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第二話 紅梅
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5日ぶりの真波さんは今日もすっきりといい男振りだった。ここに来るときは青い制服ではなくて、シックな黒い袍に身を包んでいる。
黙っていると怖そうに見えるほど怜悧に整った顔立ちだが、俺を見てふっと雰囲気がほどける瞬間が好きだ。まるで人に慣れない野性の動物が自分に心を許してくれたような。しかし彼は部屋に入るなり俺を見て、ぴたりと足を止めた。じっと凝視されて緊張する。
「雪柳……」
「な、なにか?」
「……いや。今日はどこか雰囲気が違うと思ってな。初めて君とここで会った時みたいだ」
はにかんだような微笑みをみせる。まさか、今日は春嵐のセットだったからだろうか。こういうことに気付く男はモテるぞ。ってか真波さんはそのままでもモテるだろうが。
「今日はそのときと同じ髪結さんなんですよ。嬉しいです」
微笑んで返すと、「そうか」と頷く。この人と一緒にいるとなんだかとても落ち着く。
テーブルに向かいあって座り、とりあえず酒を注ぐ。……と、真波さんは杯を掲げると、くいと飲み干した。飲みっぷりがいいので肝臓は大丈夫かと気になる。まあ、アルコールの代謝能力の高い人というのもいるしな。
穏やかな時間が続く。真波さんは俺が美味そうに食べるのを見るのが好きだと言って、豪華な夕食を一緒に食べさせてくれる。それを頂きながらたわいない話をするのは楽しい時間の筈なのだが。
今日に限って、真波さんはどこかうわの空で、ぐいぐいと杯を空けていく。
「……何か、お仕事で気になることでもあったんですか?」
差し出がましいかとも思ったが、聞いてみた。彼の仕事のことはよく知らないが、きっと将軍なんてストレスフルに違いない。こういう場所で発散して明日の活力にする、みたいなこともあるのだろう。
「いや……仕事ではなく、」
真波さんは口籠って目を伏せた。そして手酌で酒を注ぐ。
「あ、僕がつぎますから!」
「いや、いい」
そしてふっと顔を上げた。切れ長の目と目が合う。
「鶴さんから聞いたが。ほかにも客を取るそうだな」
「えっ」
鶴さんそれ言っちゃうの? てかまあ人伝に聞くよりはいいかもしれないが。
「蛋の状態の君を指名するのは例外だと聞いていたが。その例外を希望するもう一人がいると聞いた。私が気分を害さないように、先に耳に入れておくと」
「……はい」
たしかに。洸永遼は真波さんが俺を指名していることを知っていたし、こういう噂は案外広まるものかもしれない。鶴天佑はその前に先に真波さんに伝えることにしたのだろう。
「……ご気分を害されたのなら、すみません」
なんといえばいいのかわからない。俺としては立場上断ることはできないし。
「いや……。君の仕事であることは分かっている。ただ、孵化までは、私だけの特権かと思っていた」
ふ、と小さく笑う。特権なんて言ってもらうほどのものでもないけれど。
「そんな……。でも、僕も」
できればあなただけがよかった、なんて言いそうになって、俺は驚いた。俺は一体何を言おうとしているんだ。
「僕も、驚いていて。急なことだったので」
「……そうか」
頷いて、口をつぐむ。いつもどこかから聞こえている楽の音もなく、ぴいんと沈黙が張りつめる。
「……あの」
沈黙に耐えきれず、口を開いた。少し悩んだが、ずっと聞きたかったことを聞いてみる。
「真波さんは、どうしてこんなによくしてくださるんですか?」
もとより俺は彼を騙した人のはず。けれど彼はこうして今も、俺を指名して、優しくしてくれる。そして、ほかの男の話をきいて、心を乱しているように見える。
「……なんとなく、とかだったらそれでもいいんです。僕は、真波さんに何も返せてない気がしていて。だから」
