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転機
第八話 転機6
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翌日の二限目の授業前、教室前方に佐野真綾の姿を見つけた。友人たち四人で固まって座っていて、おしゃべりしている。
(後方に座れば見つからず退室できる)
神楽小路はそう考え、ドアの付近に席をとった。
(こちらが逃げきれば、諦めて一人で調査するだろう)
何の問題もなく、授業が終わり、荷物をまとめて教室を出ると、にこにこ笑顔の佐野真綾が立っていた。
「今日は一食の方に行って調べていこうと思って」
一食に向かう道すがら、佐野は考えてきたという企画の説明を始めた。
「課題提出日は月に二回。この授業は前期だけの授業だから、三回提出。一回目の提出は六月前半。わたしも神楽小路くんも月曜から金曜日まで登校してて、昼休みを挟むような授業の取り方している……で、合ってるかな?」
「ああ」
「さすがに一日に一メニューが限界だから、祝日がなければ最大十種類、二人で別々のメニューを頼んで二十種類食べられる。無作為に食べるだけじゃなくて、三回分のメイン記事を考えて食べていくよ」
「その三回分の記事の内容は決めてるのか」
「そう言われると思って、しっかり考えてきたよ。一回目は各食堂の高いメニューと安いメニューの紹介、二回目は学生がよく食べてそうな丼ものと麺類特集。最後の三回目は一番おいしかったメニューで締めるっていう流れはどうかなと」
「お前主導なんだ。いいんじゃないか、それで」
「もー、適当だなぁ。好きにやらせてもらうからね」
そうして、初日である今日は一食の中で一番高いメニューと安いメニューの調査になり、じゃんけんで負けた佐野が一番高い五百円のカツ丼定食、神楽小路は二百円のうどんを注文するところから取材の日々が始まった。
毎日、昼休みになると、佐野が神楽小路を捕まえ、食堂をまわった。調査関係なく、いろんな種類を食べたい、むしろ全部食べたいとでも言いたげな気合のある佐野と、とりあえず空腹を満たすことしか考えていない神楽小路。毎日一品ずつ食べて、食後は感想を言い合う……と言っても、神楽小路の感想は淡泊で「うまい」「マズイ」の二択が基本で、佐野が「どのあたりがおいしかったか、マズかったか」を掘り下げて訊いた。
感想をまとめたあとは、神楽小路へ佐野が一方的に質問をする。
「好きな色は?」
「休日ってなにしてるの?」
「好きな本は?」
まるで芸能人へのインタビューかのように毎日飽きもせず訊いた。
「ない」
「起きて、読書するか小説を書いて、寝る。休日なんぞ、みな似たようなものだろう」
「面白く、勉強になる本ならなんでも」
さっさと返答して話を終わらせようとするも、短い返答を佐野は嬉しそうに拾い上げては広げて話していく。
神楽小路は家でも基本的に一人だった。それが当たり前だった。父と母は日が変わらないと帰宅しない。国内外へ出張し、何週間も家を空ける。それこそ食事をとりながら、ゆっくり話をする機会はほとんどない。ただ静かに、出されたものを食べ、そそくさと自分の部屋へ戻る。一人で食べるのに慣れてしまい、たまに父と母とテーブルを囲むと違和感が生じるほどであった。この一週間ほどで、佐野の方が両親より一緒にご飯を食べ、神楽小路君彦という人物のことを知っているかもしれない。
「ずっと気になってたんだけど、神楽小路くんって好きな食べ物ってなに?」
この日も感想をまとめ終わり、佐野は食後に食べていたシュークリームの最後の一かけらを頬張りながら訊いた。即答が基本の神楽小路が珍しく、一分ほど考えこんだ。
「ないな。食べることは単純に空腹を抑え、栄養を摂取するくらいにしか考えられん。だから、食べれればそれでいい。好きなものはない。嫌いなものは口に合わないものだろうな」
「本当に? お父さんとかお母さんが作ってくれた料理とかお菓子でもいいんだよ?」
「父も母も料理ができない。忙しくて作る時間がないというよりは、そもそも作れないという意味での『出来ない』だ。祖父も祖母もきっと作れない。そんな家系の子どもである俺ももちろん作れない」
「えっ、じゃあ誰が料理作ってるの?」
「日替わりで料理人が来て作りに来る。それが日常だ」
「なんだかすごいなぁ」
「すごくはない」
神楽小路は目を伏せる。長い睫毛が影をさらに深くする。
「いくらきらびやかな食事を出されても、お前のように胸がときめくことはない。空腹という概念がなく、食べなくても生きていけるなら、それでもかまわない。いや、そちらの方がいい。食事の時間を読書や執筆に充てられるからな」
「そっかぁ……そういう考えもあるんだね」
佐野は少し間を開けてから、
「わたしにとって食べ物も、本も、心の穴を埋めてくれる大切なものだな。悲しい時や、つらかった時、おいしいもの食べたり、面白い本を読むことによって救われた時がたくさんで」
「ほお」
「だから、わたしも小説を書いて、誰かの心の穴をゆっくりでもいいから埋めてあげられる、そういう存在になりたいっていつからか思ってたの」
佐野は微笑んだあと、「あっ」と声を上げた。
「そうだ! 来週入ったら、原稿作らないとだよ。神楽小路くんと予定合わせて文芸学科のパソコン室借りて仕上げて――」
「それは佐野真綾、お前にすべて任せる」
「えー!?」
