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第一話 皐月

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 ホールに入り、一息付くと、鶴天佑の声がした。
「程将軍、ありがとうございます。皐月は今日が初めてで。緊張していると思いますが、よろしくお願いします」
「ああ……」
 まさか皐月の相手が真波さんだったとは。真波さんは無表情気味だけど真面目なイケメンだと思ってた。なんとなく妓楼には来ないタイプかと……。
「さあ。お部屋へどうぞ」
 促されるままに、二階へと上がる真波さんについて階段を上がる。ようやく靴を脱げてほっとした。しかし階段急だよな、と思っていると、また手が差し出された。真波さんはやっぱり紳士だ。
 鶴天佑の導きで、二階の一室にたどり着いた。中に入ると、そこは割と広々とした一室だった。衝立で仕切られているから、部屋の正確な大きさはわからないが、衝立のこちら側はゆったりしている。
「どうぞ、ごゆっくり」
 鶴天佑が言って、拱手を残して去っていった。衝立のこちら側には机と椅子が置かれていた。ホールにあるものと似た丸テーブルの上に、花桃が活けられた花瓶が置いてある。
 真波さんが椅子に腰を落ち着け、俺は彼の前の椅子に座った。
「失礼します」
 扉の外から秋櫻の声がして、どきりとする。俺がいない分、彼に仕事が集中しているかと思うといたたまれない。
 そもそも俺の不在はどう思われているのか。少なくとも秋櫻は気づいているはずだ。皐月の不在を隠せている分、俺は意味不な行方不明のはず。
 扉が開いて、いつもより綺麗に化粧した秋櫻が姿を見せた。髪には桃花を一輪差している。可憐な姿に一瞬ときめいた。…かわいい。
「お酒とお料理です。どうぞ」
 秋櫻が運んできたのは、重箱に入った美しい料理だった。大きな重箱が仕切られて、色鮮やかな料理が入っている。スペースをふんだんに使って料理が配置されているおせち、みたいな感じだ。そういえば昼からなにも食べていない。しかしそんなことを言っている場合でもない。
 秋櫻が退出すると、真波さんと向き合う。……気まずい。正直かなりピンチだ。この状況で、薄布を取らずにいられる理由がない。
「……どうぞ」
 まずは盃に酒を注いだ。このまま酔いつぶれてくんねーかな。無理か。
「……顔を、見せてくれないか」
 …………!
   きたー、でも当たり前だよな……。俺だったとしてもそう言うだろう。
「……は、恥ずかしくて。もう少しだけ」
 皐月に声を似せて、可愛く言う。こういう芝居は得意だ。しかし真波さんは首を横に振った。
「君の顔が見たい」
 ……これは完全にダメだ。とはいえこの世界の夜は暗い。灯りだって燭台とかだし、バレないかもしれない。
 一縷の望みをこめて薄布を取った。じっと見つめられるのがわかる。
「……雪柳、か?」
 ……心臓がとびはねた。がっつり化粧してるし分からないかと思ったのに。
 違います、などと言う気力もなく、俺は肩を落として俯いた。
「はい。申し訳、ありません」
 ……気まずくて、顔を上げることができない。すると真波さんは俺の顎に触れた。くい、と持ち上げられる。
「……見違えたが。声で気づいた。君の声は特徴的だ」
「え?」
 ……声? そもそもそんなに喋っていないし、さっきは皐月のふりをしていたのに。
「さきほど、礼を言っただろう。君の声だった」
 ……行列の最後、確かに言った。慌てていたから地声だったのは確かだ。でもそんな一瞬のことで。
「どうして皐月のふりを?」
 真っ直ぐな視線には嘘を許さない力がある。しかし俺はそれに抗うことにした。
「皐月さんは、事情があってどうしても来られなくて。僕が代わりに来たんです」
「楼主は知っているのか」
 いえ、と首を横に振る。
「花祭りは、とても大事な行事だと伺っていました。だから皐月さんが出られないのも、僕が失敗するのも絶対だめだって、思って」
 声が震える。真波さんは皐月の客で、今夜は初めての夜だったわけで。
「……無謀なことをする」
 ため息のように言って、真波さんは俺の顎を離した。そして、杯の酒を煽るように飲む。
「皐月の代わりをするつもりだったのか? 客と、寝るところまで含めて?」
 低い声が苛立ちを含む。いや……思いついたときは、そこまでの覚悟はなかった。
 けれど今もし目の前にいるのが彼じゃなかったら、俺は見知らぬおじさんと、そうなっていたのかもしれない。
「……申し訳ありません」
 謝ることしかできない。すると真波さんは手酌で酒を注ぎ、また煽った。
「私がなぜここにいるか、わかるか」
 不意に聞かれて、首を振った。正直わからない。この人は妓楼とは無縁に思える。
「……これも、務めだ。私は……『孵化』の手助けを」
 務め? 孵化とは男妓が初めて客を取ることだ。その手助けとは性的関係を結ぶことだと思うが、それが務めとは。
 真波さんは酒をどんどん注いでは呑む。おいおいちょっと飲みすぎだよ。
「程将軍、なにか食べてからのほうがいいですよ。そんなに飲んだら」
「……飲まないと、やっていられない」
 俺が酌をする間もなく酒壺は空になった。
 飲み終えると、じっとまた俺を見る。端正な顔の、眉間に深い皺が寄る。なんだか目が座っている気がする。目が合うと、すっと手が伸ばされて、机の上に置いた手を取られる。
 そして、手の甲にくちづけられた。それとともに、苦みを含んだ声が聞こえた。
「……すまない」
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