手の届かない君に。

平塚冴子

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冬休み

オカンと姫の会話

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「久瀬の幼馴染みなんだ。
じゃあ、久瀬の事結構知ってんだ。」
「まぁ、それなりに。」
マンションを出た僕等は駅前を目指して新雪の中を歩き始めた。
何となく仲良くなってる田宮と安東の女子の会話(?)を僕と久瀬は後ろを歩きながら盗み聞いていた。
「久瀬に惚れる女子多いけど田宮さんは全然久瀬にそういう興味なさそうだね。」
「そうですね。
素材としては面白いので嫌いではありませんが。
彼には彼の道があるって思うので。」
「確かに…久瀬は1人で何処でもやってける感じあるからなぁ。
僕とは大違い。」
「安東さんは…。
家族に愛されているんですね。
そんな感じがします。」
「うん。だから余計にさ。
人恋しくなりやすいんだよな。
寂しがりやなんだよな。
実は昨日も久瀬に無理言って一緒にいて貰ったんだ。」

…えっ…久瀬が安東を誘ってた訳じゃないのか?
僕は久瀬を見た。
久瀬はニヤニヤと笑うだけだった。

「友達も家族もクリスマスイブはみんな予定があってさ。
久瀬に泣きついて一緒にいて貰ったんだ。
1人が凄く怖いんだよね。僕は。」
「じゃあ。私と逆ですね。」
「兄弟も多いし、いつも騒がしい家庭だったからさ。
1人になると自分でも何していいかわからなくなるんだ。
1人でも側に居てくれるなら僕は頑張れるんだけど。」
「でも、それが本来の人としての真理ですよ。
それぞれが個であっても個のままじゃ生きられない…それが人間ですよ。」
「ん?田宮さんて、難しい事言ってるけど…内容は優しい事言ってるね。
なるほど、久瀬が信頼するはずだ。」
「ふふふ。
それ、口説き文句に聞こえますから、今度付き合う彼女出来たら使って下さい。」
「だな!」
新雪を踏みしめながら、ゆっくりと歩く。

「良かった。
もっと落ち込んでるかと思ってたから。
吹っ切れてるみたいだ安東先輩。」
久瀬か小さく呟いた。
「お前のおかげだろ。」
「どうかな…俺は側にいただけだし。」
「安東にはそれが一番嬉しいことだったんだよ。」
久瀬は嬉しそうに笑うだけだった。

「今年のクリスマスイブはいつも以上に楽しかったな。」
「そうですね。私も楽しかったです。」
安東と彼女の会話が終わる頃、駅前が近づいてきた。

良かった…彼女にとっていい想い出になってる…。
そして僕自身にもこんなにいい想い出はなかった。

駅前に着いた僕等は、まず田宮の乗るバス停まで歩いた。
「武本っちやんさ。
バスが来るまで田宮とここで待ってあげなよ。
俺等は電車で帰るからさ。」
「電車…動いてるか?」
素朴な疑問を投げかけた。

グイッ!
久瀬が僕の耳を引っ張り囁いた。
「バカだなぁ。
電車無くても、俺ん家の車呼べば済むの!
2人にしたげるって事!」
「あ…。」

そう言って久瀬と安東は僕と田宮に手を振って帰って行った。

バス停は日曜日の早朝、しかも積雪ともあって並んでる人は少ない。
「先生…実は今日私、金井先生に呼ばれてるんです。」
「えっ…。」
「あの口紅つけて行ってもいいですか?」

彼女の質問に戸惑った。
普通なら別の男から貰った口紅をしてくなんて非常識な事だ。
…でも。僕は口紅をして行って欲しかった。
この彼女の唇は僕のものだと金井先生に示すように…。

「そうだな。
その方が可愛いかもな。
…出来ればブレスレットもして行けよ。」
「はい。わかりました。」
彼女は意味をわかってないのか素直に返事をした。

「手…寒いだろ。」
「そうですね。
あ、先生寒いの苦手でしたね。」
「うん。苦手だ。」
「手…繋ぎますか?」
「おう!」
僕の右手と彼女の左手の指を絡ませ握った手を僕のコートの中に突っ込んだ。
「何、笑ってんだよ。」
「別に。ふふふ。」
視線が合うたびに僕等は、恥ずかしさと嬉しさが混じったように笑いあった。

バスが来て彼女は帰って行った。
1人残ったバス停で、僕は自分の右手に頬ずりをして彼女の温もりを感じていた。

この後…彼女は金井先生と会うんだ…。
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