こちらの世界で、がんばる。

阿波野治

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 目の端に映り込んだ鮮やかな青に、俺は半ば自動的に窓外に目を転じた。
 海だ。
 青い空と海、白い砂浜。極限まで切り詰めたならば、そんな至極単純な言葉の組み合わせで表現できる景色が、現在バスが走っているすぐ左側に展開している。

 ただ、海水浴シーズンには早すぎるからか、砂浜には漂着物が目立ち、雑然としている印象だ。近隣の住人が、秘密裏に家庭ゴミを遺棄しているのではないかと疑ってしまうほど、その量は夥しい。
 それでも、砂浜の砂の白さは確かだった。漂流物というよりは、むしろゴミと呼んだ方がしっくり来る物たちとの対比でそう感じられるのではなく、絶対的に白い。
 反対側の窓に目を転じると、空地、民家、空地、空地、民家、空地、民家――といった風景が延々と続いている。

 特筆するべき施設はなにもなさそうな田舎に見えるが、米津国際美術館は閑静な土地に場違いに建っているという話だった。海のすぐ近くに建っているという話だった。
 俺は決断しなければならない。

 切羽詰まった状況になると、人間の脳味噌はひとりでに演算を開始するものだ。明快な回答が導き出される保証はないが、とにもかくにも回り出す。
 上等とは言い難い俺の脳味噌も、御多分に漏れなかった。榊さんがバスの車中で発した言葉が、厳密にいえば夫について話し始めてからの言葉が、矢継ぎ早に脳裏に到来しては飛び去っていく。時系列に沿ってではなく、完全なるランダムに。
 秩序のなさが混乱へと誘うようだったが、粘り強く言葉たちに向き合っているうちに、榊さんが言葉に込めた意味、俺になにを伝えたかったのかといった、本質的と言えばいいのか、深層的と言えばいいのか、とにかく表層的ではない情報も頭に入ってくるようになった。

 友達になってほしい。
 榊さんが俺にそう持ちかけてきたそもそものきっかけは、友人を作ることを夫に奨励されたからだ。
 理由について榊さんの夫は、自分と会話する時間を生活の中心にしてはいけない、と言ったという。

 妻は人と話をするのが好きだから、限られた時間しか会話できない自分以外の人物とも、定期的に言葉を交わす機会を作るべきだ。榊さんの夫はそう考えたのだろう。欲求不満が募れば、榊さんにとっても、夫にとっても、世間や社会にとっても好ましくない、なんらかの方法で解消しようとするかもしれない。そんな懸念があったのではないか。

 なんらかの方法――たとえば、浮気だとか。

 榊さんの夫としては、できればその可能性は疑いたくはなかったはずだ。ただ、自らが置かれた状況と、それに伴い成立した新たな夫婦関係の特殊性を、しっかりした人である彼は充分に理解していて、それ故に看過できなかった。自分たちが現在のような関係である以上は、そのような事態も起きてもおかしくはない。そう認めざるを得なかった。それが「友達を作りなさい」という発言に繋がったわけだ。

 あちらの世界へ行ったという共通点を考えれば、俺の妻も、榊さんの夫と似たような懸念を抱いた可能性は高い、と考えるべきだろう。
 ただ、妻の場合は榊さんの夫とは違い、パートナーとの通話時間は制限されていない。そのくせあまり電話をかけてこないので、あちらの世界へ行く前よりも夫婦の会話は減った。

 異性と深く交流する機会を持ちたい。そんな欲求を隠しきれなくなりつつあった俺は、一緒に美術館へ行きたいという榊さんの申し出を承諾した。それを知った妻は、嫉妬のあまり時を巻き戻した。
 つまり、妻を不幸にさせないための最善の方法は――。
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