手の届かない君に。

平塚冴子

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3学期

王子のバレンタインデー6

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「今日は金井先生とのディナーは楽しめたのか?」
別に深い意味はなかった。
会話の糸口として、つい今し方の出来事を話すのがセオリーだと思ったからだ。

田宮は少し頭を傾げて、考えてから話し始めた。
「うーん。
そうですね…。
確かに高級な感じで、お姫様気分が好きな女の子なら最高なんでしょうけど…。
私には合わないかな。
ステーキ切りながら、お茶漬け食べたくなっちゃって…ふふふ。」
「わかる!それ!
確かに美味いんだけどさ。
おにぎりとか、が恋しくなるんだよな!」
「そうです!
いつも食べてる時はそんな風に感じないのに。
結局いつも食べてる物に行き着いちゃうっていうか…。」
「食べてみたいな…田宮の好きなの、一緒にこう…向かい合って。
気を張らずに食べたいな…。」
「はい…。
では、今度…。」

少し冷めたホットチョコレートのマグカップを両手で持って口へ運ぶ…君と僕の視線が交差して、口に含んだ暖かいホットチョコレートが身体に甘くてとろけるように染み入ってくる。

心地がいい…本当に…心地いい…この空気感が堪らなく心地いい…。
まるで、ずっと前からこうした関係だったと錯覚してしまう。

時間の流れの感覚がゆっくりだったせいか、気がつくと、もう11時を回っていた。
「ごめん話し込んだみたいだ…。」
「あ、本当…もうこんな時間。
…あの…先生…この前、言った事。
まだ有効ですか?」
「えっ?この前言った事…?」


『あのさ…多分…無理だと思うけど。』
『なんですか?』
『来月の14日…バレンタインデー。
その…一緒に過ごしたいんだ。』
『一緒に過すんですか…朝まで?』
『あ、うん。
あ!でもその…変な事はしない。
約束する。
…キスくらいはしちゃうかもしれないけど。
でも、今度は…2人きりで朝までいたいんだ。』
『朝まで…ですか?』
『はは…やっぱ、いくらなんでもダメだよな。
ごめん…忘れてくれていいよ。』


頭の中で先月のやり取りが、フラッシュバックした。

「はああ?って…アレは…えっと…。」
パニックだ…まさか…君の方から…。
でも、僕はそんなの…とっくに諦めてて…。
けど…やっぱり…。

「やっぱり、今更ダメですよね。」
「いや!違う!そうじゃなくて…!」
僕は思わず立ち上がって、手首を掴んでしまった。

「…先生。」
「よろしくお願いします…。
あと…朝まで…名前で呼んでもいいかな?
田宮ってのは学校みたいだし…今日は特別に…。」
「真朝って呼んで下さい。
じゃあ、私は先生…じゃなくて、正輝さん?
ふふ。
何か変な気分…別人呼んでるみたい。」
少し照れながら微笑む姿に、感動すら覚えた。

その後、僕はマグカップや鍋を洗い、片付ける間に田宮…いや、真朝をお風呂へ入れた。
お風呂から上がった真朝は白いポーチにあった着替えを着用した。
薄紫の無地のパジャマだった。
明日の学校のために、開襟シャツや靴下を洗濯したり、制服を掛けたり。
濡れた髪をタオルで拭きながら、明日の準備をしっかりとしといた。

そして、やっとひと通り終えて、落ち着く様にソファに腰掛けた。
2人でソファに座って映画を観る事にした。
少し昔の青春映画。
恋愛物でも良かったけど…盛り上がって、僕に歯止めが効かなくなる事だけは絶対に避けたかったのだ。
真朝は僕を信頼してくれてる。
その信頼を裏切る事はしたくない。

僕は真朝の左側に座って、彼女の手を繋いだ。
毛布を膝に掛けて、毛布の下でしっかりと恋人繋ぎをした。
しばらくして、ウトウトし出した真朝が僕の肩に頭を乗せた。

僕と同じシャンプーの香り…。

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