手の届かない君に。

平塚冴子

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1学期

彼と彼女と僕の距離

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中間テストも無事に終了した5月中旬。
採点中の僕の机の上で内線電話がけたたましく鳴り響いた。

ピピピピピピピピ!!
ガチャ。
「はい、武本で…。」
「武本先生!今すぐに事務局に!早くー!」
プチッ。ツーツー。
事務局のおばちゃんからだが、何やら悲痛な叫びに異常事態を感じて猛ダッシュして職員室の階段を走り抜けた。
その異様な光景に足が止まった。

何なんだ…?
1階の事務局前にかなりの女生徒がむらがっていた。
とりあえず、生徒を掻き分けて事務局内へ入った。
事務局には見かけないブレザーの制服の他校生2人が立っていた。
2人とも男子生徒で1人は爽やかなスポーツタイプのよくいる部長やってます~みたいな男子。
問題はその後ろに立つもう1人の男子生徒だった。
185cm以上はあろうかという身長に、均衡の取れた身体つき、サラサラヘアーに鼻筋が通ってて瞳も大きな超イケメンが女生徒に軽く手を振って立っていた。

「あっ。えーと武本ですが…。」
「初めまして、南山高校のテニス部です。
田中先生から聞いていると思いますが。」
部長っぽい方が歩み寄ってきた。
「あ!」
忘れていたが、今朝田中先生が急に発熱し早退した為に、今日合同練習&練習試合の申し込みに来る他校テニス部の相手をする羽目になっていたのだ。
「えー、初めましてテニス部副顧問の武本です。」
「初めまして、南山高校テニス部部長3年の安東です。で、こいつが…。」
「お初~。1年久瀬でっす!」
…。ヤバイ奴だ…こいつ。僕の本能が呟いた。
「すいません。こいつがいると、交渉事が結構上手く行くんで、女子人気で。」
なるほどねーって、釣り竿のエサかっつーの!
心の奥で突っ込んでみた。
「確か、南山高校は今グラウンド改修中とかって田中先生から話を聞いてますが。」
「そうなんですよ。で、元々交流のある田中先生がここのテニスコートは広くて6面あるから使えるように手配してやろうって話になりまして…正式に合同練習&練習試合予定を組んでもらおうかと。」
「そうですね、でもここじゃ打ち合わせも出来ないので会議室に移動しましょう。
鍵も掛けられるので。」
え~っ。女生徒が一斉に声を上げた。
ああ!うるさい!女って奴は時と場所ってのが判ってない。
って…こいつもか…。
「じゃあね~。また今度ゆっくりね!」
久瀬は女生徒の群れにウインクしながら手を振った。
きゃ~。黄色いうるさい声に耳を塞ぎながら僕は会議室に向かった。

職員室の斜めにある会議室にはさすがに女生徒の群れも上がって来なかった。
田中先生が下準備をしておいてくれたおかげで予定を組むのはスムーズに出来た。
とは言っても、やっていたのは安東部長と僕だけで久瀬は腕組みしながら、窓の外を見ていた。

作業がほとんど終わった頃、おもむろに久瀬が僕の前のに立った。
身長差は10cmくらい…。
「1年にさ~、田宮っている?武本っちゃん。」
武本っちゃんって友達じゃねーよ。
「はあぁ?って田宮真朝…。」
しまった、先に彼女の名前が出た。
もし、違う生徒の事だったら…。
しかし、そんな心配は必要なかった。
「やった!マジだったんだ噂。
あいつ元気…じゃなくて…うーん。
とりあえず生きてるんですよね!」
「随分と失礼な言い方だな?知り合い…?中学の同級生…?」
「まぁ幼馴染みに近いかな…。
チョット特殊だけど。」
特殊ってどういう仲だよ。
久瀬は胸ポケットからメモ用紙を取り出すとサラサラと記入して僕のポケットにソレを押し込んだ。
「俺の携帯の番号とアドレス。
彼女に渡してよ。絶対に。」
「なっ!何で僕が??」
「武本っちゃんがっていうより、他のルートじゃどれも妨害ありそうだし。
教師なら確実だろ。」
「待て待て。僕は担任じゃないし!
しかも嫌われてる…。」
思わず口が滑った。
すると久瀬が不思議そうな顔をした。

「嫌った…?彼女が…ソレを態度に…?!
そっか、なるほど。」
「とにかく、無理…。」
「いや、やっぱり武本っちゃんじゃなきゃダメだ。
仲直りする口実にでも使ってよ。
あと…。」
そういうと久瀬は急に僕に覆いかぶさるような仕草で、腰を探り後ろポケットの僕の携帯を抜き取った。
「うぁっ。返せこら!」
「先生の連絡先も交換ね。
俺、武本っちゃん気に入ったし。
色々相談に乗ってよ先生!」
こっ小悪魔か貴様は!
僕の手を握り勝手に指紋認証のロックを解除して、久瀬は勝手にアドレス交換をした。
しまった。

「久瀬~!頼むから他校での騒ぎは辞めてくれ!一応南山高校はエリート校なんだぞ!
イメージが!謹んでくれ!!」
安東部長が半泣きで久瀬を僕から剥がす。
「残念~。タイムリミットか。」
口を尖らせる久瀬を力づくで安東部長がドアの前まで引っ張った。
「武本先生、今日はありがとうございました。し、失礼します!」
「バイバイ~。頼んだよ武本っちゃん。
まったね~。」
バタン。
2人は会議室を出て行った。

