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第三話 雪柳
エピローグ
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真波さんたちが守りきった隊商の一部が、無事汀渚の町へとたどり着いた。本体は州都である西流、果ては王都まで行くらしい。途中の町々で切り離されて、商いが行われるそうだ。
隊商を迎えた街では商店に新商品があふれ、手頃な商品は特設の屋台で売られたりもするという。汀渚の街でも大通りに屋台が出、ついでに食べ物なんかも売られて、とても賑やかになるらしい。
今日は日中、鶴汀楼のホールで、商品の特別販売会がある。もちろん洸永遼の主催だ。鶴汀楼の男妓たちも、この日を楽しみにしていた。
いつものテーブルにカラフルな布を敷き、背の低い棚も運び入れて、特設の店が作られる。精緻な彫刻が施されたエキゾチックな燭台、複雑な模様が織られた絨毯のような大きなものから、目を見張るほど美しい宝玉で作られたかんざしや、マーブル模様の石で作られた腕輪などのアクセサリーまで。
この日のために着飾った兄さんたちはきゃっきゃと楽し気に、宝石を手に取ったり、美しい装飾のついた大きな鏡をのぞきこんだりしている。
鶴汀楼では、家具などは貸してもらえるが、持ち運びできるものは自分で買うのだそうだ。男妓は位が上がれば部屋を引っ越すこともあるので、自分の大切なものはいつでも持ち運べるようにまとめているらしい。
俺はいろいろと商品を眺めて歩きながら、ガラスでつくられた、琥珀色の足つきグラスの前で足を止めた。
この世界にはガラスはまだ普及していないようで、窓ガラスなんてもちろんない。食器も主に陶磁器なので、ガラス製品を見るのは珍しかった。鏡もガラスで作られていると聞いたことがあるから、あるとすれば鏡くらいかもしれない。
光を集める琥珀色のグラスは、手作りの味があって、現代でも人気が出そうなくらいに美しい。手に取って見つめていると、洸永遼がひょいと俺の手もとをのぞきこんだ。
「欲しいのか? 贈ろうか?」
「……いいですってば。いずれ自分で買えるように頑張ります」
首を振って、ことりとテーブルに戻す。
「それに、今の僕じゃ、これを飾れる部屋もありませんし」
笑って言うと、洸永遼は俺の頭を撫でた。
「……聞いたよ。程将軍とずいぶん感動的な再会を果たしたらしいって」
なんと! 言ったのはきっと鈴蘭兄さんだろう。あの場にいた中で一番洸永遼と近いのはあの人だ。
「……やっぱり、好きになっちゃったのかな?」
からかうような、寂しそうな複雑な声音。彼を見上げると、声とおなじ印象の表情をしていた。
「……どうでしょうね? 僕らにそんなことを聞くのは、野暮ってものですよ」
笑って答えた。
好き、嫌い、付き合う、付き合わない、結婚する、しない。そんな、黒と白の世界じゃない、グレーが許される場所。それがここ、鶴汀楼だ。ここに来る人々は、皆恋の夢を見に来るのだから。
「あー、君も大人になったな……。こういうのは好きになったほうが負けだって言うからな……」
洸永遼はぼやき、ふう、とため息をついて、グラスを持ち上げ、俺に渡した。
「もう君には聞かない。これは私が君にあげる。あげたいからあげるんだ。男妓は客から贈り物をもらうのものだろ?」
ずっしりと重いグラスを見つめる。丁寧な手仕事で作られた、美しいグラス。思わず微笑んだ。
「ありがとうございます……」
抱きしめるように持つと、彼は微笑んで、もう一つを手に取った。
「これもあげよう。でもこっちは私のだから、程将軍が来ても使っちゃだめだよ。私とだけ使おう」
子供みたいな言いぐさに笑ってしまう。すると彼は耳もとに顔を寄せて言った。
「程将軍に借りを作ってしまったから、今回は仕方ないけれど。私は諦めの悪い男でね。もう程将軍に遠慮することもないから、本気で君を口説きにいくよ」
そのセクシーな低音にドキリとする。思わず彼を見上げた。
「またそんなこと言って。程将軍と勝負するおつもりですか?」
すると洸永遼は首を横に振って、俺の耳元に口を寄せた。
「そんな分が悪い勝負はしない。私が勝負するのは、君とだよ」
そう言って、俺の額に口づけた。
「あっ! 洸さん、うちの子にちょっかい出すのはやめてくださいよ! 今日だけはうちのほうがお客さんなんですからね」
近付いてきた鶴天佑が言った。洸永遼はおどけたように手を上げる。
「いいじゃないか。この器2つは雪柳に買ってあげるから、そのお代がわりだよ」
明るく笑う洸さんに、鶴天佑は肩をすくめる。
「まったくもう。……雪柳はうちにとって大事な預かりものなんですから。大切にしてあげてくださいよ」
「はいはい、わかってるって。君はこの子の保護者か何かかな?」
