暗殺貴族【挿絵有】

八重

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第2章 ジェス編

傾く針②

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 自分の名前を呼ぶ懐かしいその声はリラを優しく包み込むようで…。

 自然と瞳から一筋の涙がこぼれた。


「ジェスさ…ま……」


 なんとか絞り出した声は自分でも驚くくらいか細く、震えていた。

 その時ドンとリラの肩に通行人がぶつかった。よろめいたリラをジェスはすかさず支え、大丈夫?と優しく声をかけた。


「ここ人通り多いからちょっと端に避けようか」


 ジェスの言葉通り、道の真ん中で立ち止まる2人を行き交う人が迷惑そうに見ていた。2人は人を避けて道の端に行き話し始めた。


「ジェス様だいぶ髪の毛伸びたんですね。一瞬わからなかったです」

「そうかな? リラは…綺麗になったね」

「いえ、そんな…」

「うん。やっぱり綺麗になったよ。元気そうでよかった」


 優しく微笑むジェスにまたリラは胸からこみ上げてくるものがあった。


「ジェスさま…」


 名前を呼ばれるとジェスはギュッとリラの両手を自分の手のひらで包み、力強く握りしめた。 
 

「ジェ、ジェス様?」


 いきなりの事でリラはあたふたしてジェスの名前を呼ぶが手が緩む事はなかった。


「ごめん…本当にごめん」

「え……」

「あの時の僕は本当にどうかしてたんだ…悪い事の判別が出来てなかった。リラちゃんに取り返しのつかない事を……」

「ジェス様…」

「あの時に戻れるなら戻りたい…。僕は罪もない人達を手に掛けてしまったんだ…」


 リラは震えるジェスの手を逆に自分の手で優しく包み返す。


「私は…。私はジェス様を恨んでなんかいません。でも他の方に関しては…深く反省するべきだと思います」

「うん…わかってる。一生罪を背負って行くつもりだよ。本当はあの時逃げずに死んで償うべきなんだろうけど、僕は……。
 僕はリラにまた会いたい一心で生き延びたんだ。ズルい事はわかってる…でも、それでも…」

「ジェス様……」


 ジェスはリラから手を離すとまっすぐと向かい合った。


「本当に…ごめん」

「いえ……」


「いやねぇ…男女関係のもつれかしら」
「きっと男が浮気したのよ。ほら、謝ってたじゃない」


 2人は道の脇にそれ話しをしてたが周りには人が多く、行きかうおばさま達の興味の恰好の的になっていた。


「リラちゃん。ちょっと場所移動しようか」


 リラはジェスの言葉に頷き、人通りの少ない路地裏へと歩いていった。





 先ほどの大通りのざわめきが遠くに聞こえる細い路地裏に着くとリラは口を開いた。


「あのジェス様は…」

「さっきから思ってたんだけど、様はつけないでいいんだよ。もうリラは僕の使用人じゃないし」


 ね? と言うジェスの言葉にリラは悲しそうに俯いた。


「……そんな事言わないでください」

「待って待って。なんでリラちゃんが悲しそうな顔するの?」

「それは…。私がジェス様の使用人じゃなくなったら何の繋がりもなくなってしまいますから」

「…たくリラちゃんは可愛い事言ってくれるね。だいたい、ただの使用人にここまでして会いに来ないよ」


 その言葉にリラがえ? と返したがジェスはにこりと笑うだけだった。


「さて、どこから話そうかな…。まずなんで僕が生きてるのか、なんだけど…正しくは"何故僕が死んだ事になってるか"なんだよね。
 …きっとリラちゃんは僕が死んだって聞かせられたんでしょ?」

