手の届かない君に。

平塚冴子

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1学期

壁の向こう側の君

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意外にミーティングは長く続いた。
試合予定もさる事ながら、夏の合宿先候補で意見がわれたのだ。
僕はそんなのどこでもよく、早くあの旧理科室の様子が知りたくて貧乏ゆすりをしながら、時計を何度も見ていた。
副顧問と言ってもあくまで顧問の補佐なので実権は無いに等しい。
あみだくじでも何でもいいから、サッサと決めてくれないかな…。
時間はもう5時前にまで迫っていた。
帰宅部なら既に帰ってしまう時間だ。
「ハイ。では2つの候補地を後日、日程と合わせより良い方を選ぶ事とします。
以上!解散!」
田中先生が気合いの入った声で仕切った。
やっと、終わった…。って安心してる
場合じゃない。もう、彼女は帰ってしまったかもしれない。
僕は生徒の方を振り向きもせずに、一目散に旧理科室を目指した。

新校舎を過ぎると電気も心なしか薄暗くレトロな雰囲気をかもしだしていた。
旧校舎は足音の響きも半端ないので、ゆっくりとなるべく音を出さないように旧理科準備室前に立ち、そっと鍵を回した。
中に素早く入り、中扉の小窓を覗いてみた。
窓から差し込む夕陽のオレンジ色に染まった室内に彼女はいた。
やった。予想通り、彼女はここに放課後来るんだ。
大きな実験台は全部で8つ。前と中央に3台づつとその奥に2台ある。

彼女はど真ん中の席に座り、何かをやっている。
体の角度を変えて手元を見た。
「…ジェンガ??」
小さく声が漏れてしまったが、ドアを挟んでるため、彼女に聞かれてはいないようだった。
ぷっと吹き出してしまったが、何故かホッとして緊張感がなくなった。
腕を組みながらリラックスして様子を見た。
静かに、彼女の長く美しい指先が踊るようにジェンガを運んでいた。
「あっ、そこヤバくねぇ…危ねえ、崩れるかと思った。」
気がつくと、小さい声でドア越しに突っ込んでいた。
壁1枚を挟んでるのに、同じ空間にいるような気がする。
2人だけの…あの時間が止まっているかのような感覚。
とても、心地よくて…。

小一時間経った頃だろうか、彼女は時計を見ると、崩れる事なく積み上がったジェンガを1つづつ片付け始めた。
結局、田宮美月は来なかった。
彼女の居場所…まさにそんな場所なのだろう。
つまりは、家に居場所がないという事なのだろうか…家族との確執が?。
しかし、担任でもない僕がその領域に入る事は不可能に近いだろう。
かと言って、清水先生に協力を仰ぐなんでもっと出来ない。
遠回しの関係者からあの夏の日の事を調べるのは不可能という事だ。
やはり、彼女か田宮美月を通して真実を掴むしかなさそうだ。
彼女はジェンガを奥の棚の下にしまい込むと、帰り支度を始めた。
しばらくは、様子を見て何とか接点を持てるように画策しないと。
横目で彼女を見ながら考え込んだ。
ずっと、このまま覗き見してるだけじゃ、ただのストーカーなんだが、かと言って急ぎ過ぎて失態をさらしたくはない。
ムカムカする胸をギュッと掴んだ。
僕は彼女が旧理科室に鍵を掛けて出て行くのを確認したあと、コッソリと旧理科準備室を抜け出した。

学校からはそう遠くない場所に僕の自宅マンションはある。5階建ての最上階角部屋が僕の部屋だ。
まだ車は購入していないので近場でないと通勤に不便だのだ。ちなみに駅からは5分程度でそこそこ生活しやすいところだ。
コンビニで軽い夕食を購入し、マンションの前まで来ると、明かりがついてるのが見えた。
「!!」
慌てて携帯を見ると、付き合っている彼女から何度かメッセージや電話が入っていた。
顔から血の気が引いた。
田宮真朝の事ばかり気にし過ぎて、携帯を見るのを完全に忘れていた。
僕は、呼吸を落ち着かせて自宅へむかった。

