手の届かない君に。

平塚冴子

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夏休み

彼女の瞳に映る僕

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あの夜から僕はしばらく旧理科準備室に行けなくなっていた。
自分で自分が解らなくなっていたからだ。
田宮は夏休み中も学校に来ているはずだと牧田情報で知っていたものの、彼女を見る勇気が出なかった。
彼女の姿が頭から離れない。

そうこうしてるうちに、テニス部合宿の日になった。
高原にある合宿所は結構新しく、施設も充実している場所だった。
もう、何日も田宮とは会っていないのに、離れれば離れるほど頭の中に彼女の映像が浮かんで僕を悩ませた。

「武本先生ー!お久しぶりです。
1学期はうちの部にコートを使わせて頂きありがとうございます。」
コート裏のベンチに腰掛けてると、
南山高校テニス部長の安東が、爽やかな笑顔で向かってきた。
「あ、いや僕は別に副顧問なんで、何も…。」
「えー、おそらく、ウチの久瀬が先生にご迷惑を掛けてますよね。
本当にすいません。
悪いヤツじゃないんですが、度が過ぎるところがありまして。
もし、今回の合宿で何かあったら、すぐに僕に連絡下さい。
しっかりとお灸を据えますので。」
安東部長は真面目に深々と頭を下げた。
「気を使わずに…。って何かあったらって…想像したくないです。
何か、お母さんっぽいですね。安東部長は。」
「はぁ。よく部員から言われます。
オカンって。
兄弟が多い家庭で育ったせいか、周りの面倒を見る癖がありまして。」
頭をかきながら照れたように話した。

「部長~!武本っちゃん取らないでよ!俺のなんだから~~。」
悪魔の声が背中から聞こえた。
「誰だが俺のだ!」
僕は思い切り否定した。
「やだな~照れなくてもいいのに…痛っ。」
ガッ。安東部長がラケットの枠で久瀬の頭を叩いた。
「だーから。それを辞めろって。」
「オカンのヤキモチかよ~。」
「ヤキモチなんか焼くか。
僕はメチャクチャ女好きだからな。
ほら、向こう行くぞ。」
「あー!待ってまって。
武本っちゃんにこれを渡そうと…。」
久瀬は僕に、南山高校のタイムスケジュールを手渡した。
「ほら、大浴場の使用時間は学校別になってるから、ウチの時間教えないと。
一緒に入りたいし。」
「何で!僕とお前が一緒の風呂に入らなきゃならないんだ!」
「えー。こんなイケメンのナイスボディー、間近で見られるんだよ。
しかもオールヌード!」
「いらんわ!ヤローの裸には一切興味はねぇ!」

「ふ~ん。じゃぁ…田宮のだったら見たい?裸。」
「なななーに。何を言ってんのかなぁ。
久瀬君は僕を怒らせたいとかかな?」
「…冗談で、そんなに動揺されてもね。
ふ~ん何かあったね、これは。」
「!!」
墓穴掘ったー。
久瀬の罠にアッサリと引っかかった。
「じゃぁ、また後で。夜にでも。」
久瀬は思わせぶりな笑みを浮かべ、安東部長に引きずられて行った。

「はああぁ。」
一瞬にして、疲れた。
久瀬に僕の動揺がバレた…。
まさか、田宮に変な事言わないだろうな。
不安が胸をかき乱した。

食事と入浴時間を過ぎて就寝前の自由時間、僕の携帯が鳴った。
ブルルル。
「…はい。」
「ヤッホー。武本っちゃん、ちょっと2人で外散歩しようよ。」
「何で2人で散歩なんだよ!?」
「…他人に聞かれたら困るでしょ?」
「あ…!わかった。5分後ロビーで待ち合わせしよう。」
「話がわかる相手で助かるよ、武本っちゃん。」
僕は田中先生に一言断って、半袖のTシャツの上にジャージを羽織り、ロビーへと向かった。

「じゃぁ、行こうか。武本っちゃん。」
ロビーに着くなり、急ぐようにして久瀬と僕は合宿所を出た。
ウチの女子部員に久瀬を見られたら大騒ぎになるからだ。
合宿所の裏にある自販機前で立ち止まった。
街灯の明かりの下飲み物を片手にベンチに座った。

「…で、武本っちゃん。
どこまで知ってるの?俺と田宮の事。」
いつものように、ふざける気配は何もなかった。
「どこまでって…。同級生とか。」
「それだけじゃないよね。
本当、嘘つきだな。武本っちゃんは。」
「…田宮にも…言われたな。」
嘘つき…。彼女の声が耳元で聞こえた気がした。
「知られたくない、言いたくない…でも自分は知りたいなんて、ダメだよ。
知りたいなら、ちゃんとリスク負わなきゃ。」
腕組みして久瀬は僕を見据えた。
「何か、大人だな。
久瀬といい田宮といい。
確かに…そうかもな。
リスクを怖れてるのかも…。
…勉強会って何なんだ?」
意を決して、僕は久瀬に向き合った。
「そっか…この前の話し、立ち聞きしてたんだ。」
「すまない。田宮の事が少しでも知りたくて…。」
「詳しくはまだ話せないけど…言える事は、あの頃は参加者全員が《死にたがってた》って事だね。」
「全員って…久瀬…。まさかお前も…??」
久瀬は哀しげに笑ってみせた。
「そして、田宮がその感情を全て背負った。
全員分の死にたい感情を背負ったんだ。」
「久瀬…!?」
「言ったろ。俺は田宮のファンだって。」
「…彼女自身は、まだ死にたいと思ってるんだな。」
「安心しなよ。自殺はしない。
どんなに死にたくても…彼女には自殺出来ない訳がある。」
「自殺出来ない訳…?田宮美月と家族の事が関係してるのか??」

「…踏み込み過ぎかな。
これ以上は田宮に嫌われちゃう。
こっから先は田宮自身に聞けるように、武本っちゃんが成長しないと。
ヒントはここまでだ。」
「田宮…自身に…。」
凄く難しい宿題だ。
彼女が僕にそんなプライベート事を話してくれるだろうか?…いや、無理だ。

「くくっ。武本っちゃん。なんだよその顔。
まさか、マジで田宮に恋しちゃった??」
「!!なっ。えっ。」
「恋に悩む少女かと思ったぜ、今の切ない表情。」
「いやっ、違う…。」
魚のように口がパクパクして上手く喋れなかった。
脂汗まで吹き出てきた。
「僕には…結婚を前提に…付き合ってる彼女がいる…。」
思わず久瀬に教えてしまった。

「……ふーん。でもさ、武本っちゃん、田宮の唇に触れたいと思った事ない訳?」
屋上の映像が鮮明に蘇る。
彼女の間近で見た、赤い唇…。彼女の吐息…。
一気に耳まで赤くなった。
「ハハハハ。だから、嘘つきなんだよ。
武本っちゃん。
田宮が見てるあんたは…もう1人の本当のあんただ。」
久瀬は笑いながらも、瞳の奥を光らせて真剣に言った。
「もう…1人の本当の僕…!?」
僕は戸惑った。
彼女に映る僕はどんな風なんだ?
「いやー。マジ可愛いな、悩める武本っちゃんって。
やっぱタイプだわ。」
「ち、茶化すな!」
こっちは真面目なんだぞ!
真面目に…彼女の事を…。
…何だろ、急に彼女に会いたくなった。
彼女の声が聞きたくなった。
彼女の側に寄り添いたくなった…。
胸の奥がムカムカする…。
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