「はい…。それに新聞にも載ってたので」

「でも遺体は見つかってない。たまたま生き残った奴が、殺してリラと一緒に海に遺棄した。って証言しただけでしょ。
 だけどリラも僕も生きてる。そう言う事だよ」


ジェスの言葉にリラは確かに…と呟いた。


「でも何でラリウス様はジェス様が死んだなんて…」


 リラが“ラリウス”と言う名前を出した時、僅かにジェスの眉間にシワが寄ったが、すぐに元の表情に戻り、彼女が気づくことはなかった。


「僕を社会的に殺して孤立させたかったのか…。それか…。
 …それか、リラちゃんをメイザース家に留まらせる為、とか」

「え? 私を…ですか?」


 リラはそれはないですよ。と苦笑した。


「ま、とにかく僕はあの状況からなんとか逃げきって、今までずっと身を潜めて生活してたってわけだよ」

「そうだったんですね」

「……リラちゃん。こんなこと言えた立場じゃないけど…。僕と一緒に来てくれないか?」


 ジェスの言葉にリラの瞳は大きく揺らいだ。


「え……」

「ここからだいぶ離れた街だけど、そこで仕事してるんだ。収入もそこそこあるし、住む所だってちゃんとある」

「でも……」

「メイザース家の事が気がかり?」


 コクンとリラは小さく頷く。


「メイザース家には家族と言う仲間がいるじゃないか…。だけど僕にはもう…リラしか…。リラしかいないんだよ」


 そう言いジェスはリラの手をギュッと握った。


「ジェス様……」


 正直まだ迷いはあった。
 
 だけど帰る所を奪われ、1人頑張るジェスをほおっておくなんてできるはずがなかった。


「わかりました」


 リラの言葉が信じられずジェスは一瞬動きを止めたが、すぐにありがとう。と言って満面の笑みを見せた。


「あ、あの……」

「何? リラちゃん?」

「2日ほど時間をいただいてもいいですか?」


 先ほどまで嬉々としたジェスの顔が一瞬で止まる。


「……何で?」

「その、ちゃんとメイザース家の方達にお別れを言うのと、お世話になった使用人の先輩方にもお礼が言いたいので…。あと荷造りもありますし」


 リラが言ってる事に嘘はなかったが、一番の目的はマディーナに頼んで"暗殺貴族"についての記憶を消してもらう事だった。


「……それが駄目なんだよ」


 急に低くなった声にリラがえ? と聞き返すと、ジェスはおい。と誰かに一声かけた。

 するとジェスの後ろの路地裏の壁際から男達が数人でてきた。その中に見覚えのある顔を見つけリラは目を見開いた。


「ジュドーさん!?」



 ガラの悪い男達の中心にいたジュドーは腕を後ろで縛られ、争ったのか服は乱れ口の端は切れて血が滲んでいた。


「ジェス様これは…」

 リラは訳がわからないと言った風にジェスを見る。

「こいつね、ずっと僕の事監視してたんだよ。だから僕の仲間に捕まえてもらちゃった」

「仲間……?」


 まだ理解できず頭が混乱してるリラ。


「おいっ! リラ逃げろっ!」

「てめっ黙れっ」
 

 ジュドーが叫ぶと、隣にいた男は切れた口調でお腹を思いっきり殴った。

 ジュドーはガハッと空気を吐き出し、その場に崩れたがすぐにもう1人の男によって無理やり立たせられた。


「ジュドーさんっ」


 リラはすぐにジュドーのもとへ駆け寄ろうとしたが、ジェスに腕を掴まれ止められてしまった。


「なんであいつの事なんか心配してるの?僕らの事監視してたような奴なんだよ?」
 

 リラはこの時のジェスの顔に僅かながら狂気を感じた。


「ジュドーさんは大切なメイザース家の仲間なんですっ…!」


 リラのその言葉にジュドーとジェスは目を見開いた。


「……仲間? ……大切な?」


 ギリギリとリラを掴むジェスの手に力がこもる。


「……い、痛っ」

「リラちゃんは僕よりメイザース家を取るの?」


 ミシミシとリラの腕が軋む。


「ジェス様も大切です…。でも…でもジュドーさんも大切な人なんです!」

「そう……」


 ジェスは声を落とし俯く。顔は見えないがなんとなく不穏な空気が流れてるがわかる。

 それにも構わずリラは腕を捕まれたまま男達に、ジュドーさんを離して下さい。と強い口調で言った。


「っ…お前馬鹿か! こいつらが離してくれるわけー」


 ジュドーがそう言いかけた時ジェスの冷たい一言が響いた。


「離してやれ」


 はっとした表情でリラはジェスを見つめた。


「ただしリラちゃんが今すぐ僕についてきたらね」


ニヤリと口を歪ませそう言うジェスにリラはゾワリと鳥肌をたてた。