一人で焦って言い募ると、真波さんはまた酒を口に運びながら、ぽつりと言った。
「……君に、会ったことがある。遠い昔に」
黙っていると怖そうに見えるほど怜悧に整った顔立ちだが、俺を見てふっと雰囲気がほどける瞬間が好きだ。まるで人に慣れない野性の動物が自分に心を許してくれたような。しかし彼は部屋に入るなり俺を見て、ぴたりと足を止めた。じっと凝視されて緊張する。
「雪柳……」
「な、なにか?」
「……いや。今日はどこか雰囲気が違うと思ってな。初めて君とここで会った時みたいだ」
はにかんだような微笑みをみせる。まさか、今日は春嵐のセットだったからだろうか。こういうことに気付く男はモテるぞ。ってか真波さんはそのままでもモテるだろうが。
「今日はそのときと同じ髪結さんなんですよ。嬉しいです」
微笑んで返すと、「そうか」と頷く。この人と一緒にいるとなんだかとても落ち着く。
テーブルに向かいあって座り、とりあえず酒を注ぐ。……と、真波さんは杯を掲げると、くいと飲み干した。飲みっぷりがいいので肝臓は大丈夫かと気になる。まあ、アルコールの代謝能力の高い人というのもいるしな。
穏やかな時間が続く。真波さんは俺が美味そうに食べるのを見るのが好きだと言って、豪華な夕食を一緒に食べさせてくれる。それを頂きながらたわいない話をするのは楽しい時間の筈なのだが。
今日に限って、真波さんはどこかうわの空で、ぐいぐいと杯を空けていく。
「……何か、お仕事で気になることでもあったんですか?」
差し出がましいかとも思ったが、聞いてみた。彼の仕事のことはよく知らないが、きっと将軍なんてストレスフルに違いない。こういう場所で発散して明日の活力にする、みたいなこともあるのだろう。
「いや……仕事ではなく、」
真波さんは口籠って目を伏せた。そして手酌で酒を注ぐ。
「あ、僕がつぎますから!」
「いや、いい」
そしてふっと顔を上げた。切れ長の目と目が合う。
「鶴さんから聞いたが。ほかにも客を取るそうだな」
「えっ」
鶴さんそれ言っちゃうの? てかまあ人伝に聞くよりはいいかもしれないが。
「蛋の状態の君を指名するのは例外だと聞いていたが。その例外を希望するもう一人がいると聞いた。私が気分を害さないように、先に耳に入れておくと」
「……はい」
たしかに。洸永遼は真波さんが俺を指名していることを知っていたし、こういう噂は案外広まるものかもしれない。鶴天佑はその前に先に真波さんに伝えることにしたのだろう。
「……ご気分を害されたのなら、すみません」
なんといえばいいのかわからない。俺としては立場上断ることはできないし。
「いや……。君の仕事であることは分かっている。ただ、孵化までは、私だけの特権かと思っていた」
ふ、と小さく笑う。特権なんて言ってもらうほどのものでもないけれど。
「そんな……。でも、僕も」
できればあなただけがよかった、なんて言いそうになって、俺は驚いた。俺は一体何を言おうとしているんだ。
「僕も、驚いていて。急なことだったので」
「……そうか」
頷いて、口をつぐむ。いつもどこかから聞こえている楽の音もなく、ぴいんと沈黙が張りつめる。
「……あの」
沈黙に耐えきれず、口を開いた。少し悩んだが、ずっと聞きたかったことを聞いてみる。
「真波さんは、どうしてこんなによくしてくださるんですか?」
もとより俺は彼を騙した人のはず。けれど彼はこうして今も、俺を指名して、優しくしてくれる。そして、ほかの男の話をきいて、心を乱しているように見える。
「……なんとなく、とかだったらそれでもいいんです。僕は、真波さんに何も返せてない気がしていて。だから」
一人で焦って言い募ると、真波さんはまた酒を口に運びながら、ぽつりと言った。
「……君に、会ったことがある。遠い昔に」
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