恐る恐るドアの取っ手を回す。案の定鍵は開いている。
「…ただいまーぁ。」
「遅いー!モッちゃん何で返信してくんないのよ!」
勢いよく、キッチンから来るセミロングの彼女。

上原香苗。大学時代から付き合ってる彼女だ。
就職が決まり、一人暮らしをする事になった途端に部屋の合鍵を欲しがっだので仕方なく渡したのだが…。
「教師になってからほとんど会えてないじゃない。」
「クリスマスとかバレンタインデーには会っただろう。」
顔を引きつらせながら作り笑顔で答えた。
「とにかく、今日はビーフシチューを作ったから、食べながらじっくりと学校での仕事の事とか聞かせてよ。」
腕をぐいっと引っ張られ、コケるようにして室内に入った。
香苗は明るく、ハッキリもの事を言う性格で僕には勿体無いくらいの彼女だが、少し強引なところがある。

だから、告白された時も…。
自身満々に告白する彼女に断る事さえ選べない状況だった。
断る理由もなかった。
とりあえず、シャワーを浴びてからテーブルへ向かった。
ビーフシチューの香りが立ち込め、サラダがテーブルに華やかさをだしていた。
ちなみに、コンビニ弁当は冷蔵庫の中だ。
「教師が担任を持ったらこんなに忙しい状況になるなんて思わなかったわ。
会いたい時に会えないなんて。」
「まぁ、責任とかも出て来るし。
子供と言えど、相手は人間だし。」
ビーフシチューを突きながら答える。
「そこよね~。」
「何が?」
「モッちゃんって相手に合わせ過ぎなとこあるでしょ~。心配なのよね。」
「心配?」
「もちろん!女子高生よ!変なとこマセてるでしょう、あの年頃って。」
「ブホッ。あり得ないって。」
軽く吹き出して否定した。
「油断しちゃダメだからね!」
「僕は、そう言うマセたタイプは嫌いだから大丈夫だよ。」
安心させるように、優しく言った。
実際にそう言うタイプは本気でダメなのだ。裏の顔が透けて見える感じがして気持ち悪ささえ感じる。
色恋沙汰で盛り上がる女子高生にさえ、ドン引きするくらいだ。

「…、香苗は僕のどこが好きなんだ?」
ふと、聞いて見たくなった。
自分の事を好きになるなんて、変わってると思う。
「えー。だってモッちゃんいい人だし。怒ったりしないし…。」
なんか聞いていて虚しくなってきた。
いい人…。普通すぎる言葉。
僕には、田宮真朝や美月のような個性がない。
自分にしかない物が、良くも悪くも無いのだ…。
少し、疲れが溜まっていたせいか凄く眠気に襲われていた。
大きなあくびをする僕を見て香苗は夕食後、後片付けを済ますと帰って行った。

眠い…。ビーフシチューを食べ過ぎて半分気持ちが悪いのもあった。
僕は滑り込むように布団に入った。

『先生…ダメだよ…。』

また、あの声が聞こえてきた。
身体が重い…目が開けられない…。

『先生は…こっちに来ちゃダメだよ…。』

こっちって…なんだ…?

『ふふふふ…。』

田宮真朝の優しく笑う声が耳元で響いていた。

5月に入り中間試験が近付き、小テストの回数も増え始める時期だった。
今だ、田宮真朝との距離は近付かない。あの旧理科室と同じ、大きな壁一枚が越えられない状況だった。
せめて、担任だったら葉月達みたいに普通に話し掛けられるのに。
あの四月の間違いから1ヶ月…。
声を掛けてみようか…。
しかし、そんな勇気は出て来なかった。キッカケが…何かしらのキッカケががあれば…。
そんな事を考えながら彼女のいる4組で採点後の小テストを返却して行った。
「えー、田岡。次…田宮。」
彼女は流れるように小テストを受け取った。
そのまま、いつも通りすぐに席に戻ると思ったが今日は違っていた。