あの時のー

あの時のジェス様だー


「どうしたの? 嫌なの?」


 固まってるリラににこりと話しかけると、ジェスは男達にチラリと目で合図する。
 男達はジェスの言わんとしている事をわかったのかニヤリと笑った。


「おい、坊主こっち向け、やっ!!」

「ぐっ…!」


 男達はジュドーを次々と殴り始めた。


「っ! 止めてっ止めてっ…!」


 リラは悲痛な声をあげ必死にジュドーのもとへと向かおうとした。


「あんな奴の為に必死になっちゃって…妬けちゃうなぁ」


 ジェスはのんびりとした口調でそう言うとリラの腕を引っ張り引き寄せた。


「ジェス様離してっ! 止めなきゃっ!」

「全く…わかったよ」


 ジェスが男達におい。と一言かけると殴るのを止めた。


「ぐっ…ゲホッ…」


 ジュドーは男達に腕を掴まれ無理やり立たせられており、足元はフラフラとしていた。


「ジュドーさんっ!」

「リラちゃん。僕だってこんなやり方嫌だよ。あ、でも、リラちゃんのその表情もなかなかそそるけど。
 ……さて、今リラちゃんがどうしたらいいかわかるよね?」

「リラっ! そいつの言う事なんか聞くなー」

「うるせぇって言ってんだろ!」

「グハッ…」


 叫んだジュドーのお腹にまた拳が沈む。


「もう殴らないでっ! お願いっ!」

「ゲホッ……リラ…」

「私……。私ジェス様について行きます」

「リラっ駄目だ!」

「お前五月蝿いなぁ…。おい。口縛っとけ」


 ジェスの言葉に男達は頷き、ジュドーの口に布を丸めたものを詰めて、さらにロープで縛った。


「リラちゃん一緒に来てくれるんだね。良かったぁ」

「だから…だからジュドーさんを離して下さい」

「うん。わかってるよ。でも今すぐ解放しちゃったら僕達が逃げる前にあいつらが着ちゃうから…」


 そこまで言ってジェスは上着の内側から注射器を取り出した。


「ジェス様それはっ」

「大丈夫。ちょっと眠ってもらうだけだよ」


 リラは注射器を持ってジュドーに近づこうとするジェスの腕をとっさに掴んだ。


「何? リラちゃん」

「あのっ…。せ、せめて最後の別れだけ言わせて下さい」

「……ちょっとだけならいいよ」


 リラはジェスのその言葉を聞くとジュドーへとゆっくり近づいて行った。


「んんっ!」


 ジュドーは近くに来たリラに何か訴えようと口を塞がれながらももがく。


「ジュドーさん。もういいんです。私ジェス様について行く事にしました。自らの意志で向かうんです」


 リラの言葉にジュドーはもがくのをやめ、ジッとその目を見つめた。


「迷惑かけて申し訳ありません。痛かったですよね」


 そう言いリラはハンカチを取り出し、顔から滲んでいた血を優しく拭いた。


「本当に……。最初から最後まで迷惑かけてばかりで申し訳ありませんでした…」


 ジュドーは自分の顔を拭くリラの手が僅かばかり震えてるのを感じた。


「メイザース家の皆さんにも迷惑ばかりで…」

 リラの瞳は今にも泣き出しそうなのを必死にこらえている。
 その瞳を見て何も出来ない悔しさにジュドーはぐっと拳を握りしめた。


(何て自分は無力なんだー…)


「皆さんに"ありがとうございました"と伝えて下さい」

「リラちゃんお別れはそのくらいでいいんじゃない」


 ジェスのその言葉にリラは、はい。と小さく返事をした。


「ジュドーさん。あと"ごめんなさい"とも伝えて下さい…。ちゃんと報いは受けますから、と…」

「さ、お別れは終わり終わり」


 ジェスはリラの腕を引いて後ろへ下がらせ、注射器片手にジュドーへと近づいた。


「んんっんっ」


 ジュドーは何とかしようと暴れるが他の男らに力ずくで抑えられてしまう。


「じゃあ、ちょっとの間おやすみ」


 ジェスはニコリと微笑み首筋にプスリと注射器を刺した。

 ジュドーの視界がグニャと歪み、体から力が抜けてくる。


(くそー…)


 男達から解放された体は支えを失いドサッと地面へと倒れ込んだ。


「おい。腕と口ほどいとけ」


 ジェスの命令によってジュドーの腕と口が解放される。


「く…リラ……い…くな…」


 朦朧とする意識の中なんとか頭をあげ声を出す。


「ジュドーさん…。ごめんなさい」






静かな路地裏にはボロボロな姿の少年が1人倒れており、それ以外には誰もおらずただただ静けさを返していた。


運命の針がゆっくりと傾き始めた





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