「一人で書いた方がお前も好きなように書けるだろう」
「でも……」
「取材の協力はしている。では、俺は教室へ行く」
席を立ち、食堂を後にした。
(後方に座れば見つからず退室できる)
神楽小路はそう考え、ドアの付近に席をとった。
(こちらが逃げきれば、諦めて一人で調査するだろう)
何の問題もなく、授業が終わり、荷物をまとめて教室を出ると、にこにこ笑顔の佐野真綾が立っていた。
「今日は一食の方に行って調べていこうと思って」
一食に向かう道すがら、佐野は考えてきたという企画の説明を始めた。
「課題提出日は月に二回。この授業は前期だけの授業だから、三回提出。一回目の提出は六月前半。わたしも神楽小路くんも月曜から金曜日まで登校してて、昼休みを挟むような授業の取り方している……で、合ってるかな?」
「ああ」
「さすがに一日に一メニューが限界だから、祝日がなければ最大十種類、二人で別々のメニューを頼んで二十種類食べられる。無作為に食べるだけじゃなくて、三回分のメイン記事を考えて食べていくよ」
「その三回分の記事の内容は決めてるのか」
「そう言われると思って、しっかり考えてきたよ。一回目は各食堂の高いメニューと安いメニューの紹介、二回目は学生がよく食べてそうな丼ものと麺類特集。最後の三回目は一番おいしかったメニューで締めるっていう流れはどうかなと」
「お前主導なんだ。いいんじゃないか、それで」
「もー、適当だなぁ。好きにやらせてもらうからね」
そうして、初日である今日は一食の中で一番高いメニューと安いメニューの調査になり、じゃんけんで負けた佐野が一番高い五百円のカツ丼定食、神楽小路は二百円のうどんを注文するところから取材の日々が始まった。
毎日、昼休みになると、佐野が神楽小路を捕まえ、食堂をまわった。調査関係なく、いろんな種類を食べたい、むしろ全部食べたいとでも言いたげな気合のある佐野と、とりあえず空腹を満たすことしか考えていない神楽小路。毎日一品ずつ食べて、食後は感想を言い合う……と言っても、神楽小路の感想は淡泊で「うまい」「マズイ」の二択が基本で、佐野が「どのあたりがおいしかったか、マズかったか」を掘り下げて訊いた。
感想をまとめたあとは、神楽小路へ佐野が一方的に質問をする。
「好きな色は?」
「休日ってなにしてるの?」
「好きな本は?」
まるで芸能人へのインタビューかのように毎日飽きもせず訊いた。
「ない」
「起きて、読書するか小説を書いて、寝る。休日なんぞ、みな似たようなものだろう」
「面白く、勉強になる本ならなんでも」
さっさと返答して話を終わらせようとするも、短い返答を佐野は嬉しそうに拾い上げては広げて話していく。
神楽小路は家でも基本的に一人だった。それが当たり前だった。父と母は日が変わらないと帰宅しない。国内外へ出張し、何週間も家を空ける。それこそ食事をとりながら、ゆっくり話をする機会はほとんどない。ただ静かに、出されたものを食べ、そそくさと自分の部屋へ戻る。一人で食べるのに慣れてしまい、たまに父と母とテーブルを囲むと違和感が生じるほどであった。この一週間ほどで、佐野の方が両親より一緒にご飯を食べ、神楽小路君彦という人物のことを知っているかもしれない。
「ずっと気になってたんだけど、神楽小路くんって好きな食べ物ってなに?」
この日も感想をまとめ終わり、佐野は食後に食べていたシュークリームの最後の一かけらを頬張りながら訊いた。即答が基本の神楽小路が珍しく、一分ほど考えこんだ。
「ないな。食べることは単純に空腹を抑え、栄養を摂取するくらいにしか考えられん。だから、食べれればそれでいい。好きなものはない。嫌いなものは口に合わないものだろうな」
「本当に? お父さんとかお母さんが作ってくれた料理とかお菓子でもいいんだよ?」
「父も母も料理ができない。忙しくて作る時間がないというよりは、そもそも作れないという意味での『出来ない』だ。祖父も祖母もきっと作れない。そんな家系の子どもである俺ももちろん作れない」
「えっ、じゃあ誰が料理作ってるの?」
「日替わりで料理人が来て作りに来る。それが日常だ」
「なんだかすごいなぁ」
「すごくはない」
神楽小路は目を伏せる。長い睫毛が影をさらに深くする。
「いくらきらびやかな食事を出されても、お前のように胸がときめくことはない。空腹という概念がなく、食べなくても生きていけるなら、それでもかまわない。いや、そちらの方がいい。食事の時間を読書や執筆に充てられるからな」
「そっかぁ……そういう考えもあるんだね」
佐野は少し間を開けてから、
「わたしにとって食べ物も、本も、心の穴を埋めてくれる大切なものだな。悲しい時や、つらかった時、おいしいもの食べたり、面白い本を読むことによって救われた時がたくさんで」
「ほお」
「だから、わたしも小説を書いて、誰かの心の穴をゆっくりでもいいから埋めてあげられる、そういう存在になりたいっていつからか思ってたの」
佐野は微笑んだあと、「あっ」と声を上げた。
「そうだ! 来週入ったら、原稿作らないとだよ。神楽小路くんと予定合わせて文芸学科のパソコン室借りて仕上げて――」
「それは佐野真綾、お前にすべて任せる」
「えー!?」
「一人で書いた方がお前も好きなように書けるだろう」
「でも……」
「取材の協力はしている。では、俺は教室へ行く」
席を立ち、食堂を後にした。
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