手の届かない君に。

平塚冴子

文字の大きさ
上 下
99 / 302
2学期

僕からの金賞。

しおりを挟む
月曜日の朝、興奮気味で旧理科準備室にやって来た。
僕の鞄の中には、田宮へのプレゼントが入っている。
小さな赤い箱の中には『M.T』のイニシャルの入ったブレスレットが入ってる。
他人にプレゼントを渡すのに、こんなにドキドキするのは初めてだった。

そう言えば、僕は田宮から貰ってばかりだった。
机の上にあるキャンディが1つだけ入った小瓶を見つめる。
何度、弁当を作って貰ったっけ…。

そんな事を考えているうちに、彼女の足音が近づいて来た…あれ。別の足音も…。

ガチャ。
旧理科室のドアが開いた。
僕は中扉の小窓を覗きに行った。

金井先生…!

「つまり、全ては偶然だと?」
「そうですね。人は運命とか生きる意味を欲しがるけれど…本当はそんなものは自分の存在が不確かである不安から来る産物。」
田宮 真朝はコートや荷物を実験台に置いて、暖房のスイッチを入れた。
「偶然の必然という事かな?」
「そんな感じかと。」
「つまり…君が田宮 真朝である事は偶然意外の何物でもないと?」
「ですね…。でも私で良かったと思います。
他の誰かには体験させたくないですから。」
「全てを受け入れるのかい?否定しようとは思わないのかい?」
「否定だなんて…。無意味ですから。」
彼女の表情が更に透明感を増していく。
金井先生が田宮の手を掴んだ。
「でも、僕は君の現状を変えたいね。」
「それは…きっと無理です。
それに私は別にそれを望んでいません。」

彼女の絶望はかなり深いところにある。
僕は知っている彼女の立つ場所の意味を。

「私の望みは…たった1つなんですよ。
教えませんけどね…。」

僕は…それを…知っている。

「その望みは叶いそうなのかい?」
「そうね…このまま行けば…多分…。」

彼女は今も…死を望んでる。
最高の死の世界を…誰よりも…。

「最後に1つだけ答えてくれるかな?」
「何ですか?」
「武本先生に初めて会ったのはいつ?」
金井先生は僕にした質問と同じ質問をした。
なんで、そんな事にこだわってんだ?

「…去年の夏です。窓越しに一瞬見ただけですけど。」
えっ…!?覚えてた?嘘だろ…あんな一瞬。
彼女の時間も止まって見えたのか!?
「どんな印象だった?」
「…質問は1つでしたよね。」
彼女はそれ以上話さなかった。

金井先生は溜息をついて、彼女の頭を撫でると旧理科室から出て行った。

彼女はポケットの中から鏡とリップクリームを取り出した。
乾いた唇にリップクリームを塗り、唇が紅く、潤いを取り戻した。

偶然と必然…。
僕と君が出会ったのは偶然なのかな…必然なのかな…。
それを君は運命とは呼ばないんだな。

その日、僕は朝の田宮と金井先生のやり取りもあって、ブレスレットを渡すチャンスを何度か逃してしまった。
「…で、俺に相談ってね…。武本っちゃん。
どんだけビビりだっつーの!
あのさ、田宮には嫌われないってわかってんだろ!
正面から渡せばいいんだよ!」
「お前なぁ。簡単に言うけど…。」
放課後、テニス部終わりで久瀬に電話してみた。
「今すぐ行けよ!いるんだろ!
いつもの旧理科室に!
考える暇あったら行動しろよ!男だろ!」
「久瀬…。」
「言ったろ…俺は田宮を救えるのは武本っちゃんだって思ってるって。
行って来い!当たって砕け散れ!」
「散ったらダメだろ!」
久瀬に励まされ、僕は夜の旧理科室へと向かった。

コンコン。ガチャ。
旧理科室のドアを開けた。
「田宮…。」
「しっ…。」
田宮は人差し指を口に充てた。
トランプタワーを立てていた。
最後の1つを乗せようとしていた。
「田宮…話が…。」
小声で言ったつもりだった…。
パラパラパラパラ。
トランプタワーが崩れ落ちてしまった。
ぼ…僕のせいか!?
「残念。もう少しだったのに…。」
彼女は落ちたトランプを拾い始めた。
僕も足元に落ちているトランプを拾い集めていった。

最後の1枚を彼女が拾おうとした時、僕は彼女の手を握った。
「先生…?」
「田宮、君に渡したい物があるんだ。」
「渡したい物?何ですか?」
僕は意を決して、白衣のポケットの中から赤い小箱を取り出し、彼女に渡した。
「これ…。何ですか?」
彼女は恐る恐る中を開けた。
「返すなよ。その…文化祭ポスターの金賞…。僕から君への金賞だ…。」
「でも…こんな高価な物…。」
「ああ!もう!お前はっ!」
僕は彼女の左手を引くとブレスレットを付けてやった。
「君の為の物だ。イニシャルだって入ってる。
君にはそれを受け取るだけの価値があるんだよ。ちゃんと受け取れ!」
「M.Tっ…。本当だわ。
…ありがとうございます。」
彼女は恥ずかしそうに、下を向いて呟いた。
「よく…見せてくれ。」
僕は彼女の左手を取った。
白く透明感のある肌と美しい手首の曲線にブレスレットが映えていた。
「思った通り、凄く似合う。」

時間がゆっくりと流れていく…。
穏やかで…心地よい時間…。
僕が彼女を見つめ…微笑む…。
彼女が僕を見つめ…微笑む…。

この手を離したくない…。
細い柔らかい手を…。
感じていたい君の肌の感触を…。

「あのさ…。少しだけ話したいんだけどいいかな?」
「お話しですか?いいですよ。」
本当は話しなんて何でもよかった。
ただ、2人の時間がもっと欲しくて…。

僕は丸椅子を2つ並べて彼女と向かい合った。
「昔の記憶が欠けてるんだ…。」
「欠けてる…?」
「思い出そうとすると頭痛がして…でも多分大切な事なんだと思う。」
「思い出そうとしなければ…大丈夫なんですか?」
「でも…引っかかる感じが…。」
「待って下さい…!」
田宮の表情が急に変化した。
困惑したような哀しげな…。
しおりを挟む

処理中です...