【R18】巫女と荒神 ~いまだ神話の続く町~

ゴリエ

文字の大きさ
8 / 51
第一章 神に選ばれしもの

界結びの舞

しおりを挟む
 気がつくと、桃子は南根みなみね神社の鳥居の前に立っていた。
 眼前に続くのは、幼いころから登り慣れた長い長い階段。そして、神社を取り囲む鎮守の森だった。

「――え……?」

 桃子は今一度、冷静に記憶をたどることにした。
 選定の儀から、無我夢中で逃げ出してきたはずだ。たしかになりふり構わず走ったが、それだけでこんなところにたどり着くなどありえない。何がどうなっているのか。

(やけに、静かだわ……)

 風音や鳥・虫の鳴き声などもまったくしない、不気味な静寂。先ほどまで晴れていたはずの空も、厚い雲に覆われていた。

 桃子は不安になって、急いで階段を駆け上がった。いつもなら通るのを避けがちな参道を、堂々と走り抜ける。それでも、誰ともすれ違うことがない。
 授与所、社務所、拝殿、本殿、神楽殿、道場――。とにかく手あたり次第捜し回ったが、誰一人として見つけられなかった。神社がまったくの無人になるなど、普段では考えられないことなのだ。

 桃子は思いきって自宅も覗いてみたが、やはり無人。顔を合わせればきつく当たってくるばかりの母ですら、今は恋しかった。

 台所には、桃子が昨日食べ損ねた朝食が、なぜかそのまま残されていた。まるで時が止まっているかのように、不自然なくらい綺麗な状態のままだ。
 これを見て、桃子は確信した。ここは自分の家ではない、本当の南根神社ではない、と。

 もしも、目の前の料理を食べたらどうなるのか。ふと、神話の一場面を思い起こしていた。最初の女神である伊邪那美いざなみは、黄泉の国で黄泉の食べ物を口にしたから、生前の世界へ帰れなくなった。これを食べたら、自分も帰れなくなるのだろうか。

 急に怖くなって、二階の自室に逃げ込んだ。着替えもせずに、ベッドで布団をかぶって震える。こんなことをすると確実に母に叱られるが、いっそ叱りにきてほしいとすら思えた。

 ふと、制服のプリーツスカートのポケットに、何か入っていることに気づく。取り出すと、それは春彦に託された黒縁眼鏡だった。

(ポケットに入れた覚えなんてないのに)

 壊さなくてよかったと安堵しながら、手のひらで大切に包み込む。今この眼鏡が手元にあるということだけが救いで、桃子はここで初めて声をあげて泣いた。
 無性に春彦に会いたかった。儀式のとき、彼から逃げてしまったことを心底後悔した。

 ひとしきり泣いたところで、桃子は思い立って一階へと向かった。そして、タンスにしまい込んでいた舞装束を引っ張り出す。
 忍が着ていたような豪奢なものではなく、ほとんど練習着として使っていた、緋袴と白衣、それに純白無地の薄い千早だ。どうやら、現実世界のものと同じに扱ってよさそうだ。
 挿頭かざしなどは何もつけず、髪もそのまま。それでも、舞装束に袖を通すだけで背筋が伸びる。長年染みついた習慣がそうさせた。

 神力しんりきを何も持たずに生まれて、いくら舞の稽古をしても霊験れいげんが示されることはなく、ついには挫折した。しかし、心につっかえる何かはずっと残っていた。

(このおかしな場所から出るには、南条の技を――界結びの力を引き起こすしかない。私にできるかどうかわからないけど……)

 いくら南根神社と似ていても、ここはまったく別の異質な空間だ。とても生ある者が生きていける場所ではない。
 元の世界へ帰る道を作る――それがつまり、〝界を結ぶ〟ということだった。

 界結び、すなわち「結界」とは、本来〈魔障ましょうを排した聖域〉という意味だが、別の界――いわゆる次元や界層を繋げることもまた、〝界を結ぶ〟といった。それが、代々南条家の、特に女子に濃く受け継がれてきた神力しんりきだ。神楽舞を舞うことで、桃子はそれを成そうと考えた。

 最近ではめったに足を踏み入れることもなくなった本殿に上がると、そこは桃子の記憶とまったく相違ないままだった。
 本殿内部は、手前から外陣げじん内陣ないじんと明確に仕切られており、外陣は祈祷きとうなどを受ける際に一般人も入れる場所だが、内陣以降は神職以外は入ることのできない神聖な場所だ。

 桃子は幼い頃、当時まだおてんば盛りの忍に先導されて、この内陣以降に忍びこんだことがあった。内陣は外陣以上に広々としていて、意味もなく走り回った。子どもながらにいけないことだとわかっていても、好奇心には勝てなかった。
 当時怖いもの知らずだった忍は、内陣にまつられた神床かむとこを暴きまでしたが、そこには子どもが興味をそそられるようなものは何もなく、期待していた怪奇現象が起こるでもなく、二人してがっかりしたことを覚えている。
 桃子は、意を決してその内陣まで踏み入っていた。

(ここが本当の南根神社ではなくても、やっぱり、舞うとすればこの場所以外にはない気がする)