僕は頭の中が混乱して軽い頭痛を起こしていた。
ひたいに手を当てて、考える。
何だ今の出来事は?
うな垂れながら椅子に座った。
待て、とりあえず整理して考えよう。
久瀬は田宮と以前からの知り合いなのだ。
しかも、久瀬からすると、田宮の僕への態度は珍しい事のようだ。
そして、このメモ…。
久瀬…和也。
彼女との連絡を取るには僕でなければ、妨害されると…。
ファンにだろうか?
しかし、知り合いや友達などを介する事は無理だったのか?
教師なら確実って、普通、教師を介してこういう事をするものだろうか?
…また更に彼女の謎が深まった気がした。
「はあ。久瀬のヤロー変なミッションさせやがって…。
今の状況でどうやって彼女に渡せって言うんだよ。」
僕は彼女に嫌われてるって言うのに。

『先生とは合わないわ…。』

優しい口調で、あんなに否定されると本気で嫌われてるとしか思えない。
僕はメモを再びポケットにしまうと、ゆっくりとした歩調で職員室に向った。

「おう!事務局で騒ぎがあったらしいな。
アイドル並みのイケメンだとか。
女教師まで走って行ってたぞ。」
清水先生は相変わらず下品な笑い声を上げていた。
「そのイケメン、少々問題ありそうな性格でしたよ。
…そだ、清水先生にお願いしたい事が。」
担任にメモを渡せば、速攻問題解決するはず。
僕は胸ポケットからメモを取り出し、清水先生に渡そうとした。
「あん?」
「そのイケメン、田宮真朝と連絡取りたいから渡してくれって。
清水先生、田宮に渡しておいてくれませんか?」
「…。ヤダ!」
「はぁ?なんで!」
「お前が頼まれたんだろ。
自分でどうにかしろよ。」
「何の意地悪ですか?!無理でしょ!
僕が渡すなんて。
万が一渡せたとしても、他の生徒が見たら誤解されますって!」
「知るか!仲直りするいい機会だと思えよ~。」
ニヤニヤしながら、意地悪そうな顔でソッポを向いた。
「あ~もう!僕の周りの男供はこんな奴ばっかじゃないか!久瀬といい!」
ふてくされながら、僕は頭を抱えた。
久瀬は彼女が好きなのか…?
なんか全然お似合いって感じじゃないけど。
とにかく、また胸のモヤモヤが倍増した事には変わりなかった。

結局、メモを渡せないまま4日が過ぎていた。
「シミ先~。もう、休憩時間だから携帯返してよ!」
職員室にダラダラしてガムを噛みながら牧田銀子が入って来た。
「お前な~せめて、音切っとけよ。
俺もそうそうフォロー出来んぞ。ほら。」
清水先生は没取箱から派手な携帯を取り出した。
「あんがと。シミ先って話わかるから助かる~。ありっ?武ちゃん、なんか暗い顔だね。
また、生徒とバトってたりして~。」
牧田がくるりと向きを変えて僕に話しかけてきた。
「してね~…してない。」
生徒の手前口調を直した。
そう言えば、牧田は予想外だが田宮とよくつるんでるな…チャンス到来!
「牧田、実は頼みが…。」
「あ~、あ~~。ダメだな。
武本はすぐショートカットしたがる。」
清水先生が言葉を遮るように声を上げた。
チッ。思わず舌打ちした。
「何、なーに?」
牧田が興味津々で身体を乗り出してきた。
「こいつ、今だに田宮とのケンカ気にしてんだよ。かっこわりーだろ。」
清水先生は僕を指差して言った。
生徒の前であんたは何を暴露してんだよ~~!!
「ふ~ん。何だ、そんな事。
じゃあさ、協力してあげようか?」
意外な提案だった。
牧田も清水先生同様に面白がると思ったのに反応が違った。
「私さー、まーさに助けてもらってばっかじゃん。頭も悪りぃし。
でもさ、少しは恩返し…したいなって。
ここで、武ちゃんとのケンカもスッキリさせてあげたいなーなんてね。」
「牧田…お前…見た目と違っていい奴だなぁ。」
とっさに食いついてしまった。
「…褒められ…たんだよね。
何か嬉しく感じなかったけど。
シミ先も協力してよ。」
牧田は清水先生にウインクした。
心強い味方がやっと現れた感動が胸を躍らせた。

牧田が職員室を出た後、清水先生が思い出したように言った。
「そーだ。証明写真の廃棄したか?
忘れないうちにシュレッダーにかけておけよ。」
「あ、そうだ。そういえばもう1ヶ月以上経ちましたね。」
「早くしないと、悪い教師が悪用しちゃうかもしんないしなー!」
「誰が悪用するんですか?あんたじゃあるまいし!」
僕は職員室内にある金庫の中から写真を取り出すと一応中を確認した。
そして複数枚づつシュレッダーにかけていった。

…彼女の写真…田宮真朝の写真をシュレッダーにかけるのをためらった。
本当に、牧田の手伝いで彼女との関係性が好転するのだろうか。
今までの失態が頭をよぎる。
僕はこっそりと彼女の写真を手帳に挟んだ。
お守り代わりに、彼女と少しは近くことが出来るように…珍しく神様に祈りたい気持ちだった。
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