23 / 66
第一章 契約の側室編
重い小瓶
しおりを挟む
「次はネズミよ。リリアーヌの部屋に放ってきなさい。」
侍女長の執務室に呼び出されたメルルは、冷たく言い放たれた命令に顔を青褪めた。
「ね、ネズミですか…?」
メルルの声が震えた。
「何か文句でも?」
「い、いえ…。」
侍女長は側室虐めの主犯だが、絶対に自分の手は汚さない。いつも下っ端の侍女に汚れ仕事を押し付けるのだ。
「文句があるなら、妃殿下に直接言えば?」
侍女長の冷たい視線に、メルルは喉が塞がったように黙り込むしかなかった。
結局、侍女長の命令に逆らえず実行するほかない。
メルルは震える指でネズミ捕りを掴む。その小さな檻の中には捕まえたネズミが入っていた。
離宮に行くと、リリアーヌの専属侍女の一人、ブランカが待ち構えていた。
「待っていたわ。メルル。侍女長から聞いているわよ。さ、案内してあげる。」
ブランカはニヤニヤと笑いながら、リリアーヌの部屋へと案内した。
「あの女は今、厨房にいるから今がチャンスよ。」
ブランカはリリアーヌの部屋のドアを開き、メルルの背を押した。
「ほら、早く。私が見張っていてあげる。」
メルルは泣きそうな気持ちで、何匹ものネズミを部屋の中に放った。
(ごめんなさい…。ごめんなさい…。)
心の中で何度も謝るしかない。
「お疲れ様。もう戻っていいわよ。」
愉しげに言うブランカの声を背に、メルルは逃げるようにその場を離れた。
火傷した手が痛む。包帯も緩んできている。
急いで自室に戻ろうと、廊下の角を曲がったところで誰かと激しくぶつかった。
「キャッ……!」
相手も転ぶ音がした。
「す、すみません!大丈夫ですか?」
「い、いえ!私こそ……、」
メルルも起き上がって、相手に謝る。
そこにいたのは若い娘だった。質素なワンピースに飾り気もなく、使用人にしか見えない。
メルルはぶつかった相手が、ただの若い使用人だと思い込んでいた。
そんなメルルにリリアーヌはそっと手を差し出した。
「立てますか?」
その声音は驚くほど柔らかかった。
あまりにも自然な仕草だったため、メルルは一瞬、言葉を失ってしまう。
「……あ、ありがとうございます。」
優しさに戸惑いながらも手を借りる。
(こんな娘、離宮にいたっけ……?ブランカたちが着ている制服とも違うし……。)
「本当にごめんなさい。怪我はないです?」
「大丈夫です。こちらこそ、ぶつかってしまって、ごめんなさい。」
「あれ?包帯、解けかかってますよ。あ、もしかして、さっき、私がぶつかったせい!ご、ごめんなさい!」
リリアーヌはメルルの解けかかった包帯見て、焦った。
「今、巻き直しますから!」
「い、いえ、本当に大丈夫ですので…!」
メルルは慌てて手を引こうとしたが、リリアーヌはすでに包帯を解き始めていた。
そして、火傷の跡を見た瞬間、リリアーヌの表情が変わった。
「な…何ですか?この火傷は……。ひどい傷。しかも、ちゃんと治療されてない…。」
真っ赤に腫れた手の甲。水ぶくれの跡。
適切な手当てをされていないことは、一目瞭然だった。
「え、えっと…大したことないので…。」
「何言ってるんですか!大したことありますよ!このままだと痕が残ってしまいますよ!」
リリアーヌは真剣な目をしていた。
「ちょっと待っていてください!薬を取ってきます。絶対そこにいて下さいね!」
「え、あの…!」
リリアーヌは返事を待たず、駆けだした。
部屋に駆け込んだリリアーヌだったが、部屋の中には数匹のネズミがいた。
「わ!ネズミだ!」
リリアーヌは驚いた様子もなく、むしろ嬉しそうに笑った。
「可愛い……。こんなところまで迷い込んじゃったの?あ、もしかして、お腹空いてるかな?」