 直感でしかないが、そう思った。
 本来巫女舞が奉納されるのは、神楽殿であることが多いが、いろいろな場所を当たってみた結果、この本殿内陣が、一番居心地がいい。この場所だけは、かなり本物の本殿に近しい空気を感じた。

 様々な祭具や神具が置かれた祭壇の前に正座すると、神前に向かって深々とお辞儀をした。似て非なる場所でも、礼を欠くことはできない。
 ゆっくりと上体を起こし、丁寧な所作で立ち上がる。そうして、神前に配された八足はっそくという白木机の上に安置されている神楽鈴を手にした。持ち手の端には、長い五色布ごしきぬのが付属している。

 まずは呼吸を整えた。舞い始めるまでには、しばしの時間が必要だった。猛練習していたころですら、技量に自信が持てたためしはない。

(余計なことに気を回さなくていい。今は雑念を捨てて、たどり着きたいところ、会いたい人を思い浮かべるだけでいいのよ)

 桃子は無意識に懐を撫でた。そこには、布にくるんで大切にしまった春彦の眼鏡が入っていた。それを拠り所とすることで、いつの間にか緊張はほぐれていた。
 右手には神楽鈴を、左手には垂れた五色布を。
 気づいたときには、右手首を素早く捻る動作で、神楽鈴を一振りしていた。耳に心地よい金属音が本殿に響くと、思うよりすんなり最初の足拍子を踏み出せていた。実感として、体に余計な力が入らずにすんでいる。自分でも意外なほど、穏やかな気持ちで舞うことができていた。

 協奏する雅楽演奏はここにはなかったが、頭の中ではたしかな音楽が鳴り響いていた。美しい笛の音から始まったその音曲おんぎょくは、まるで桃子の舞を助けるように、その拍子を導いた。そして、やがては桃子のほうからがくの音に耳を傾けていた。

 その瞬間、音は内側からではなく、はっきりと外側から聴こえてくるようになった。笛の音は次第に大きくなっていく。
 もうすぐそばまで近づいていると気づいて、桃子は舞うのをやめて振り返った。そのとき垂れた五色布を思いきり踏んづけてしまい、引っ張られるようにして神楽鈴を取り落としてしまった。騒々しい音が床に散乱する。
 しかし、そんなことも気に留まらないほど、桃子は目の前の光景に心を奪われていた。

 冠をかぶり、黒のほうと袴を着た小柄な少年が、無心に龍笛を吹いていた。
 トレードマークだった眼鏡はかけておらず、寝ぐせのついていた黒髪も、嘘のようにつやめく直毛に整えられている。背筋も気持ちいいほどぴんと伸びていた。これだけたたずまいと装いが激変すると、以前は見抜きづらかった彼の整った容貌も、いっそう清涼なものとして引き立っていた。
 どうしてこのように見目麗しい少年が、冴えない男子と見なされていたのか、今ではもう理解しかねる。

 桃子は、やっとの思いで声を振り絞った。

「春彦くん……」

 まず真っ先に思ったことは、「笛など吹いたことは一度もないと言っていたくせに」というものだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

花嫁召喚 〜異世界で始まる一妻多夫の婚活記〜

文月・F・アキオ
恋愛
婚活に行き詰まっていた桜井美琴(23)は、ある日突然異世界へ召喚される。そこは女性が複数の夫を迎える“一妻多夫制”の国。 花嫁として召喚された美琴は、生きるために結婚しなければならなかった。 堅実な兵士、まとめ上手な書記官、温和な医師、おしゃべりな商人、寡黙な狩人、心優しい吟遊詩人、几帳面な官僚――多彩な男性たちとの出会いが、美琴の未来を大きく動かしていく。 帰れない現実と新たな絆の狭間で、彼女が選ぶ道とは? 異世界婚活ファンタジー、開幕。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

甘い匂いの人間は、極上獰猛な獣たちに奪われる 〜居場所を求めた少女の転移譚〜

具なっしー
恋愛
「誰かを、全力で愛してみたい」 居場所のない、17歳の少女・鳴宮 桃(なるみや もも)。 幼い頃に両親を亡くし、叔父の家で家政婦のような日々を送る彼女は、誰にも言えない孤独を抱えていた。そんな桃が、願いをかけた神社の光に包まれ目覚めたのは、獣人たちが支配する異世界。 そこは、男女比50:1という極端な世界。女性は複数の夫に囲われて贅沢を享受するのが常識だった。 しかし、桃は異世界の女性が持つ傲慢さとは無縁で、控えめなまま。 そして彼女の身体から放たれる**"甘いフェロモン"は、野生の獣人たちにとって極上の獲物**でしかない。 盗賊に囚われかけたところを、美形で無口なホワイトタイガー獣人・ベンに救われた桃。孤独だった少女は、その純粋さゆえに、強く、一途で、そして獰猛な獣人たちに囲われていく――。 ※表紙はAIです

この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜

具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです 転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!? 肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!? その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。 そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。 前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、 「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。 「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」 己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、 結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──! 「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」 でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……! アホの子が無自覚に世界を救う、 価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

処理中です...