ここはラガヌム星

阿波野治

文字の大きさ
5 / 17

しおりを挟む
 しかし、アスペルガーとしての姉のなんたるかを、アスペルガーのなんたるかを知ろうとした、拓真の努力の全てが徒労に終わったわけではなかった。
 その日を境に、姉に対する彼の態度には変化が現れた。
 優しくなったのだ。
 これまで不愉快に感じ、時に感情的な反応を示してきた言動にも、ぐっとこらえるように心がけたし、こらえられるようになった。大別すればマイナスだった両者の関係は明確に好転した。

 同種の変化が自分の身に起ころうとしているのだ、と拓真は認識する。
 アスペルガーではないなら、僕はなんという病気に罹患しているんだ?

 通院が土曜日午後の習慣と化して初めて、医師の話を真面目に聞いた。しかし医師は、彼の印象としてははなはだ曖昧な供述に終始し、まるではぐらかすかのようだ。
 いい加減焦れてきたころ、医師はおもむろに拓真と視線を重ねてこう告げた。
「拓真くんの脳を検査した結果ですが、特に異状は認められませんでした。いたって健康な脳ですね」
 帰りの車中で母と交わした会話の内容は、一言も覚えていない。

 一瞬にして白亜に染め上げられた脳内に浮かんだ映像は、人間の脳みそ。市販の鶏もも肉のようなピンク色をしている。無数の細く真っ直ぐな麺が絡み合うようにして構成されたその塊を、神がゆっくりと振り下ろした中華包丁が無慈悲に一刀両断する。二つになった脳は内側を上に向けて横倒しになる。片割れのどちらにも、人工的な真四角の穴があいている。
 突然、麺の塊が急に崩れ、墜落する。丼にたたえられたオレンジ色のスープに沈み、油と唐辛子の香りが立ち昇る。厨房から漏れ聞こえてくる調理の音は騒々しくも活気がある。客は少ないが、その分大きく強く響くようだ。
 テーブルの対岸では母が無音で麺をすすっている。検査とその後の医師の説明に時間がかかったため、二人は久しぶりに外食していたのだ。

 拓真は丼の中身を見つめる時間が長くなっている。箸が進まない。唐辛子がきいた辛いスープの中の中華麺は、脳をほどいたものにしか見えない。もっとも、それが食欲を減退させているのではない。
 アスペルガーという答えを与えられた、姉。
 答えを与えられなかった、自分。
 異状は認められない? いたって健康? だったら、なにが僕をおかしくさせているんだ? 原因は不明だから、治療法はない? 僕はこの世界に適応できないまま生き、死ななければならないということか?
 だとすれば、僕がとるべき行動は、歩むべき進路は、いったいなんなんだ……?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

洒落にならない怖い話【短編集】

鍵谷端哉
ホラー
その「ゾワッ」は、あなたのすぐ隣にある。 意味が分かると凍りつく話から、理不尽に追い詰められる怪異まで。 隙間時間に読める短編ながら、読後の静寂が怖くなる。 洒落にならない実話風・創作ホラー短編集。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

10秒で読めるちょっと怖い話。

絢郷水沙
ホラー
 ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

処理中です...