手の届かない君に。

平塚冴子

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2学期

2度目のキス

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「あらやだ。
武ちゃんイライラ虫さんなのね~。」
職員室に牧田銀子が入って来た。
「なんだ、牧田か。」
「夏休みの映像研究部の写真。
すっかり武ちゃんに渡すの忘れてたのね。
ほい。」
「写真?」
牧田は僕に数枚の写真を渡した。
「そっ、武ちゃん、へべれけの写真!」
「へっ…。」
僕の手には悪夢の姿が…。
「真朝のは残念ながら約束で撮ってないの。
残念でした。」
そういえば…。
「お前、田宮と仲いいよな。
会話成り立ってんの?」
「ほよ?意味わかんなーい。
真朝とはニュアンスで通じるから。」
「ニュアンス?」
「もしかして、武ちゃん…言葉だけで会話してると思ってるの?」
「はっ?言葉だけだろ普通。」
「あっまーいなぁ。
そんなんじゃ、誰ともテレパシー使えないよん。」
「テレパシーって。宇宙人か?お前。」
宇宙人でも違和感ねぇな。牧田は。
「以心伝…し…んん?だっけ。」
「以心伝心な。」
「そう!それそれ。
恋愛を極めるにはその能力が必要なんです~~。」
そうか、牧田は妖怪恋愛アンテナ。
人の心を感じ取るのは得意って事か…。
「で、牧田…お前は田宮の言葉をどう捉えてるんだ?
たまに難しい事言うだろ。」
「わかんないものは、わかんないよ。
けどさ感じればいいんじゃん。
理解しなくても。」
なんか、すげえな牧田。
僕ももっと広い捉え方をすればいいのかもしれない。
「牧田的には、僕はどんなイメージなんだ?」
「んん?武ちゃん?優柔不断ん?
とか自分が無いとか?」
「えっ…。」
牧田の言葉にショックを受けた。
自分が…無い?
「よくわかんないけど、たまにね、誰かに言わされてるみたいな感じがするのねん。
言葉に心が乗ってないみたいな。」
「そっか。」
「でも言葉に心が乗ってないとこは、真朝も一緒だよぉ。
武ちゃん、真朝に似てるよ。知ってた?」
牧田から想像もしていなかった言葉が出た。
「へっ?似てる…僕と田宮が…?」
言いかけた途端、牧田はくるりと向きを変えた。
「もう、彼と一緒に帰るから、まったね~武ちゃん。」
「あっ…ちょ…。」
牧田はスキップして職員室を出て行った。

僕が田宮と似ている…同じ場所に立っている…?
本当に…?
僕には実感がない…もしかして…無いって事が問題なのか?
久瀬は自分の世界を壊せと言った。
僕の世界って…一体なんだ…?
田宮に逢ってから僕の周りは謎ばかりだ…。

ふと、視線を清水先生に向ける。
ん?なんか深妙な面持ちで3年の先生方と話し合ってる。
そういえば、予想外の事が起きたって言ってたっけ。
まぁ、僕は蚊帳の外なんだろうけど。
まさか岸先生と佐藤の件じゃないといいけど…。
別に教師と生徒の恋愛を否定してはいないが、自身の経験から、乗り越えなければならない障害が多すぎる。
岸先生は乗り越えるつもりなのかな。
僕よりひ弱そうなのに…。
きっと、佐藤も岸先生を愛してるという自信があるから…。
僕には…手にする事が出来ない自信が…。
何か、男としては負けてる気がした。
「僕は…見掛け倒しか…。」

僕はとぼとぼと、白衣に両手を突っ込み旧理科準備室を目指していた。
すると、田宮が廊下を走っているのが見えた。
「おい!廊下を走る…な…?」
彼女の髪、それにシャツ、スカートも濡れていた。
「待て!田宮!」
僕は全速力で田宮の肩を掴んだ。
彼女は水の滴る顔で僕を見上げた。
「ずぶ濡れだぞ!どうしたんだ?」
「雨…です。私の上だけに降ったんです。
気にしないで下さい。」
「はっ?って…冗談言ってる場合かよ!」
あ~~何でこんな時まで反抗的なんだよ!
僕は着ていた白衣を田宮に被せた。
「体操着は?」
「教室に…。」

僕は田宮を抱えるように歩いて1年4組の教室まで連れて行った。
1年4組はもう誰1人残っていなかった。
「体操着持って更衣室に…!」
言うか言わないかのうちに、田宮はベストを脱ぎ、開襟シャツのボタンを外し始めた。
「こら!せめて僕がドア閉めてからにしろ!」
バタン!
僕は慌ててドアを閉めて廊下に出た。
心臓が飛び出るかと思った。
水に濡れた開襟シャツが肌にピッタリと張り付いて…下着がハッキリ見えてしまった。
「ちくしょう。何なんだ?」
自分でも顔に熱が上がってくるのが判るくらい赤くなっていた。

ガラガラ。
田宮が体操着に着替えて出て着た。
髪の毛はまだ濡れた状態だが彼女はその髪を束ねて高い位置に団子にして来た。
まるで、お風呂上がりのように。
「すいません。
また白衣を…洗って返します。」
「いいよ。何枚もあるから。気にするな。
それより…。」
僕は両手で彼女の顔の後ろのドアに手を置いて、彼女を挟み込む状態にした。
「誰にやられた?」
僕は真剣な眼で彼女を見た。まさか田宮 美月だったら…。

「雨です。」
「…僕には教えたくないのか?」
僕はいっそう顔を近づけた。
切なかった…彼女は…僕には何も話してくれない…。
こんな状態でさえ、僕を頼ってはくれない…。
胸が張り裂けそうだった。
彼女はスッと僕の頬に手を当てた。
「私は大丈夫ですから…。」
彼女は笑った。でも、哀しそうだった。
無意識だった…。
僕は…彼女の唇に僕の唇をそっと重ねていた。

「…田宮…。」
彼女は無言で僕の腕を擦り抜け、立ち去ってしまった。
廊下の窓から風が入り込んで、僕の頬を撫でた。
まるで、彼女の手のように…。

                                                                        
                

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