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一人になると、どっと疲れが出た。
夏也がちゃんと今晩の義務を果たしたと知ると、安堵感から疲労感は倍加した。疲れているときのわたしは、通例、エネルギーを補うべく食事量が多くなるのだが、あまり食べられなかった。
夕食後に義行さんに電話をかけた。
久しぶりの連絡だったせいか、驚いていた。予想していたとおり、お母さんの体調を尋ねられたので、最近はいい日が多いです、と答える。
「そうですか。それは安心しました」
義行さんの言葉は相変わらず、最小限で、事務的で、そっけない。
本題である、記憶の受け渡しと供養の件については、淡々と話が進んだ。義行さんのことを、多少なりとも異性として意識しているわたしとしては、物足りない気持ちもある。ただ、心身を蝕む疲労感のせいで、他愛もない世間話に誘導するだけの気力が湧かない。
「それでは、一週間後に伺います。お母さまによろしくお伝えください」
通話を締め括る義行さんの一言がきっかけで、お母さんとは今朝以来顔を見ていないことに気がついた。
本来であれば、眠っていることの方が多い時間帯だ。どうかな、と思いながらドアをノックすると、か細い声が「どうぞ」と応えた。
部屋は真っ暗だ。電気を点けてもいいかと問うと、了解を得られた。ベッドの上の寝間着姿のお母さんは、眩しそうというよりも眠たそうだ。
「どうしたの、秋奈。こんな時間に。困ったことでもあるの?」
「ううん、なにもないよ。今日の晩ごはんはお兄ちゃんが持って行ったから、お母さんのところにに来たのは朝の一回だけだったでしょ。だから、寝る前に顔が見たいな、と思って。用件はそれだけだから」
返事はない。想定していた反応だったので、特に気に留めずに「おやすみ」と告げる。
お母さんがじっとこちらを見ていることに気がついたのは、ドアを閉ざす寸前のこと。
「どうしたの?」
やはり返事はない。心配になってベッドまで歩み寄ると、呆然としているとも真剣なともつかない顔で、わたしの顔を真っ直ぐに見据えてくる。
「秋奈。もしかして、いいことあった?」
指摘された瞬間は驚いたが、すぐに笑顔になっていた。お母さんは我が子のちょっとした変化を鋭く察する人だ。昔からそうだったし、倒れてからはむしろその長所に磨きがかかった感がある。
「うん、あった。ちょっと大変だったけど、とってもいいことが」
「そう。じゃあ、いい気分で眠れて、いい気分で明日を迎えられそうね」
秋奈に嬉しいことがあったから、お母さんも嬉しい。目尻に皺を作って微笑むその顔は、弾む一歩手前のようなその声は、明言するよりも雄弁にそう語っていた。
星羅から記憶を取り出すことができて、本当によかった。
心からそう思えた瞬間だった。
夏也がちゃんと今晩の義務を果たしたと知ると、安堵感から疲労感は倍加した。疲れているときのわたしは、通例、エネルギーを補うべく食事量が多くなるのだが、あまり食べられなかった。
夕食後に義行さんに電話をかけた。
久しぶりの連絡だったせいか、驚いていた。予想していたとおり、お母さんの体調を尋ねられたので、最近はいい日が多いです、と答える。
「そうですか。それは安心しました」
義行さんの言葉は相変わらず、最小限で、事務的で、そっけない。
本題である、記憶の受け渡しと供養の件については、淡々と話が進んだ。義行さんのことを、多少なりとも異性として意識しているわたしとしては、物足りない気持ちもある。ただ、心身を蝕む疲労感のせいで、他愛もない世間話に誘導するだけの気力が湧かない。
「それでは、一週間後に伺います。お母さまによろしくお伝えください」
通話を締め括る義行さんの一言がきっかけで、お母さんとは今朝以来顔を見ていないことに気がついた。
本来であれば、眠っていることの方が多い時間帯だ。どうかな、と思いながらドアをノックすると、か細い声が「どうぞ」と応えた。
部屋は真っ暗だ。電気を点けてもいいかと問うと、了解を得られた。ベッドの上の寝間着姿のお母さんは、眩しそうというよりも眠たそうだ。
「どうしたの、秋奈。こんな時間に。困ったことでもあるの?」
「ううん、なにもないよ。今日の晩ごはんはお兄ちゃんが持って行ったから、お母さんのところにに来たのは朝の一回だけだったでしょ。だから、寝る前に顔が見たいな、と思って。用件はそれだけだから」
返事はない。想定していた反応だったので、特に気に留めずに「おやすみ」と告げる。
お母さんがじっとこちらを見ていることに気がついたのは、ドアを閉ざす寸前のこと。
「どうしたの?」
やはり返事はない。心配になってベッドまで歩み寄ると、呆然としているとも真剣なともつかない顔で、わたしの顔を真っ直ぐに見据えてくる。
「秋奈。もしかして、いいことあった?」
指摘された瞬間は驚いたが、すぐに笑顔になっていた。お母さんは我が子のちょっとした変化を鋭く察する人だ。昔からそうだったし、倒れてからはむしろその長所に磨きがかかった感がある。
「うん、あった。ちょっと大変だったけど、とってもいいことが」
「そう。じゃあ、いい気分で眠れて、いい気分で明日を迎えられそうね」
秋奈に嬉しいことがあったから、お母さんも嬉しい。目尻に皺を作って微笑むその顔は、弾む一歩手前のようなその声は、明言するよりも雄弁にそう語っていた。
星羅から記憶を取り出すことができて、本当によかった。
心からそう思えた瞬間だった。
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