リリアーヌはポケットからクッキーを取り出し、床にそっと置いた。
ネズミたちはクッキーに寄ってきて、ちょこちょこと食べ始める。
「ふふ、食べてる……。可愛い……。」
リリアーヌは思わず見入ってしまう。
そういえば――男爵邸にいた頃も、部屋によくネズミが出たなあ。
リリアーヌがあてがわれていた部屋は屋敷で一番日当たりが悪く、壁や床には小さな穴がいくつも開いていて、そこからネズミが出入りしていた。
だからリリアーヌにとって、ネズミは恐怖の対象ではない。
むしろ、薄暗い部屋の片隅で小さな体を震わせながらも必死に生きている姿を見るたび、「自分も頑張らなきゃ」と励まされていたのだった。
「……ハッ!こんなことしている場合じゃなかった!」
リリアーヌは薬箱を掴むと、急いでメルルの所に戻った。
「お待たせしました!」
リリアーヌは火傷用の軟膏を取り出し、そっとメルルの手を取った。
「これ、私が作った薬です。今、塗りますから、じっとしていてくださいね。」
「え…あの……。」
リリアーヌは優しく、メルルの手に薬を塗った。
冷たくて、ひんやりとした感触。痛みが少し和らぐ。
「この薬を朝と夜、必ず二回に分けて塗って下さいね。」
リリアーヌは軟膏の入った小瓶をメルルに手渡した。
「あ、ありがとうございます。あの、それじゃあ、お薬代を……、」
メルルは薬代をリリアーヌに払おうとしたが…、
「気にしないでください。私がぶつかったせいで包帯解けてしまったので、お詫びです。」
「ええ!そんな!そ、そういう訳には……!」
その時、背後からリリアーヌの侍女が声をかけてきた。ブランカだ。
「リリアーヌ様。こんな所にいらしたのですか。侍女長がお呼びですわよ。」
「え?侍女長が?」
リリアーヌと侍女のやり取り見て、メルルはギョッとした。
(え…。リリアーヌって…、まさかこの人が新しい側室!?)
メルルは愕然とした。
(全然気づかなかった…。)
リリアーヌの格好からてっきり、使用人かと思った。
まさか、側室だったなんて……。
(私……さっき、あなたの部屋にネズミを放ったばかりなのに……。)
なのに、この人は自分の火傷を心配してくれて、薬までくれた。
罪悪感と、リリアーヌの優しさに、胸が締め付けられた。
「あ、あの……、」
メルルがリリアーヌに話しかけようとしたが、ブランカにギロリと睨みつけられ、口を噤むしかない。
「すみません。私はこれで…。それじゃあ、お大事に!」
リリアーヌは急いで侍女長の所に行き、メルルに手を振ってその場から去った。
メルルは結局、本当のこと言えないまま、リリアーヌを見送ることしかできなかった。
手の中には、リリアーヌがくれた軟膏の小瓶。
その小瓶がメルルの胸に重く、重く、のしかかった。
(リリアーヌ様……。)
メルルは小瓶を握り締め、涙をこらえた。
使用人部屋に戻ったメルルは、軟膏が入った小瓶を見つめた。
「メルル、どうだった?」
ルーラとシャーリーが心配そうに尋ねる。
「リリアーヌ様に……会った…。」
「え…!?」
「優しかった…。私の火傷を見て、薬をくれて…。」
メルルの目から涙が溢れた。
「私…、ひどいことをしてる…。あんなに優しい人に…。」
「メルル……。」
シャーリーが唇を噛んで、メルルの肩を抱いた。
ルーラも黙って隣に座る。
リリアーヌ様は悪くない。間違っているのは、自分たちだ。
でも——逆らえない。
ヴェロニカ様の命令は絶対なのだ。
小さな使用人部屋で、三人はただ黙って座っていた。
誰も言葉を発することができない。
ただ、静かな夜が過ぎていく。
メルルの手の中の小瓶だけが、わずかな温もりを残していた。
ネズミはすっかりリリアーヌに懐き、まるで家族のように部屋に住み着いてしまった。
そのせいで——リリアーヌへの嫌がらせは、ことごとく失敗に終わることとなる。
「……なんなのよ!あの女!」
侍女たちは怒りのあまり顔を真っ赤にし、机を叩いた。
「一体、どんな手を使ったら、あんなに早くゴキブリを追い出せるのよ!?」
「しかも、あの女の部屋に放ったゴキブリとネズミが私たちの部屋に来たじゃない!もう、最悪!」
「ネズミなんて……、名前までつけて可愛がってるし……。普通、悲鳴あげて逃げるでしょ!?」
侍女たちは口々に愚痴をこぼす。
しかも、そのネズミたちが侍女長や他の侍女の部屋に忍び込み、食べ物を齧り、服に穴を開け、靴紐を噛み切るなど、実害は日増しに悪化していく一方だった。
「昨日なんて、私の新しいドレスの裾が穴だらけになったのよ……!」
ブランカは苛立ちを露わにしてそう言った。
「私なんて、夜中にあの女の部屋に忍び込んだらネズミに噛まれたのよ!」
そう叫ぶのはサーシャ。彼女は、リリアーヌの顔にかぶれる薬を塗ってやろうと企んでいたのだ。
「私はあの女の髪を切ろうとしたら、ネズミに髪を噛みちぎられたのよ!腰まであったのに!」
アニーも声を張り上げる。
悲鳴と怒号が飛び交う部屋。
ネズミは夜行性のため、その鳴き声と物音で眠れず、寝不足が続く彼女たち。そんなことは露知らず、リリアーヌは毎朝のほほんと声をかけてくる。
「あ、おはようございます。ブランカ。」
ブランカを見かけて、ニコニコと挨拶する。
その瞬間、ブランカの眉がピクリと動いた。
「あら?何だか疲れ切った顔してますけど、大丈夫ですか?目の下にクマが……。」
リリアーヌは心配そうに覗き込む。
「もしかして、あまり眠れなかったのですか?そういえば、侍女長も不眠気味みたいですし……。良かったら、これ、どうぞ!安眠作用のあるハーブティーです!」
別の日には——
「あれ?アニー?髪、切ったんですね!素敵です!」
リリアーヌは目を輝かせる。
「長い髪も似合いますけど、短い髪も似合いますね。あれ?でも、長さがアンバランス……?ああ!もしかして、この髪型が王都の流行なんですか?」
さらには——
「サーシャ。裾が破けてますよ。私でよければ直しましょうか?刺繍は苦手ですけど……、頑張ってみますね。」
と、無邪気に申し出る。
その度に、侍女たちは苛ついた。
何度、その能天気な顔を殴ってやりたいと思ったことか。
「あああ……!思い出すだけで腹が立つ!」
「こっちの気も知らないで!」
「ほんっと、嫌味な女だわ!」
嫌味など微塵もなく、リリアーヌは純粋に心配しているだけなのだが、それは彼女達には伝わっていなかった。
この後も懲りずに嫌がらせを続ける彼女たちだったが、結果は散々だった。
熱々のお茶をかけようとすれば、妖精たちに裾を引っ張られて、こけ、頭からお茶を被る羽目になった。
階段から突き落とそうとして、ネズミに気を取られたリリアーヌがしゃがんだせいで空振りし、自分が転げ落ちる。
何をしても、ことごとく失敗に終わるのだった。
そして、当のリリアーヌは──。
「ほら、グレイー。今日のクッキーはチーズ入りだよー。」
「チュッ!」
微笑みながらネズミに餌を与え、もふもふの毛並みを撫でていた。
侍女たちの苦労など、まるで知らないかのように。
その日の夜。
リリアーヌはベッドに横になったが、なかなか眠れなかった。
(また……、あの夢を見たら……。)
布団の中で小さく身体を丸める。
キリアン、エドウィン、ユベール——三人の名前が頭から離れない。
そして、あの銀髪の女性と赤髪の女性も。
(本当に、あれは未来のことなのかな……。それとも、ただの悪夢……?)