「まあそんなもんですね」
そんなやりとりを聞きながら、俺は琥珀色のグラスを見つめた。まるで月季の目の色みたいな、きれいな琥珀色。
『ここで本気の恋をするんなら、賢くならなきゃいけない』
月季の声が頭をよぎる。
『正直、恋は病だし、いつか覚める日がくる。けれど覚めなければホンモノだからね』
……うん、と頷いた。
初まったばかりのこの恋がどうなるかはわからない。洸さんの口説きに陥落しないとも限らない。人の心は変わるものだし。
けれど俺はここで生きていく。そりゃ、元の世界に戻れるなら戻りたいと思う。だけど、それが無理なら。
運命に翻弄されつつも懸命に生きている真波さんみたいに、俺もここで頑張りたい。
俺は二人を見上げて、笑って言った。
「俺、頑張りますから! 見ていてくださいね」
きょとんとした二人の顔が、すぐにほどける。そして鶴天佑が俺の頭を撫でながら言った。
「ああ。頑張れよ」
ホールの右端、一か所だけ開いた窓から強い風が吹き込んできた。それにさらわれたのか、蝶がひらひらと中に入ってきたのが見えた。窓に背を向け、商品に熱中する兄さんの肩に止まる。光の中で、しばし羽を休める。
美しいものや楽しいことばかりじゃないかもしれないけど。俺はこれからも、ここで生きていく。
===============================
長いお話を、最後まで読んでくださってありがとうございました。
彼らの日々は続いていきますが、この物語は、ひとまずここで完結とさせて頂ければと思います。
お気に入りやエールなど、とても励みになりました。ありがとうございました。
よろしければご感想など頂けると嬉しいです。
読んでくださった皆様に感謝を込めて。 鹿月
隊商を迎えた街では商店に新商品があふれ、手頃な商品は特設の屋台で売られたりもするという。汀渚の街でも大通りに屋台が出、ついでに食べ物なんかも売られて、とても賑やかになるらしい。
今日は日中、鶴汀楼のホールで、商品の特別販売会がある。もちろん洸永遼の主催だ。鶴汀楼の男妓たちも、この日を楽しみにしていた。
いつものテーブルにカラフルな布を敷き、背の低い棚も運び入れて、特設の店が作られる。精緻な彫刻が施されたエキゾチックな燭台、複雑な模様が織られた絨毯のような大きなものから、目を見張るほど美しい宝玉で作られたかんざしや、マーブル模様の石で作られた腕輪などのアクセサリーまで。
この日のために着飾った兄さんたちはきゃっきゃと楽し気に、宝石を手に取ったり、美しい装飾のついた大きな鏡をのぞきこんだりしている。
鶴汀楼では、家具などは貸してもらえるが、持ち運びできるものは自分で買うのだそうだ。男妓は位が上がれば部屋を引っ越すこともあるので、自分の大切なものはいつでも持ち運べるようにまとめているらしい。
俺はいろいろと商品を眺めて歩きながら、ガラスでつくられた、琥珀色の足つきグラスの前で足を止めた。
この世界にはガラスはまだ普及していないようで、窓ガラスなんてもちろんない。食器も主に陶磁器なので、ガラス製品を見るのは珍しかった。鏡もガラスで作られていると聞いたことがあるから、あるとすれば鏡くらいかもしれない。
光を集める琥珀色のグラスは、手作りの味があって、現代でも人気が出そうなくらいに美しい。手に取って見つめていると、洸永遼がひょいと俺の手もとをのぞきこんだ。
「欲しいのか? 贈ろうか?」
「……いいですってば。いずれ自分で買えるように頑張ります」
首を振って、ことりとテーブルに戻す。
「それに、今の僕じゃ、これを飾れる部屋もありませんし」
笑って言うと、洸永遼は俺の頭を撫でた。
「……聞いたよ。程将軍とずいぶん感動的な再会を果たしたらしいって」
なんと! 言ったのはきっと鈴蘭兄さんだろう。あの場にいた中で一番洸永遼と近いのはあの人だ。
「……やっぱり、好きになっちゃったのかな?」
からかうような、寂しそうな複雑な声音。彼を見上げると、声とおなじ印象の表情をしていた。
「……どうでしょうね? 僕らにそんなことを聞くのは、野暮ってものですよ」
笑って答えた。
好き、嫌い、付き合う、付き合わない、結婚する、しない。そんな、黒と白の世界じゃない、グレーが許される場所。それがここ、鶴汀楼だ。ここに来る人々は、皆恋の夢を見に来るのだから。
「あー、君も大人になったな……。こういうのは好きになったほうが負けだって言うからな……」
洸永遼はぼやき、ふう、とため息をついて、グラスを持ち上げ、俺に渡した。
「もう君には聞かない。これは私が君にあげる。あげたいからあげるんだ。男妓は客から贈り物をもらうのものだろ?」
ずっしりと重いグラスを見つめる。丁寧な手仕事で作られた、美しいグラス。思わず微笑んだ。
「ありがとうございます……」
