期限付きの側室なのに皇太子殿下が離してくれません!

林檎

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第二章 才能の開花編

ローゼンハイムの賢者

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リリアーヌの言葉に、アルフレートは目を見張った。

(メルカディオン王国の歴史を……ここまで正確に?あれは学術院でも高位の研究者しか知らないはず……。)

驚きと同時に、わずかな誇らしさすら芽生えた――その時。

「……それは、あまりに浅慮です。」

低く澄んだ声が、場に落ちた。
ざわめきが一瞬で止まる。
ざり、と貴族たちが道を開けるように視線を向ける。

リリアーヌも反射的に顔を向けた。
発言をしたのは深い紫の外套をまとった端整な顔立ちの若い貴族だった。
濃い栗色の髪、そして——鋭い青い瞳が、リリアーヌを捉えた。
30代半ばだろうか。若いのに、その佇まいには圧倒的な威厳があった。

エウデキア侯爵、ルシアン。

古代史や魔法などありとあらゆる専門分野の知識を持つといわれるエウデキア家の現当主。
エウデキア家は〈ローゼンハイムの賢者〉と讃えられている一族だ。
そして、現当主ルシアンもその才覚を発揮していて、学識と魔導理論の頂点に立つ男だった。

アルフレートは心の中でつぶやく。

(まずい……。よりにもよって、宮廷最高の知性が動いた……。)

周囲の貴族たちも緊張した様子で彼の言葉を待つ。
ルシアンは椅子に座ったまま、リリアーヌに視線だけを向けた。

「失礼しました。突然の発言をお許し下さい。ですが、どうしても口を挟まずにはいられず……。」

丁寧な言い回しとは裏腹に、口調は冷ややかだった。
そして、あくまで形式だけを整えるように名乗った。

「ああ。申し遅れました。私はルシアン・ド・エウデキアと申します。」

言葉は丁寧だが、立ち上がりもせず、礼も返さない。
慇懃無礼な態度に、アルフレートは思わず奥歯を噛んだ。

(……なんてあからさまなんだ。リリアーヌを“側室”として認める気など、ないということか。)

しかし、リリアーヌはそんなルシアンの態度に気づかず、

「エウデキア…?」

その名が出た瞬間、胸が跳ねた。

(エウデキア家…!?〈賢者の一族〉と呼ばれる、あの……!)

社交界に疎いリリアーヌでも、その名だけは知っていた。
いや、知らぬ者はいない。代々、宮廷魔術師や学者を輩出し、ローゼンハイム神聖皇国の知の歴史を支えてきた名門中の名門。

だが、リリアーヌの脳裏に浮かんだのは、賢者の称号以上のものだった。

(エウデキア家の図書室……!)

エウデキア家の図書室といえば、王宮図書館に匹敵すると噂される。
幼い頃から本だけが友達だったリリアーヌにとって、
それは天国、いや、聖地のような場所だ。

(行ってみたい……っ!)

ほんの数秒のうちに、心が弾んでしまう自分に気づき、
リリアーヌは慌てて背筋を正した。

(い、いけない!私も挨拶を返さないと!)

立ち上がり、スカートをつまんで深々と礼をする。

「は、初めまして……!賢者の一族と謳われるエウデキア家の御当主にお目にかかれ、光栄に存じます……!」

声が震え、途中でつかえる。それでも懸命に言葉を紡いだ。
あまりに必死な挨拶だったため、場にいた者たちの視線が一瞬、彼女に集まる。

侯爵は、わずかに目を瞬かせた。
まるで“予想外すぎる反応”を見せられたかのように。

「……ほう?」

低く柔らかな声が落ちる。

「我がエウデキア侯爵家を、ご存知で?」

リリアーヌは顔を真っ赤にしながら、胸の前でぎゅっと指を絡め、こくりと頷いた。

「も、勿論です!エウデキア家の名は、その……社交界に疎い私でも存じ上げております!」

興奮と緊張で声が震える。しかし、勇気を振り絞って声を出す。

「エウデキア侯爵家は古書の収蔵で有名ですし…。図書室は王宮図書館にも匹敵すると……!」

言葉が少し早口になる。
頬が紅潮し、目が輝いている。

ルシアンはしばらくリリアーヌを観察するように見つめ、口元にごく薄い笑みを浮かべた。しかし、その目は笑っていない。

「……それは光栄です。」

薄い笑みは一瞬で消え、鋭い光が瞳に宿る。

「それより、先ほどの“メルカディオン滅亡の原因”ですが。」

空気が再び張りつめる。
ルシアンは淡々と、しかし鋭く言葉を重ねる。

「メルカディオンの滅亡原因は七年間の飢饉によるものです。これは史書《ヴァルシエ年代記》にも明確に記されています。根拠のない憶測で歴史を語らないで頂きたい。誤った解釈は歴史に対する冒涜です。」

一拍の沈黙。

「さて――リリアーヌ様。」

冷ややかな声が場を刺す。

「あなたは、いかなる根拠で“魔法崩壊”などと考えられたのか。お聞かせいただけますね?」

リリアーヌの胸がきゅっと縮む。
場が静まりかえり、誰もがリリアーヌの反応を注視する。
アルフレートは拳を握った。

(相手が悪すぎる……!相手は賢者の一族の当主だ。“賢者”は宮廷で最も論を重んじる。彼に言い負かされれば、リリアーヌが嘲笑される……。)

しかし聖皇だけは、面白そうに目を細めていた。

(あのルシアンが口を挟むとは……。
正直、期待はしておらなんだが――これは面白い。
さあ、どう答える、リリアーヌ。)