リリアーヌは不安を抱えたまま、疲れ果てて眠りについた。
柔らかな月明かりが部屋を優しく照らしていた。
そして——その夜、リリアーヌは再び、あの夢を見た。
侍女長の執務室に呼び出されたメルルは、冷たく言い放たれた命令に顔を青褪めた。
「ね、ネズミですか…?」
メルルの声が震えた。
「何か文句でも?」
「い、いえ…。」
侍女長は側室虐めの主犯だが、絶対に自分の手は汚さない。いつも下っ端の侍女に汚れ仕事を押し付けるのだ。
「文句があるなら、妃殿下に直接言えば?」
侍女長の冷たい視線に、メルルは喉が塞がったように黙り込むしかなかった。
結局、侍女長の命令に逆らえず実行するほかない。
メルルは震える指でネズミ捕りを掴む。その小さな檻の中には捕まえたネズミが入っていた。
離宮に行くと、リリアーヌの専属侍女の一人、ブランカが待ち構えていた。
「待っていたわ。メルル。侍女長から聞いているわよ。さ、案内してあげる。」
ブランカはニヤニヤと笑いながら、リリアーヌの部屋へと案内した。
「あの女は今、厨房にいるから今がチャンスよ。」
ブランカはリリアーヌの部屋のドアを開き、メルルの背を押した。
「ほら、早く。私が見張っていてあげる。」
メルルは泣きそうな気持ちで、何匹ものネズミを部屋の中に放った。
(ごめんなさい…。ごめんなさい…。)
心の中で何度も謝るしかない。
「お疲れ様。もう戻っていいわよ。」
愉しげに言うブランカの声を背に、メルルは逃げるようにその場を離れた。
火傷した手が痛む。包帯も緩んできている。
急いで自室に戻ろうと、廊下の角を曲がったところで誰かと激しくぶつかった。
「キャッ……!」
相手も転ぶ音がした。
「す、すみません!大丈夫ですか?」
「い、いえ!私こそ……、」
メルルも起き上がって、相手に謝る。
そこにいたのは若い娘だった。質素なワンピースに飾り気もなく、使用人にしか見えない。
メルルはぶつかった相手が、ただの若い使用人だと思い込んでいた。
そんなメルルにリリアーヌはそっと手を差し出した。
「立てますか?」
その声音は驚くほど柔らかかった。
あまりにも自然な仕草だったため、メルルは一瞬、言葉を失ってしまう。
「……あ、ありがとうございます。」
優しさに戸惑いながらも手を借りる。
(こんな娘、離宮にいたっけ……?ブランカたちが着ている制服とも違うし……。)
「本当にごめんなさい。怪我はないです?」
「大丈夫です。こちらこそ、ぶつかってしまって、ごめんなさい。」
「あれ?包帯、解けかかってますよ。あ、もしかして、さっき、私がぶつかったせい!ご、ごめんなさい!」
リリアーヌはメルルの解けかかった包帯見て、焦った。
「今、巻き直しますから!」
「い、いえ、本当に大丈夫ですので…!」
メルルは慌てて手を引こうとしたが、リリアーヌはすでに包帯を解き始めていた。
そして、火傷の跡を見た瞬間、リリアーヌの表情が変わった。
「な…何ですか?この火傷は……。ひどい傷。しかも、ちゃんと治療されてない…。」
真っ赤に腫れた手の甲。水ぶくれの跡。
適切な手当てをされていないことは、一目瞭然だった。
「え、えっと…大したことないので…。」
「何言ってるんですか!大したことありますよ!このままだと痕が残ってしまいますよ!」
リリアーヌは真剣な目をしていた。
「ちょっと待っていてください!薬を取ってきます。絶対そこにいて下さいね!」
「え、あの…!」
リリアーヌは返事を待たず、駆けだした。
部屋に駆け込んだリリアーヌだったが、部屋の中には数匹のネズミがいた。
「わ!ネズミだ!」
リリアーヌは驚いた様子もなく、むしろ嬉しそうに笑った。
「可愛い……。こんなところまで迷い込んじゃったの?あ、もしかして、お腹空いてるかな?」
リリアーヌはポケットからクッキーを取り出し、床にそっと置いた。
ネズミたちはクッキーに寄ってきて、ちょこちょこと食べ始める。
「ふふ、食べてる……。可愛い……。」
リリアーヌは思わず見入ってしまう。
そういえば――男爵邸にいた頃も、部屋によくネズミが出たなあ。
リリアーヌがあてがわれていた部屋は屋敷で一番日当たりが悪く、壁や床には小さな穴がいくつも開いていて、そこからネズミが出入りしていた。
だからリリアーヌにとって、ネズミは恐怖の対象ではない。
むしろ、薄暗い部屋の片隅で小さな体を震わせながらも必死に生きている姿を見るたび、「自分も頑張らなきゃ」と励まされていたのだった。
「……ハッ!こんなことしている場合じゃなかった!」
リリアーヌは薬箱を掴むと、急いでメルルの所に戻った。
「お待たせしました!」
リリアーヌは火傷用の軟膏を取り出し、そっとメルルの手を取った。
「これ、私が作った薬です。今、塗りますから、じっとしていてくださいね。」
「え…あの……。」
リリアーヌは優しく、メルルの手に薬を塗った。
冷たくて、ひんやりとした感触。痛みが少し和らぐ。
「この薬を朝と夜、必ず二回に分けて塗って下さいね。」
リリアーヌは軟膏の入った小瓶をメルルに手渡した。
「あ、ありがとうございます。あの、それじゃあ、お薬代を……、」
メルルは薬代をリリアーヌに払おうとしたが…、
「気にしないでください。私がぶつかったせいで包帯解けてしまったので、お詫びです。」
「ええ!そんな!そ、そういう訳には……!」
その時、背後からリリアーヌの侍女が声をかけてきた。ブランカだ。
「リリアーヌ様。こんな所にいらしたのですか。侍女長がお呼びですわよ。」
「え?侍女長が?」
リリアーヌと侍女のやり取り見て、メルルはギョッとした。
(え…。リリアーヌって…、まさかこの人が新しい側室!?)
メルルは愕然とした。
(全然気づかなかった…。)
リリアーヌの格好からてっきり、使用人かと思った。
まさか、側室だったなんて……。
(私……さっき、あなたの部屋にネズミを放ったばかりなのに……。)
なのに、この人は自分の火傷を心配してくれて、薬までくれた。
罪悪感と、リリアーヌの優しさに、胸が締め付けられた。
「あ、あの……、」
メルルがリリアーヌに話しかけようとしたが、ブランカにギロリと睨みつけられ、口を噤むしかない。
「すみません。私はこれで…。それじゃあ、お大事に!」
リリアーヌは急いで侍女長の所に行き、メルルに手を振ってその場から去った。
メルルは結局、本当のこと言えないまま、リリアーヌを見送ることしかできなかった。
手の中には、リリアーヌがくれた軟膏の小瓶。
その小瓶がメルルの胸に重く、重く、のしかかった。
(リリアーヌ様……。)
メルルは小瓶を握り締め、涙をこらえた。
使用人部屋に戻ったメルルは、軟膏が入った小瓶を見つめた。
「メルル、どうだった?」
ルーラとシャーリーが心配そうに尋ねる。
「リリアーヌ様に……会った…。」
「え…!?」
「優しかった…。私の火傷を見て、薬をくれて…。」
メルルの目から涙が溢れた。
「私…、ひどいことをしてる…。あんなに優しい人に…。」
「メルル……。」
シャーリーが唇を噛んで、メルルの肩を抱いた。
ルーラも黙って隣に座る。
リリアーヌ様は悪くない。間違っているのは、自分たちだ。
でも——逆らえない。
ヴェロニカ様の命令は絶対なのだ。
小さな使用人部屋で、三人はただ黙って座っていた。
誰も言葉を発することができない。
ただ、静かな夜が過ぎていく。
メルルの手の中の小瓶だけが、わずかな温もりを残していた。
ネズミはすっかりリリアーヌに懐き、まるで家族のように部屋に住み着いてしまった。
そのせいで——リリアーヌへの嫌がらせは、ことごとく失敗に終わることとなる。
「……なんなのよ!あの女!」
侍女たちは怒りのあまり顔を真っ赤にし、机を叩いた。
「一体、どんな手を使ったら、あんなに早くゴキブリを追い出せるのよ!?」
「しかも、あの女の部屋に放ったゴキブリとネズミが私たちの部屋に来たじゃない!もう、最悪!」
「ネズミなんて……、名前までつけて可愛がってるし……。普通、悲鳴あげて逃げるでしょ!?」
侍女たちは口々に愚痴をこぼす。
しかも、そのネズミたちが侍女長や他の侍女の部屋に忍び込み、食べ物を齧り、服に穴を開け、靴紐を噛み切るなど、実害は日増しに悪化していく一方だった。
「昨日なんて、私の新しいドレスの裾が穴だらけになったのよ……!」
ブランカは苛立ちを露わにしてそう言った。
「私なんて、夜中にあの女の部屋に忍び込んだらネズミに噛まれたのよ!」
そう叫ぶのはサーシャ。彼女は、リリアーヌの顔にかぶれる薬を塗ってやろうと企んでいたのだ。
「私はあの女の髪を切ろうとしたら、ネズミに髪を噛みちぎられたのよ!腰まであったのに!」
アニーも声を張り上げる。
悲鳴と怒号が飛び交う部屋。
ネズミは夜行性のため、その鳴き声と物音で眠れず、寝不足が続く彼女たち。そんなことは露知らず、リリアーヌは毎朝のほほんと声をかけてくる。
「あ、おはようございます。ブランカ。」
ブランカを見かけて、ニコニコと挨拶する。
その瞬間、ブランカの眉がピクリと動いた。
「あら?何だか疲れ切った顔してますけど、大丈夫ですか?目の下にクマが……。」
リリアーヌは心配そうに覗き込む。
「もしかして、あまり眠れなかったのですか?そういえば、侍女長も不眠気味みたいですし……。良かったら、これ、どうぞ!安眠作用のあるハーブティーです!」
別の日には——
「あれ?アニー?髪、切ったんですね!素敵です!」
リリアーヌは目を輝かせる。
「長い髪も似合いますけど、短い髪も似合いますね。あれ?でも、長さがアンバランス……?ああ!もしかして、この髪型が王都の流行なんですか?」
さらには——
「サーシャ。裾が破けてますよ。私でよければ直しましょうか?刺繍は苦手ですけど……、頑張ってみますね。」
と、無邪気に申し出る。
その度に、侍女たちは苛ついた。
何度、その能天気な顔を殴ってやりたいと思ったことか。
「あああ……!思い出すだけで腹が立つ!」
「こっちの気も知らないで!」
「ほんっと、嫌味な女だわ!」
嫌味など微塵もなく、リリアーヌは純粋に心配しているだけなのだが、それは彼女達には伝わっていなかった。
この後も懲りずに嫌がらせを続ける彼女たちだったが、結果は散々だった。
熱々のお茶をかけようとすれば、妖精たちに裾を引っ張られて、こけ、頭からお茶を被る羽目になった。
階段から突き落とそうとして、ネズミに気を取られたリリアーヌがしゃがんだせいで空振りし、自分が転げ落ちる。
何をしても、ことごとく失敗に終わるのだった。
そして、当のリリアーヌは──。
「ほら、グレイー。今日のクッキーはチーズ入りだよー。」
「チュッ!」
微笑みながらネズミに餌を与え、もふもふの毛並みを撫でていた。
侍女たちの苦労など、まるで知らないかのように。
その日の夜。
リリアーヌはベッドに横になったが、なかなか眠れなかった。
(また……、あの夢を見たら……。)
布団の中で小さく身体を丸める。
キリアン、エドウィン、ユベール——三人の名前が頭から離れない。
そして、あの銀髪の女性と赤髪の女性も。
(本当に、あれは未来のことなのかな……。それとも、ただの悪夢……?)
リリアーヌは不安を抱えたまま、疲れ果てて眠りについた。
柔らかな月明かりが部屋を優しく照らしていた。
そして——その夜、リリアーヌは再び、あの夢を見た。
2
あなたにおすすめの小説
幼馴染の勇者に「魔王を倒して帰ってきたら何でもしてあげる」と言った結果
景華
恋愛
平和な村で毎日を過ごす村娘ステラ。
ある日ステラの長年の想い人である幼馴染であるリードが勇者として選ばれ、聖女、女剣士、女魔術師と共に魔王討伐に向かうことになる。
「俺……ステラと離れたくない」
そんなリードに、ステラは思わずこう告げる。
「そうだ‼ リードが帰ってきたら、私がリードのお願い、一つだけなんでも叶えてあげる‼」
そんなとっさにステラから飛び出た約束を胸に、リードは村を旅立つ。
それから半年、毎日リードの無事を祈り続けるステラのもとに、リードの史上最速での魔王城攻略の知らせが届く。
勇者一行はこれからたくさんの祝勝パーティに参加した後、故郷に凱旋するというが、それと同時に、パーティメンバーである聖女と女剣士、そして女魔術師の話も耳にすることになる。
戦いの昂りを鎮める役割も担うという三人は、戦いの後全員が重婚の認められた勇者の嫁になるということを知ったステラは思いを諦めようとするが、突然現れたリードは彼女に『ステラの身体《約束のお願い》』を迫って来て──?