教壇前に立ち止まり、小テストを見た途端、僕を見つめながら小テストを突き返してニッコリ笑った。
「先生、採点ミス。しかも2問。」
「!えっ?!」
いきなりの指摘に焦って答案を確認する。確かに、彼女の言う通り2問しかも連続で正解にも関わらず思い切りバツがしてあった。
「2問とも合ってるのに、バツが。それとも、気に入らない生徒へのプレゼントかしら。」
挑発的な態度だった。いきなり突き放すようなキツめの口調。
驚きと、焦りで僕はまた…。
やってしまった!口が滑った!
「たかが、これくらいの点数で…!」

何言ってんのー!!この口はあぁぁ!
言った後で思考回路が崩壊した。
クラス内がざわついた。
当たり前だ1ヶ月前にバトった2人がまたいきなりバトったのだ。
「ヒュー!田宮いいぞー!」
バカな男子がはやし立てる。
僕は、無言で丸を付け直し点数加算して突き返した。
クスッと彼女が笑った気がしたが、すぐに席に引き返して行く後ろ姿に確認出来なかった。
僕は、泣きそうな気持ちだった。彼女との間の壁がさらに分厚くなったのだ。

終業のチャイムがなっても動けなかった。
ショックがデカすぎだった。
何なんだ、あの挑発的な態度は…まるで僕を遠ざけるかのような…。僕は、彼女に嫌われてるのか?
ザーッと外が急に暗くなり雨が降り出した。
ほとんどの生徒達は廊下に出たりして、教室には残っていなかった。
「先生~。やっちゃったね。慰めてあげようか?」
牧田銀子が面白がって顔を覗きにきた。
「うるさい。別に気にしてない。」
本当は超マジで気にしてる…!!
「ふーん。耳まで真っ赤で可愛い~の。あははは。」
「からかうな!!」
指を指して笑う牧田から逃げるように教室を出た。

胸がムカムカする。苦しくてたまらない。
職員室まで後数メートルというところで僕の足は止まった。
階段を上りきった正面の出窓に、彼女が…田宮真朝が窓ガラスにおデコをくっ付けて寄りかかっていた。
足を止めた僕に気が付いたようだ。
「田宮…そんなに、僕が嫌いなのか?」
自然と口が動いてしまった。
自分で言って苦しかったが、聞かずにはいられなかった。
「先生は…雨は好き?」
「?好きじゃないが、今そんな事…!」
「ふふ。私は好きよ。この音も、窓ガラスに付いた雫が筋を作って流れ落ちるのも…。やっぱり、先生とは合わないな~。ふふ。」
そう言って、雨の雫が出す反射の光に照らされて微笑む彼女はとても魅力的だった。美しいパステル画を見ている感覚だった。
僕は怒りも忘れて、ただその場に立ち尽くして、その情景に見とれてしまった。
こんなにも近くにいるのに、彼女はいつも僕の前の壁の先で笑っているのだ。
また、胸の奥がムカムカしはじめた。

職員室では机に顔を押し付けて落ち込んでいる僕を、清水先生はチャンスとばかりにイジってきた。
「武本~。お前はそんなに世渡り下手だっけ?2度もやらかすなんてー。」
「判ってますよ。十分すぎるくらいに。自分の力の無さに。」
「おっ、毒吐かねえの?」
「それほど、僕だってメンタル図太くありませんよ。」
「ふーん。でもよ、これで単なる1教師ではなくなったのかもな…。」
「えっ?」
「嫌われたのかもしれないけど、彼女の記憶には残る教師になった訳だ。」
意味深な発言に首を上げた。
「どういう意味ですか?」
「基本的に生徒なんてものは大人になっちまえば、担任の先生だったやつの事さえ全員は思い出せなくなる。でも、印象の深い教師は何かと憶えてるもんだろ。」
「全然嬉しくないでしょ、それ。」
思わず、力が抜けた。

好かれてる教師はそれでもいいが、嫌われてる教師は一生恨まれるって事じゃないか。
「そうかぁ?俺だったら、忘れられるくらいならって思うけどな。」
「変人ですからね。清水先生は。」
「おっ、やっと毒吐いたな。ははは。」
これでも、励ましてるつもりかよ。全く変わってる。
でも、少しは楽になった気がした。
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