――場の視線のすべてが、彼女へと集まっていた。

「…はい。確かに、長い間そう信じられていました。」

リリアーヌがそう答えると、ルシアンの眉がぴくりと動いた。

「ならば、何を根拠に違うと言い切れるのです?」

低く、研ぎ澄まされた声。
ローゼンハイムの賢者の異名を継ぐ男の問いは、軽くはない。
リリアーヌは、胸の前でぎゅっと指を絡めながら、

「……近年の研究で、新たな事実が判明したのです。」

「ほう?近年の研究とは、どの研究を指しているのでしょう?詳しくお聞かせいただいても?」

ルシアンはあくまでも威圧せず、しかし逃げ場を与えない問いをする。

「アルセルラ国の考古学調査団が、古代遺跡の制御陣跡を解析した研究です。その調査報告が、アルセルラ考古学誌・特別号にまとめられていました。」

その名を出した瞬間、場の空気がわずかに揺れた。
専門家の間でも権威ある学術誌だ。

「そこにはこう記されていたのです――飢饉は滅亡の直接原因ではなく、あくまでも引き金だった、と。
国の衰退は、すでに避けられない状態でした。理由は……国中の魔法陣が何十年もの間、無理な稼働を続けていたから。魔術師たちは国のすべてを魔法で支え続け、魔力供給陣も限界を超えていました。
最後には制御が崩れ、国全域で魔法崩壊が起きた――そう、文献に記されていたのです。」

貴族たちがざわめく。
リリアーヌは小さく息を吸い、最後の言葉を紡いだ。

「最終的に魔力資源の枯渇と魔術師への過重負担が限界に達し、魔力供給の制御陣が暴走しました。国全域で魔法崩壊(マナカタストロフ)が発生したのです。
それこそが、メルカディオン国が滅んだ本当の理由だと――最新の研究では、そう結論づけられています。」

声は震えていたが、リリアーヌははっきりと言い切った。
その言葉には、確かな芯があった。

「……だからこそ、魔法だけに頼ってはいけません。」

空気が、一気に張り詰めた。
ルシアンは、長い沈黙の後、静かに言った。

「……認めましょう。アルセルラ考古学誌の精度の高さは、私も認めています。あの学術誌に記されていることが事実ならば――メルカディオン国の滅亡原因は、確かに魔法崩壊だった。」

場が、どよめく。
ローゼンハイムの賢者が、自ら認めた。
近くにいた貴族が思わず声を上げた。

「え、エウデキア侯爵…!?あ、あなたほどの方が何を仰るのです!あんな娘の戯言を認めるなど……!」

「戯言ではない。あの本の記述は、信憑性を疑う余地がない。」

「な、何を…!」

「アルセルラ考古学誌は専門家や学会でも高く評価され、学術院でも使われる程の代物です。歴史的価値も高く、そこに記載されているのが事実である以上、認めざるを得ません。しかし…、」

ルシアンの瞳が、鋭くリリアーヌを見据える。

「その特別号は、アルセルラ国の学者と聖職者の間でしか閲覧できないはず。私自身、何度も入手を試みたが、叶わなかった。リリアーヌ様。あなたは、いかにしてそれを?」

その声には、非難も冷たさもなく、ただ純粋な驚きと興味があった。

(この娘が……私が手に入れられなかった資料を……?)

ルシアンの胸に、わずかな敗北感と、しかしそれを凌ぐ強い知的興奮が湧き上がっていた。
ルシアンの問いに、リリアーヌは少し言いづらそうに答えた。

「その……私の領地の教会のシスターから、お借りしました。」

「シスター?」

ルシアンはわずかに眉を動かした。

「一介のシスターが、どうやってあの貴重な資料を?」

「あ、ええと‥‥、そのシスターはいろいろ人脈がある方で‥‥。考古学好きの高位聖職者の方からお借りしたと聞きました。私が読んでみたいと言ったらわざわざ借りてきてくださったんです。」

ガタン、と音が立った。

突然、ルシアンが立ち上がった。
顔は伏せられ、表情が窺えない。
ただ、その手が――僅かに震えていた。

「‥‥その手があったか。」

低く、震える声。

「え、エウデキア侯爵閣下?」

近くに座る貴族たちは、理解が追い付かず、困惑するばかりだ。

スッと顔を上げたルシアンの目がリリアーヌを射抜く。
リリアーヌはビクッとした。
ルシアンの目が――まるで獲物を狩る獣のようにギラギラと光っていたからだ。

(こ、怖い……!)

アルフレートは、信じられないという表情でルシアンを見つめた。

(あのルシアンが……?)

宮廷最高の知性と称賛された彼が、ここまで露骨に感情を露にするなど見たことがなかったからだ。
常に冷静沈着で、感情の揺らぎを一切見せたことがなかったというのに。

「そのシスターの名は?」

「え?あ、あの‥‥、」

(な、何?何この迫力…怖い…!)

リリアーヌの本能が、全力で警告を発していた。

(これ、絶対教えちゃダメ!絶対にシスター・マリナの名前を教えちゃいけない!そんな気がする!)

リリアーヌが背筋を凍らせているその時――、

「エウデキア侯爵、控えよ。ここは会議の場だ。私情は挟むな。」

聖皇の声には、わずかな呆れが混じっていた。

「‥‥失礼しました。」

ルシアンは深く一礼し、席に戻った。
しかし、その目は――まだリリアーヌを見ていた。

(なんとしてでも、そのシスターに接触せねば。あの特別号を拝読できる可能性があるのだ……。この機会を逃がすものか…。)

静かな闘志が、ルシアンの全身から立ち上っていた。
エウデキア侯爵家――<ローゼンハイムの賢者>と讃えられる一族。確かにその名に恥じぬ天才揃いではあるのだが、ただ一つの欠点があった。
本のこととなると、一族揃って理性を失うのである。
彼らは筋金入りの本狂いなのである。
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