誰がどう見ても両片思いな二人がお願いをきっかけに結ばれるまで──。
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
契約結婚のススメ
文月 蓮
恋愛
研究一筋に生きてきた魔導士のレティシアは、研究を続けるために父に命じられた結婚をしかたなく承諾する。相手は社交界の独身女性憧れの的であるヴィラール侯爵アロイス。だが、アロイスもまた結婚を望んでいなかったことを知り、契約結婚を提案する。互いの思惑が一致して始まった愛のない結婚だったが、王の婚約者の護衛任務を受けることになったレティシアとアロイスの距離は徐々に縮まってきて……。シリアスと見せかけて、コメディです。「ムーンライトノベルズ」にも投稿しています。
敵将を捕虜にしたら夫になって、気づけば家族までできていました
蜂蜜あやね
恋愛
戦場で幾度も刃を交えてきた二人――
“赤い鷲”の女将軍イサナと、
“青狼”と恐れられたザンザの将軍ソウガ。
最後の戦いで、ソウガはイサナの軍に捕らえられる。
死を覚悟したその瞬間――
イサナは思わず、矢面に立っていた。
「その者は殺させない。命は……私が引き受けます」
理由などなかった。
ただ、目の前の男を失いたくなかった。
その報告を受けた皇帝エンジュは、
静かに、しかし飄々とした口調で告げる。
「庇いたいというのなら――夫として下げ渡そう」
「ただし、子を成すこと。それが条件だ」
敵国の将を“夫”として迎えるという前代未聞の処置。
拒否権はない。
こうしてソウガは、捕虜でありながら
《イサナの夫》としてアマツキ邸に下げ渡される。
武でも策でも互角に戦ってきた男が、
今は同じ屋根の下にいる。
捕虜として――そして夫として。
反発から始まった奇妙な同居生活。
だが、戦場では知り得なかった互いの素顔と静かな温度が、
じわじわと二人の距離を変えていく
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
発情王女の夫選び
山田ランチ
恋愛
〈あらすじ〉
王家熱を発症した者が女王になれる国、テーレフルミ王国の第一王女サンドラは、よりにもよってたまたま通りすがった騎士団長ジュール・ベルナールの前で王家熱を発症してしまう。王家熱を発症するとより多くの子孫を残そうと発情してしまうという厄介な体質になってしまったサンドラは、抗えない衝動によってジュールを襲い後悔する。その日は丁度、功績を上げた褒美としてジュールが騎士団長になり、侯爵という高位の爵位を賜った日でもあった。
女王になれば複数の愛妾を持つ定めのサンドラは、ジュールに惹かれていく気持ちになんとか蓋をしようとする。そんな中、二人を引き裂くようにサンドラの夫候補としてグランテーレ王国から第三王子のアレシュがやってくる。そしてサンドラはアレシュの前で発情してしまい……。
〈登場人物〉
テーレフルミ王国
サンドラ・フルミ 第一王女 17歳
ジュール・ベルナール ベルナール侯爵、騎士団長、26歳。
シルヴィオ・フルミ 第一王子 22歳
シルビア・フルミ 第二王女 8歳
レア・フルミ 女王、53歳
シュバリエ 女王の愛妾 55歳
シレンヌ・ベル 宰相、ベル伯爵、53歳
アレッサ・シャスール シャスール子爵家の長男、騎士団副隊長、28歳。
シェイラ・シャスール シャスール子爵家の長女で、アレッサの双子の妹。ジュールの元婚約者。
グランテーレ王国
アレシュ 第三王子 18歳
【完結】体目的でもいいですか?
ユユ
恋愛
王太子殿下の婚約者候補だったルーナは
冤罪をかけられて断罪された。
顔に火傷を負った狂乱の戦士に
嫁がされることになった。
ルーナは内向的な令嬢だった。
冤罪という声も届かず罪人のように嫁ぎ先へ。
だが、護送中に巨大な熊に襲われ 馬車が暴走。
ルーナは瀕死の重症を負った。
というか一度死んだ。
神の悪戯か、日本で死んだ私がルーナとなって蘇った。
* 作り話です
* 完結保証付きです
* R18
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる