34 / 90
34
しおりを挟む
自分自身が侮辱された気がしたからというのも、腹が立った要因の一つだ。しかし、主因ではない。
星羅を蔑まれたように感じたのだ。夏也は星羅が性的暴行を受けた事実を把握していて、それを念頭に、「お前も友だちと同じような目に遭ったんじゃないか」と冷やかしてきたような、そんな気がしたのだ。
実際には、夏也は星羅の存在を知らないだろう。星羅に暴行した犯人ではないし、加害者との繋がりもないはずだ。
わたしが認識している兄は、記憶士として成功する道につまずき、絵に描いたようにやさぐれた、軽蔑するべき落伍者でしかない。不良と引きこもりの中間のような、中途半端な鼻つまみ者。弱りきった母親や、妹に対しては強気に出られても、あらゆる人間に対して大それた真似ができる人間では断じてない。
畏怖というよりは、侮蔑の対象。だからこそ、怒りが湧いたともいえる。
口を噤むという対応をとったからだろう、わたしを見つめる夏也の目は訝しげだ。俺がなにか言うたびに生意気にも言い返してくるくせに、今日はどうしたのだろう、なにを企んでいやがるんだ、とでもいうような。
夏也を殴りたかった。日頃の恨みに対する返報の意味で。お母さんの介護が中心の生活で溜め込んできたストレスを発散する意味で。夏也を星羅暴行事件の加害者と仮に見なして、星羅の仇をとる意味で。おぞましい犯罪を犯した鬼畜どもに疑似的な制裁を加える意味で。
右拳を握りしめる。本気で殴り合えば勝ち目はないだろうが、顔に一発見舞うくらいならできる、と計算する。
しかし、行動に移すのは自制する。
感情を溢れ出させてもおかしくない場面でストップをかける冷静さ。これは明らかに、お母さんがベッド中心の生活を送るようになったのを機に芽生えた。わたしがしっかりしないと、冗談でも誇張でもなく、蜂須賀家は崩壊してしまう。だから、最後の砦としての自覚を持ち、理性的に振る舞う。
死んだのだ。お母さんがお母さんではなくなったことで、無邪気な子どもだったわたしは。
「なんだよ、その反抗的な目つきは」
痺れを切らしたように夏也が言う。
「文句があるなら言えよ。ないんだったら、目障りだから、今すぐに俺の前から失せろ」
「馬鹿、馬鹿って、馬鹿みたいに頻発するけど」
「あ?」
「この傷を負わせた人はね、馬鹿じゃない。真剣だからこそ、傷つけたの。本気で傷ついた人じゃないと、誰かに傷を負わせることなんてできない」
「お前、なに言ってんだ?」
心底意味が分からない、という顔を夏也はしている。対応によっては、軽蔑の嘲笑にも、怒りの暴言にも、呆れのため息にも分岐しそうだ。いずれにせよ、わたしにとっては不愉快でしかない。
「……まあ、欲望を叶えるためだけに平気で人を傷つける馬鹿も、世の中にはいるけど」
小声で呟いて視線を切り、夏也の脇をすり抜ける。
「おい、今馬鹿って言っただろ。ふざけたこと言ってると――って、おい! 待てよ!」
返事はせずに遠ざかる。お母さんに食事を出すという目的が間近に控えていたのは、衝突を回避する口実という意味では幸いだった。
ただ、夏也といさかいめいたやりとりをしたせいで、気分はマイナスの領域に落ち込んでしまった。
せっかく、星羅と親密になれそうな手ごたえを抱いて、前向きな気持ちになれていたのに。
星羅を蔑まれたように感じたのだ。夏也は星羅が性的暴行を受けた事実を把握していて、それを念頭に、「お前も友だちと同じような目に遭ったんじゃないか」と冷やかしてきたような、そんな気がしたのだ。
実際には、夏也は星羅の存在を知らないだろう。星羅に暴行した犯人ではないし、加害者との繋がりもないはずだ。
わたしが認識している兄は、記憶士として成功する道につまずき、絵に描いたようにやさぐれた、軽蔑するべき落伍者でしかない。不良と引きこもりの中間のような、中途半端な鼻つまみ者。弱りきった母親や、妹に対しては強気に出られても、あらゆる人間に対して大それた真似ができる人間では断じてない。
畏怖というよりは、侮蔑の対象。だからこそ、怒りが湧いたともいえる。
口を噤むという対応をとったからだろう、わたしを見つめる夏也の目は訝しげだ。俺がなにか言うたびに生意気にも言い返してくるくせに、今日はどうしたのだろう、なにを企んでいやがるんだ、とでもいうような。
夏也を殴りたかった。日頃の恨みに対する返報の意味で。お母さんの介護が中心の生活で溜め込んできたストレスを発散する意味で。夏也を星羅暴行事件の加害者と仮に見なして、星羅の仇をとる意味で。おぞましい犯罪を犯した鬼畜どもに疑似的な制裁を加える意味で。
右拳を握りしめる。本気で殴り合えば勝ち目はないだろうが、顔に一発見舞うくらいならできる、と計算する。
しかし、行動に移すのは自制する。
感情を溢れ出させてもおかしくない場面でストップをかける冷静さ。これは明らかに、お母さんがベッド中心の生活を送るようになったのを機に芽生えた。わたしがしっかりしないと、冗談でも誇張でもなく、蜂須賀家は崩壊してしまう。だから、最後の砦としての自覚を持ち、理性的に振る舞う。
死んだのだ。お母さんがお母さんではなくなったことで、無邪気な子どもだったわたしは。
「なんだよ、その反抗的な目つきは」
痺れを切らしたように夏也が言う。
「文句があるなら言えよ。ないんだったら、目障りだから、今すぐに俺の前から失せろ」
「馬鹿、馬鹿って、馬鹿みたいに頻発するけど」
「あ?」
「この傷を負わせた人はね、馬鹿じゃない。真剣だからこそ、傷つけたの。本気で傷ついた人じゃないと、誰かに傷を負わせることなんてできない」
「お前、なに言ってんだ?」
心底意味が分からない、という顔を夏也はしている。対応によっては、軽蔑の嘲笑にも、怒りの暴言にも、呆れのため息にも分岐しそうだ。いずれにせよ、わたしにとっては不愉快でしかない。
「……まあ、欲望を叶えるためだけに平気で人を傷つける馬鹿も、世の中にはいるけど」
小声で呟いて視線を切り、夏也の脇をすり抜ける。
「おい、今馬鹿って言っただろ。ふざけたこと言ってると――って、おい! 待てよ!」
返事はせずに遠ざかる。お母さんに食事を出すという目的が間近に控えていたのは、衝突を回避する口実という意味では幸いだった。
ただ、夏也といさかいめいたやりとりをしたせいで、気分はマイナスの領域に落ち込んでしまった。
せっかく、星羅と親密になれそうな手ごたえを抱いて、前向きな気持ちになれていたのに。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる