手の届かない君に。

平塚冴子

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2学期

運命は僕に逆らう

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僕はクタクタになりながら自宅マンションに辿り着いた。
鍵を回そうしたが、鍵が開いていた。
「まさか…!」
僕は勢いよくドアを開けた。
室内はカレーの匂いがしていた。
「モッちゃん。お帰りなさい。遅かったのね。」
「香苗!なんで、いるんだ?」
キッチンにエプロン姿の香苗が立っていた。
「婚約者が部屋に出入りしたって、不思議じゃないでしょ。鍵だってあるし。」
「そういう事を言ってるんじゃ…。」
「同棲。同棲しよう。モッちゃん。」
「へっ?何て?」
思考回路が一時停止した。
同棲って…待て!僕は別れを切り出したんだぞ!何で同棲なんだ!?
「やっぱり、離れ過ぎてたんだと思うの私達。
だから女子高生なんかに…。」
「そうじゃない、違うんだ香苗!」
「嫌…私を捨てないで!」
香苗は僕に抱き付いてきた。
「香苗…。」
いつも強気な香苗が、泣きそうな瞳で僕に懇願してきた。
どうしたらいいんだ…。
「僕は…君を…心から…愛せない。」
そうだ…さっきまで、僕は田宮と…。
彼女が欲しくてたまらなかったんだ…。
「構わないよ。
モッちゃんが側に居てくれるだけでいいの。」
僕は…優柔不断だ。
女の子に泣かれるのは、苦手だ。
「同棲したって、気持ちは変わらないよ。
でも、それで君の気が済むのなら1ヶ月間だけ同棲しよう。」
苦肉の策だった。
「判ったわ。1ヶ月で私のモッちゃんに戻してみせるわ。
やっぱり…優しくて大好き。」
「はあぁ…。」
天国から地獄ってのはこの事を言うんだな。
せっかく、田宮と楽しいひと時を過ごせたのに…その余韻にも浸れない…。
運命はどうして、こうも僕に逆らうんだ?
「大好きよ…誰よりも…。」
香苗は僕にキスをしてきた。
僕には振り払う力が残っていなかった。
せめて、田宮真朝の姿を思い浮かべる事が精一杯だった。

翌日の土曜日、部活もなく香苗に引きずられるままに買い物に出た。
昼のショッピングモールは人が多かった。
気分は最悪だった。
今だって、田宮に会いたくて…会いたくて仕方ないのに…。

「武本っちゃん!?」
その呼び方…その声…。
「久瀬ぇ!」
最悪に次ぐ最悪な奴が現れた。
沢山の人だかりを掻き分けるようにして、
デカサングラスに派手な帽子の芸能人張りのファッションでこっちに向かって来た。
「すっごイケメン!モッちゃんの知り合い?」
香苗が思わず聞いてきた。
「はぁーい!もしかして、噂の婚約者さん?可愛いね。」
「香苗!行くぞ!」
僕は逃げようとしたが、久瀬に思い切り抱き着かれた。
「逃げるなんて、ひっどーい。
俺と武本っちゃんの仲じゃん!」
「離せ!お前といるとロクな事にならない!」
「失礼だなぁ。
じゃあ、彼女さんと話していいの?」
「お前っ!」
久瀬はくるりと向きを変えると香苗の方に歩み寄った。

「武本っちゃんの婚約者さんだね。
初めまして。久瀬です。
その、肌のツヤ…昨晩は武本っちゃんとお楽しみだねー!大人ってエッチ!」
「えっあのっ。」
香苗が言葉に困った。
殺す!もー!
「まっ。それはそれ。で、武本っちゃんさー。
その顔…マズイって。まったく。」
久瀬は僕の顔を挟み込んで言った。
「イケメンに言われたってなあ…。」
「…田宮に迷惑がかかるよ。」
久瀬の眼の奥が光った。
「えっ…。」
「そんな顔されたら、あいつ武本っちゃんを放っておけなくなる。
学校ではもっと、しっかりしてくれよ。」
「どういう意味だ!?」
「それは…教えられないな。
じゃあね。安東部長と買い出しの約束してっから。まったね~。」
久瀬は風のように去っていった。
田宮が…僕を…放っておけない…?
田宮の迷惑になる…?
んん?ダメだわかんね~。
「モッちゃん。早く買い物しよう。」
香苗が僕の腕を引っ張った。
「あ、ああ。」

清水先生は、田宮の勉強会での話しを深く理解しろと言った…。
朝と顔が違うとも…。
もしかして…田宮は牧田の為に…あれを行なったのではなく…僕の為に行なった?
あの雑談の話し…あれには別の意味が…?

僕はまた…田宮に会いたくて仕方なくて…。
「香苗!すまない!」
僕は普段着のまま、学校に向かって走り出した。

オシャレメガネにジーパンに黒Tシャツ、半袖の青いシャツを羽織った格好で学校に来るとは、自分でも思わなかった。
そこらの大学生だよ。これ。
学校まで来ると、ちょっと恥ずかしくなり
職員室へは行かず、コソコソと旧理科準備室へと直行した。
旧理科準備室に入るといつものモモちゃんから白衣を取って羽織った。
白衣を着て少しはマシになった。
とはいえ、大学生が大学研究員になった程度だが…。

中扉の小窓を覗き見たが、田宮は来ていなかった。
休みか?文化祭の準備か?
とりあえず、旧理科準備室を出て探す事にした。
なるべく、出勤してる先生や、生徒に会わないように注意を払って3階から探し回った。
だが、4組の教室にさえ彼女はいなかった。
休みなのかと、食堂まで見に行くと、食堂から繋がるテラスに彼女の姿があった。
しかも、清水先生と一緒だ!
何か話している。
僕はそっと、柱の陰にまわって聞き耳を立てた。

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