手の届かない君に。

平塚冴子

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2学期

僕の上に降る雨

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職員室へ戻ると、珍しく清水先生が日曜日出勤していた。
「おはようございます。
あれどうしたんですか?」
「あ?んん。
来週の入学説明会の準備してるんだよ。
本当面倒くせぇ。」
「そうですか…。」
「…お前さあ~来週の日曜日開けとけ。」
「へっ?入学説明会は僕はいなくていいって言われてますけど!」
「ロバート先生と行ってもらいたいとこがあんだよ!」
「ええ~~っ。」
「どうせ、用事ないんだろ。
彼女いねぇし。」
「どこ行くんですか?」
「秘密~!」
「はああ?勝手だなぁ相変わらず!」
「動きやすい服装にしろよ。」
「何…させる気なんですか…?」
「秘密ったろ!必ず行け!上司命令だ!」
何なんだよ。全く。
勝手なオヤジだよ。
僕は机の上にある資料を整理した。
期末テストももうすぐだなぁ…。
12月頭に期末テスト…12月かぁ。
クリスマス…きっと彼女は金井先生と過ごす事になるんだろうな…。
「はああ。」
僕は大きな溜息をついた。

午後3時、窓に雨の雫が付いていた。
「今日は午後から大雨だっけ…。」
僕はトボトボと玄関ホールを通り、旧理科準備室に行こうとした。
まだ…金井先生といるのかな?
ふと…中庭に人影が見えた。
えっ…。

田宮が空を仰ぎ、雨に打たれていた。
「何やってんだ!あいつは!」
僕は通用口から外に出て、田宮に声を掛けた。

「田宮!雨降ってるんだぞ!」
「わかってます…武本先生。」
「早く室内に入れ!」
僕は彼女の手をグイッと引いて通用口から中に入った。
「ったく!お前は何考えてんだ!」
「…多分、先生が来ると思いましたから。」
「はああ?お前、何言って…。」
「先生が…見てるって、言ってたから。」
「あのな…ったく。」
僕は頭を抱えた。
「先生こそ…雨大丈夫ですか?」
「えっ…。」
「嫌いなんですよね。雨…。」
「別にそこまで嫌いって訳じゃ…。
とにかく、拭かないと。
職員室行くぞ!」
僕は自然と田宮の手を繋いで、職員室へ向かった。

職員室に着くと先生方は2、3人しかいなかった。
「ほら、座れ。」
田宮を自分の席に座らせた。
「うわっ。何だよ田宮!田宮ちゃん武本に何かされたのか?濡れてんぞ!」
隣の清水先生が驚いた。
「違いますよ!何想像してんですか?
田宮、いまタオル持って来るから待ってろ。」
僕はタオルとドライヤーを取りに行った。
何で雨の中なんかに…僕が見つけるって…そんなに当てにされてるのかな…実感ないけど…。

「すいません。ありがとうございます。」
タオルとドライヤーで頭を乾かしながら田宮は僕に礼を言った。
「勘弁してくれよ。まったく。
お前、傘持って来てるのか?」
「いいえ。」
「これから大雨だぞ。
清水先生。帰り送って…。」
「嫌だ!」
いきなり拒否しやがった。
「はああ?あんた担任でしょ!」
「嫌だっつてんの!お前が送ってけ!タクシーでも何でも呼べ!」
「酷くないか?何で急に…。」
「それとも、金井先生に送ってもらうか?
さっきまでカウンセラールームにいたぞ。武本。」
「!」
清水先生…まさか…。
清水先生は含み笑いをしながら僕と田宮を交互に見た。

「えっと…お。」
ええっマジ?タクシーに2人…。
「大丈夫です。1人で帰ります。」
田宮が僕を見上げて言った。
「バカ!そういう事言うな!
もうちょい甘える事覚えろよ!
可愛くないな!」
「わかってます。
でも甘え方なんてどう覚えればいいんですか?
教えて下さい。」
「この……。」

清水先生が肩を揺らして笑いをこらえているのが目に入った。
クソ牧師!てめぇが仕組んだんだろ!
田宮も、甘え方教えてくれって…口説き文句じゃねぇかよ!無意識にヤバいだろ!
僕は顔を赤くしながら彼女からタオルとドライヤーを受け取った。

「とにかく、僕がタクシーで送るから待ってろ!」
「お金かかりますよ。」
「バカ!そんくらいの金あるよ!
どんだけ貧乏だと思ってんだよ!」
「…すいません。
イメージ先行してました。」
「何だよイメージって!
貧乏性に見えたのか?
お前はどんだけ僕を下に見てんだよ!」
「プッ。下になんか見てません。」
いや!笑ったろ!今絶対笑ったよな!
クソっ!どうせ僕には威厳がないよ!
「ったく…。
僕で笑いやがって…。」
そう言いながら、僕も彼女と同じ笑顔になっていた。
…やっぱりMなのかな…?

玄関前に横付けされたタクシーに僕と田宮は乗り込んだ。
田宮の家に向かってタクシーは走り出した。
「雨って悲しみの象徴ですね。
先生は悲しい時は泣きます?」
「ああ…あ。涙腺緩い方かも…。
感情移入しやすいって言うか…。」
「じゃあ、自分が辛いより…見てる相手の辛さがダメなんですね…。」
「そう…かな…。」
あれ…何でこんな話し…。
「では、逆に相手が楽しそうにしてると自分も楽しくなる…。
優しいんですね…でも。
それって…自己犠牲の上に成り立つ幸せなのかもしれませんね。」
「えっ…田宮…何の話し…。」
「雨が自己犠牲の象徴。
自分を責める道具…。」

僕は息が止まるかと思うくらいに、息を飲んで彼女を見た。
これは…僕の記憶を…。

瞬間…僕の真上から雨が降ったかのような感覚を覚えた。
傷付いたのは彼だったのか…僕だったのか…。
お互いがお互いを守りたかった…でも…。
それが…お互いを傷付けた…。
余計な優しさ余計な思いやりがお互いの首を絞め続けた。
発狂してしまう程に…。

自分の気持ちなど…相手の不幸を招いただけだった…僕の気持ちなんて邪魔なものだった…だから…。

「武本先生!」
彼女は僕の左手を両手でしっかりと握った。
「大丈夫です。もう、大丈夫。 
泣かないでください。」
「えっ…。」
僕は両眼から流れる涙に驚いた…。
なんで…泣いてるんだ…僕は…。
田宮の右手が僕の頬に触れた。
「泣かないでください…。
もうすぐ…雨が止みますから。」
「だってこれから大雨だって…。」
「先生の上にある雨は…止みますから。
大丈夫です。」
あ…これが…久瀬が言ってた…君の能力なのか…?
君は…僕を助けようとしてるのか…。
確かに…記憶の鍵が少しだけ開いた気がした…。

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