抱きしめるように持つと、彼は微笑んで、もう一つを手に取った。
「これもあげよう。でもこっちは私のだから、程将軍が来ても使っちゃだめだよ。私とだけ使おう」
子供みたいな言いぐさに笑ってしまう。すると彼は耳もとに顔を寄せて言った。
「程将軍に借りを作ってしまったから、今回は仕方ないけれど。私は諦めの悪い男でね。もう程将軍に遠慮することもないから、本気で君を口説きにいくよ」
そのセクシーな低音にドキリとする。思わず彼を見上げた。
「またそんなこと言って。程将軍と勝負するおつもりですか?」
すると洸永遼は首を横に振って、俺の耳元に口を寄せた。
「そんな分が悪い勝負はしない。私が勝負するのは、君とだよ」
そう言って、俺の額に口づけた。
「あっ! 洸さん、うちの子にちょっかい出すのはやめてくださいよ! 今日だけはうちのほうがお客さんなんですからね」
近付いてきた鶴天佑が言った。洸永遼はおどけたように手を上げる。
「いいじゃないか。この器2つは雪柳に買ってあげるから、そのお代がわりだよ」
明るく笑う洸さんに、鶴天佑は肩をすくめる。
「まったくもう。……雪柳はうちにとって大事な預かりものなんですから。大切にしてあげてくださいよ」
「はいはい、わかってるって。君はこの子の保護者か何かかな?」
「まあそんなもんですね」
そんなやりとりを聞きながら、俺は琥珀色のグラスを見つめた。まるで月季の目の色みたいな、きれいな琥珀色。
『ここで本気の恋をするんなら、賢くならなきゃいけない』
月季の声が頭をよぎる。
『正直、恋は病だし、いつか覚める日がくる。けれど覚めなければホンモノだからね』
……うん、と頷いた。
初まったばかりのこの恋がどうなるかはわからない。洸さんの口説きに陥落しないとも限らない。人の心は変わるものだし。
けれど俺はここで生きていく。そりゃ、元の世界に戻れるなら戻りたいと思う。だけど、それが無理なら。
運命に翻弄されつつも懸命に生きている真波さんみたいに、俺もここで頑張りたい。
俺は二人を見上げて、笑って言った。
「俺、頑張りますから! 見ていてくださいね」
きょとんとした二人の顔が、すぐにほどける。そして鶴天佑が俺の頭を撫でながら言った。
「ああ。頑張れよ」
ホールの右端、一か所だけ開いた窓から強い風が吹き込んできた。それにさらわれたのか、蝶がひらひらと中に入ってきたのが見えた。窓に背を向け、商品に熱中する兄さんの肩に止まる。光の中で、しばし羽を休める。
美しいものや楽しいことばかりじゃないかもしれないけど。俺はこれからも、ここで生きていく。
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長いお話を、最後まで読んでくださってありがとうございました。
彼らの日々は続いていきますが、この物語は、ひとまずここで完結とさせて頂ければと思います。
お気に入りやエールなど、とても励みになりました。ありがとうございました。
よろしければご感想など頂けると嬉しいです。
読んでくださった皆様に感謝を込めて。 鹿月
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みんなの感想(2件)
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初めまして!お話がとても面白くてあっという間に読んでしまいました!
続きがとても楽しみです。
シリアスな部分と、面白い部分の絶妙な感じが好みなのと、登場人物がとても魅力的ですね!
あとヒヨコ(笑)の活躍も期待してます。
主人公を通して、日常の小さな幸せを感じる事の大切さにも気付かされました。
素敵なお話しをありがとうございます!
あじえさま
初めまして! ご感想、とても嬉しいです。
こんなふうに読んで貰えたら嬉しいな、と思うことを言って頂けて、書いてよかった!と思いました。
ヒヨコ(笑)もおかげさまで活躍しておりますので、また読んで頂けると嬉しいです。
こちらこそ、素敵なご感想をありがとうございました!
鹿月様
今日こちらの小説を知りまして、楽しく読んでいます!世界観が好きです~。
それから、申し訳ないです、誤字報告なのですが、どのようにしていいのか分からず(いつもムーンなので(焦))、こちらで失礼致します。
「お待たせ! ……あ!」
隣にも取ってきた(戻ってきた)秋櫻が言った。
かと思います。
(どうすればいいか分からずすみません💦)
楽しく読み進めていきたいと思います☆
怪盗☆枝豆さま
初めまして! ご感想ありがとうございます!
世界観が好きと言って頂けてとても嬉しいです♪
そして、誤字もありがとうございます。早速直してきました!
引きつづきお楽しみいただけますと幸いです。
ありがとうございました!