ここはラガヌム星

阿波野治

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十四

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 突然、床が小刻みに連続して踏み鳴らされた。足の裏に微震を感じ、拓真はようやく金縛りから解放された。ダイニングと廊下を仕切るドアを振り向く。
 そのドアに向かって、突進するかのような勢いで足音が接近したかと思うと、それにも勝る勢いで開け放たれた。現れたのは、姉。細い目を限界まで見開き、視線を突き刺す対象は弟。台風の中を歩いてきたように頭髪が乱れ、頬は涙に濡れている。

 きょうだいの視線は重なる。拓真は恐怖も怒りも悲しみも覚えなかった。突然の事態に理解が追いついていないのだ。

 先に変化が現れたのは姉だった。見る見る表情が歪んでいき、変化が止まったと思ったときには、上下の歯をきつく噛みしめ、眉尻と目尻を吊り上げている。怒り、もどかしさ、憎しみ。行き場のない感情に突き動かされて、右手で髪の毛をかきむしる。さらには左の手首。
 その部位からしたたるものを認めて、拓真は息を呑んだ。姉の左手首は、食われ始めて間もない草食動物の腹部のように皮膚が破れて肉の赤が露出し、それ以上に鮮やかな赤が断続的に床にしたたっている。

 姉は真っ赤に染まった右手を左手首から離し、姉は弟を目がけて突進した。鳥肌が立った。しかし、彼女の双眸が弟を捉えていないと気がついた瞬間、恐怖は魔法をかけたように跡形もなく消滅した。
 すれ違った拍子に肩と肩がぶつかる。衝撃はさほど強くなかったが、拓真は腰が抜けたようにその場に尻もちをついた。足音が加速し、あっという間に遠ざかる。風を感じて振り向くと、勝手口のドアが開け放たれている。
 流れ込んできた風がキッチンに滞留する空気をかき乱したらしく、食べ物の匂いが拓真の鼻孔に届いた。匂いを辿ると、出しっぱなしになったまな板の上で中華麺が散乱している。何羽もの鳥に寄って集ってつつかれたかのように乱雑で汚らしい。

 姉はえり好みが激しく、食に関しても例外ではない。
 子ども時代の姉は、妥協してもらうところは妥協してもらい、妥協するところは妥協して、騙し騙し「普通」の食生活を送ってきた。それが中一のとき、家庭科の授業で手料理を作ったのが自信になったらしく、お気に召さない食事が出された日には、自分が食べるものは自分で作るようになった。生来の偏食と、簡単な料理しか作れないのが相俟って、毎回同じような料理を作っている印象が拓真にはあった。

 彼は立ち上がって俎上の惨状を見下ろす。麺はプラスティック製の板いっぱいに広がっているだけではなく、叩きつぶされている。明らかに、怒りに任せて。
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