手の届かない君に。

平塚冴子

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1学期

放課後の妄想

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「はあぁ~~。」
職員室に戻ると物凄い、地の底まで落ちていくくらい深い溜息をついて落ち込んだ。
「おいこら!机までヘコみそうだぞ。
何だよその落ち込み方!」
清水先生があまりの僕の落ち込みように突っ込みを入れてきた。
「…葉月にいきなり…キスされました。」
「ウホッ!ヤリますな若先生~。
で、まさかそれだけで、その落ち込み方ってのか?
…もっと他の原因があるんだろ。」
身体を乗り出してグイグイ寄ってきた。
「田宮真朝と牧田銀子に目撃されました…。」
「あちゃー。噂が広まって、職員会議~とかなって、
『明日から、君は来なくていい。』
なーんて校長から言われたら最悪だなぁ。
はっはは。」
他人の不幸をこんなに喜ぶなんて本当に牧師の資格あんのかよ。…毒を吐く元気すらなくなっていた。

「…で、お前はどれに1番ショックをうけてんだ?
葉月が自分に好意を持っていた事か?
変な噂が広まり、
辞めさせられないか心配って事か?
…それとも……田宮真朝に見られた事か?」
意味深な含みをもった質問に聞こえた。
「判りませんよそんな事!」
逆ギレ全開で反論した。

「おっ、落ち込む奴もいれば、有頂天で目の前がピンク色の奴もいるぞ。」
清水先生の視線の先には岸先生が緩みっぱなしの顔で職員室に入って来た。
「あっれ~。どうしたんです?
武本先生、死神にでも取り憑かれた顔して。」
「岸先生こそ、物凄い緩んでますよ。
顔の筋肉。」
「判ります~?いゃ~武本先生のお掛けですよ。
先生のアドバイスのお掛けで彼女と上手くいきまして。」
「…あ、そですか…。」
「ぷぷっ。他人の幸せ気にして、自分は地獄落ちってか?」
清水先生が嬉しそうにディスってきた。
「武本先生、彼女さんと上手くいってないんですか??」
「あ、いや…違うんです。
ちょっと生徒とトラブってるだけで。」
「落ち込んでる時は、好きな娘に相談するのが1番ですよ。
勇気をくれます。」
「はぁ。」
香苗に相談して僕に勇気…ないわ~。
全然想像出来ない。
それどころか、根掘り葉堀り余計な詮索をされそうだ。

「あ~、めんどくせえな~。」
急に、清水先生が声を上げた。
「いきなり、何すか??」
僕は思わずタメ口をきいた。
「こい!昼飯食うぞ!」
「はあぁ?」
いきなり僕の首根っこを捕まえると引きずるようにして職員室から食堂へ移動した。

大掃除の今日は半日で生徒達はほとんど帰宅していて、部活動や生徒会の生徒数人しか食堂にはいなかった。
あ…。僕の目に、田宮真朝が1人で食事をする姿が目に入った。
「半日の時は必ず1人で食事をしてる。ほら、行くぞ!」
勝手にラーメンを2つ頼むと、清水先生は彼女のテーブルに向かった。
ち、ちょっと、心の準備があぁ!
「田宮、ここ座るぞ。」
清水先生が勝手に彼女の斜め前に座った。必然的に彼女の正面に座る事になった。
心臓が飛び出しそうだった。

「率直に聞くが、お前こいつが葉月にキスされたの見たんだろ。」
「ブホッゲホッ!」
直球すぎるくらい直球で清水先生が田宮真朝に問い掛けた。
僕は思い切り、むせ返ってしまった。
「…そんなに、気にしてるんですか?
大丈夫ですよ。
口止め料もらいましたし。」
「口止め料?お前…何したんだよ。」
清水先生は冷めた眼差しを送ってきた。
「違うっ!だから…その…。
飴を渡しただけで…。」
テンパリ具合がハンパなかったのか、彼女がぷっと吹き出した。
「先生、いくら何でも葉月さんが強引に先生にキスした事くらい解ってますよ。
先生にはその気がないのは誰が見てもハッキリしてましたよ。」
軽く、まぶたを伏せながら優しい声で彼女は答えてくれた。

肩の力が抜けてホッとした。
「良かった…。」
思わず声が出てしまった。
「でも、先生。葉月さんはその反対に真剣だとも…。
気を付けて下さいね。
彼女さんとかいるんですよね。」
「!」
ホッとしたのもつかの間。
彼女は釘を刺さしてきた。
「ふ~ん。田宮はこいつが、彼女持ちって知ってたんだ。」
目を細め、清水先生は彼女を見た。
「噂とかですけど。
いてもおかしくないんじゃないですか?」
「だってよ~。武本先生。」
清水先生がニヤニヤして振ってきた。
僕は言葉を返す事が出来なかった。

黙って、彼女の仕草に目を奪われていた。
長く伸びた指先…オムライスを運ぶスプーンが彼女の唇の上に乗る…うつむき加減で長く伸びたまつげが揺れる…。
「あ!ごめん。」
「いえ。」
向かい合ったテーブルの下で膝と膝がぶつかった。
さっきまでの緊張とは全く別の緊張が僕を襲っていた。
でも、心地よい緊張感だった。
彼女と食事をしている…。普通は仲のいい人との距離感で…。
アナログ時計の秒針のように心臓が波打っていた。

もし…キスした相手が、葉月じゃなくて…彼女だったら…目の前のあの…小さな赤い唇だったら…僕は突き放していただろうか??

ガツッン!!
いきなり尻に衝撃が走った。
隣にいた清水先生が横から椅子を蹴りあげたのだ。
「なにすんですか!もう!」
危うくラーメンをひっくり返しそうになった。
「ふふふ。仲良いんですね。
清水先生と武本先生って。
お邪魔しちゃ悪いので、そろそろ私は失礼します。ごゆっくり。」
彼女は半分まで食べたオムライスを持って席を立ってしまった。
隣では、物凄い呆れた顔で僕を見る清水先生がいた。

「お前の今の顔。すっげーアホヅラしてたぞ。
写真撮っとけば良かったな。
変な妄想してんじゃねーよ。
生徒の前だぞ。」
「なっ!してません…アホヅラなんて…妄想なんて…!」
…本当はしていた。
清水先生にバレてたって事は、まさか彼女にも…ひゃ~~!!
僕は無性に恥ずかしくなって、自己嫌悪に陥った、。
葉月とあんな事があったからって彼女相手に…妄想するなんて…。
僕の頭の中の田宮の存在が大きすぎるのだろうか…。
「ったく。俺の周りの奴は、どいつもこいつも…。」
頭をかきむしりながら、清水先生はイラついていたようだ。
「へっ?どういう意味です?」
「…教えるか!スケベ教師!」
「はあぁ?あんたに1番言われたくない言葉ですけどそれ!」
「妄想…だけにしとけよ。
引き返せなくなってからじゃ遅いんだからな。
覚悟がないなら本気になるな。 
生徒の前では教師の顔してろ。」
清水先生は時々、怖いくらいに真剣な忠告をしてくる。
「…わかってますよ。」
口を尖らせながら言ったものの、自分の行動と気持ちのアンバランスさに、僕自身困惑していた。  

これは恋愛なんかじゃないはずだ…。
気になってるだけで…。
だって、胸の奥のモヤモヤはあの夏の日のものなのだ。
謎が…僕の心を惑わせてるだけなんだ。
好きとか、嫌いとか、愛してるとか、きっと違うものだ…。                        
全ての事が解決すれば、僕は彼女を周りの生徒と変わりなく接する事が出来るはずなんだ…。      
これは迷いだ…長い秘密の迷路を…迷ってるだけだ。
この迷路を抜けて、光さすゴールに辿り着く事が出来たら…。                       
この胸のモヤモヤは晴れて、きっとスッキリ出来るはずなんだ。
………これは恋じゃない。
僕は自分に言い訳し続けた。

                                                       
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