が吹いてるのは兄貴の部屋でしょ。住む部屋くらい、もうちょっとましなところを借りればいいのに」
「余計なお世話だ」

 互いに薄く笑う。
 七海と宮城雄大のあいだになんの問題もないことくらい、大地は百も承知だ。兄に連絡を寄越すのは、むしろ彼女に精神的なゆとりがあるからだと、彼は経験から知っている。

「七海、もう切ってもいいか。そろそろ出発したいんだけど」
「えー、早くない? 歩きながら話そうよ」
「駄目だって、歩きスマホは。閉館時間の関係もあるし、いい加減切りたいんだけど」
「じゃあ、今日はまあいいや。でもさ、兄貴」
「なんだよ」
「兄貴がそこまでなにかに執着するって、ほんとに珍しいよね。ちょっと怖いかもしれない。なんていうか、変なことをしでかしそうで」

 大地は動揺した。鉱石を盗み出す計画を看破され、遠回しに指摘されたのかと思ったからだ。言葉を返すまでには、不自然だと思われても仕方がないくらいに間があいた。

「変なことって、なんだよ」
「どう言えばいいのかな。物事に淡泊な人がいったんなにかにのめり込むと、度を越してのめり込みそうじゃない? 兄貴からなんとなくそんな雰囲気を感じたから、そうなったら嫌だなって。分かる? あたしが言っている意味」
「まあ、分からなくはないけど」
「こっちは挙式を控えてるんだからね。間違っても馬鹿なことやらかさないでよ」
「やらかすって、高価な美術品を盗むとか? そこまで入れ込んでないよ。僕は美術品がどうこうというよりも、美術館の雰囲気が好きで通っているんだから」
「雰囲気? ああ、そっち派ね。だったら、そうだな。少しでも大きな声でしゃべっている客を見つけると、いきなり胸倉掴んで、唾を飛ばしながら『騒ぎたいなら余所へ行け』とかなんとか捲し立てる、みたいな?」
「おい、どれだけ僕をやばいやつに仕立て上げたいんだ」

 それからははっきりと冗談だと分かるやりとりが何往復か続いて、「マジで時間なくなるから」と大地から通話を切った。
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