手の届かない君に。

平塚冴子

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夏休み

最低な僕

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夜7時を回った頃に彼女が帰宅して、僕は絵を確かめる為に旧理科室に入った。
電気を付けて広い室内の奥に押し込められたイーゼルの方へ歩いて行った。
さっきまで彼女が描いていた絵はイーゼルに乗せられ、布がかけられていた。

スルリと布を剥がしてみる。
あの、深い迷路のような森に、溶け込む色で、森を抱く女神の姿が描かれていた。
「すげぇ。」
やっぱり、彼女の描く絵には迫力があった。田宮美月は彼女のこの才能だけは認めているようだ。
しかし、何故この絵を依頼してるんだ?何に必要なんだ?
田宮美月が自分に特でもないものを頼む訳がない。
どういう特になるんだ?そして彼女はどうして利用されてるんだ…?
顎に手を当てて、しばらく考えたものの、それ以上は判らなかった。

「あ、そうか。スケッチブックが他にあったっけ。」
僕は棚に隠すように下段に置かれているスケッチブックを取り出した。
3冊のスケッチブックを1冊づつ開いていく、幾つものデッサンが描かれていた。
「…絵の事は詳しくないから、専門家に聞いてみようかな?」
ふと、そう思い、携帯のカメラで彼女描いた絵を撮って行く事に決めた。
最後のスケッチブックを開いて、僕は驚いた。

見た事がある…!しかも去年の夏のあの日に!しかも、これは…。
赤い、激しく燃えるような鳳凰。
文化祭のポスター!
えーと。整理して考えると、彼女は去年、ここの生徒ではなく中学生だった。
その彼女の絵が、この学校の文化祭のポスターになってる。
しかも、これは生徒会の文化祭実行委員作となっているはずだ。
??
ダメだ、あともうちょっとのところで答えに辿り着けない。
「くそっ!何なんだ一体!」
苛立ちながら、彼女の描いた絵を全て撮影した。

結局、あれ以上の事が解らないまま、2日が過ぎた。
今週末には香苗の両親に会いに行かなければならなかった。
「はぁ。」
テニス部の仕事を終えて、職員室で溜息をついていると、4組の映像研究部員の石井が僕に声を掛けた。
「良かった出勤してたんですね。
武本先生、実はどうしてもお願いしたい事が…。」
僕に…?あまりこいつと接点を持った記憶がない。
田宮とは仲良くしてたな…そういえば。
「実は、コンクールに出す動画制作の為にどうしても、武本先生に出て頂きたいのですが…。」
「はあ?出ない!知るか!」
僕はとっさに冷たい態度を取ってしまった。
「頼みます!どうしても先生じゃなきゃダメなんです!」
「なんでだよー!若い教師なら岸先生だって!」
「岸先生じゃ、絵的に問題あります!心霊動画になっちゃいますから!」
「僕だって絵的にはインパクトねぇぞ~!」
「頼みます!夏休み中に仕上げたいんです。
出演者の条件が武本先生なんです!」
「条件?出演者って?」
まさか、葉月じゃないだろうな。
厄介な事には足を突っ込みたくないんだが。
「言えません!でも、主演は牧田銀子さんです。」
「だはっ。」
思い切りコケた。
それは、面白動画じゃねーかよ。
インパクトはあるだろうが…。
あれ、でも牧田が主演…石井は田宮とこの前仲良くしていた…まさか…な。
「撮影現場の宿泊先も先生の参加が条件なんです!」
「だから、何で僕を条件に出してんだよ!って泊まりか?しかも。」
「先生…助けると思って…。」
涙目で頼む石井に根負けしてしまった。
「僕だって予定がある。
8月末なら大丈夫だとは思うが…。」
「ありがとうございます!感謝します!」
なんか、ぐったりした。
どいつも、こいつも僕の意見は聞かず夏休み中予定だらけじゃねーかよ。
田宮…来るかな…。
牧田が連れて来てくれるといいけど…。
チャンスがあれば…あの絵の事…。

週末、新しいスーツを着て、レンタカーを借りて、僕は香苗と彼女の実家に向った。
彼女の家はごく一般の家庭で、ひとり娘の恋人を優しく受け入れてくれた。
話しはトントン拍子と言うか、香苗主導で婚約まで話が決まった。
夜に祝いの宴をして、僕はかなり酔った為にこの香苗の実家で一晩過ごす事になった。

酔いを覚ます為に部屋の窓辺に立っていると、香苗が後ろから抱き締めてきた。
「おい、実家だぞ…流石に今日は…。」
言うか言わないかのうちに香苗は僕の唇に自分の唇を重ねた。
「だって、最近ご無沙汰なんだもの。
ね…モッちゃん。」
粘り着くような香苗のキスに抵抗出来なかった。
でも、気分が中々乗らない…。
この唇じゃない…あの赤い…果実のような膨らみの唇だったら…。
この腕が…あの白い透明感のある腕だったら…。
………田宮…!!
頭の中に田宮真朝が浮かんだ途端、身体中が熱くなった。
僕は…むさぼるように香苗にキスをして激しく抱き締めた。
そして…僕は…香苗の向こう側に…田宮真朝を感じながら一夜を過ごしてしまった。

僕は…最低だ…!
自分が自分でいる事が腹立たしかった。
切なくて…悲しかった…。
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