わたしといっしょに新しく部を創らない?と彼女は言った。

阿波野治

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指についたホイップクリーム

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 サチは髪の毛の乱れを手で直そうとして、「あっ」と声を上げた。

「メロンパン! メロンパン、転んだ弾みでどこかへ行っちゃった!」
「どこかっていうか、下だな」

 俺は階段の下、地上を指差す。食べかけのメロンパンは、サチが転んださいに手から離れて階段を転がり、階段下の地面で止まったらしい。土がついてしまったので、もう食べるのは無理だ。必死に追いかけたパンの袋はというと、皮肉というべきか、パンの横で行儀よく静止している。

「あーあ、もったいない。ボリュームたっぷりでおいしかったのにぃ」
「人気商品っぽいし、もう売り切れてるよな。今日のところは諦めろ。パンが身代わりになってくれたと思ってさ」

 慰めの言葉をかけたものの、サチはしょんぼりとした顔でメロンパンを見下ろすばかり。まるで長年かわいがってきた犬か猫に死なれたみたいだ。大げさだな、と思ったが、だからといって笑い飛ばすのも違う気がする。

 さてどうしよう、と周囲を見回して、チョココロネが目に留まった。俺が買った二個のパンのうち、まだ食べてない方のパン。これを分けてあげれば、元気を取り戻してくれるかもしれない。なんといってもサチは、単純で子供っぽい性格だから。
 踊り場まで引き返し、チョココロネが入った袋を掴もうとして、俺は思わず悲鳴を上げてしまった。

「きったねぇ。なんだこれ?」

 俺の右手の人差し指が、白いものでべとべとになっているのだ。その正体がホイップクリームだということには、叫んだあとで気がついた。サチを起こすために右手を掴んださいに付着したらしい。

 サチが階段を上って近づいてくる。ハンカチでも貸してくれるのかな、と思っていると、おもむろに俺の手を取り、
 ホイップクリームがついた人差し指を、口に含んだ。
 突然のことに、俺は声を上げることもできない。

 サチは指の形をたしかめるように、丹念に舌を這わせる。温かくてぬめぬめしたものが動き回る感触に、全身に鳥肌が立った。鳥肌は寒気がしたときに発生する現象のはずなのに、体が熱い。少し気持ち悪くて、それでいて、永遠にそうされていたい気もする。サチは音を立てずに、とてもていねいに、人差し指を舐め続ける。

 サチの唇が、俺の人差し指をようやく解放した。銀色の唾液が糸を引いたのを見た瞬間、思わず身震いをしてしまった。

「はい、きれいになった。助けてくれたお礼、これで充分かな?」

 俺の気持ちなど知る由もないサチは、天真爛漫に微笑んでみせる。

「バカ野郎! 汚いな、人の指を。クリームを拭うなら、ハンカチとかでいいだろ」
「だって、クリームがもったいない」
「いやいや、犬じゃないんだからさ。もっとほら、なんていうかこう……ちゃんとしてくれ」
「えー、そう? そんなにだめだったかなぁ、舐めるの」

 サチは頭の上に無数のクエスチョンマークを浮かべて、小首を傾げてみせる。己の行為のどこに問題があったのか、本当に分かっていないのだ。

「たしかに、ちょっと図々しかったかもしれない。ごめんね。じゃあ、今度はハンカチで拭かせて」
「……持ってるなら最初からそうしろよな」

 桜色のハンカチで指を拭いてもらい、気を取り直して食事を再開する。チョココロネを半分に割って渡すと、サチはクリスマスプレゼントをもらった小学生のような喜び方をした。

「わー、美味しい! メロンパンもいいけど、チョココロネも最高だね!」
「チョコ、手につきそうになってるぞ。気をつけて食えよ」
「うん、気をつける」

 満面の笑みでチョココロネを頬張るサチを見ていると、微笑ましさに自ずと口元が緩む。本当に、本当に無邪気なやつなのだ、東サチという少女は。

 くだらない話をしたり、部についての意見を出し合ったり、そうかと思うとまたくだらない話に戻ったり……。本題について話す時間の方が少なかったが、どの瞬間を切り取っても楽しい時間だったので、俺は満足だ。

「じゃあ、明日もまたいっしょにお昼食べようね!」

 そして、それはサチも同じらしい。
 結論を急がなくても、こんな毎日を送れるなら、それで構わない。
 心からそう思った、昼休みのひとときだった。
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