期限付きの側室なのに皇太子殿下が離してくれません!

林檎

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第二章 才能の開花編

黒い囁き

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二人の足音が遠ざかり、庭園に一人残った聖皇はその後姿を見送りながら、フッと口角を吊り上げた。

「面白い娘だな…。」

あまりにも予想外だった。
最初は期待していなかった。社交界にも出ていない男爵家の私生児。学園にも通っていない、教養を受けていない無知な娘だと思っていた。

だが、それは誤りだった。

意見を求めた時に見せた思考。型に嵌まらぬ視点と、地に足のついた現実的な提案。
そして、リリアーヌの発言からはその聡明さの片鱗を見せつけられた。
彼女は礼儀作法や社交術は未熟だが、それを差し引いても余りある知性がある。

(あれは育てる価値がある。)

あの娘は、真っ当な教育を施せば、光り輝くだろう。手放すには見過ごせない人材だ。
そして、何より――

(彼女と同じ考えを持つ娘がこの国にいたとはな……。)

聖皇は、静かに目を伏せた。
そして、控えている従者に告げる。

「サファイア宮殿に行く。」

「聖妃様の元へ?」

「ああ。見舞いに行く。」

「畏まりました。」

聖皇は聖妃の宮殿に足を運んだ。
無性に彼女に会いたくなった。





重厚な扉を開けると、薄暗い部屋に柔らかな光が差し込んでいた。

ベッドには、聖妃ジュネヴィーブが静かに眠っていた。
かつては美しかった顔は、今では病に蝕まれ、痩せ細っていた。
聖皇は椅子に座り、妻の手を取った。

「今日、面白いことがあった。」

聖妃は眠ったまま、答えない。

「皇太子の側室だ。リリアーヌという娘でな。聡明で……、そなたによく似ている。」

聖皇は答えない妻に向かって話し続けた。

「目覚めたら、紹介しよう。きっと、そなたも気に入るはずだ。」

聖妃の反応はない。
ただ、静かな寝息だけが聞こえる。
聖皇は聖妃の手をそっと握りしめた。

「また来る。待っていてくれ。」

そう言って、聖皇は部屋を後にした。
扉が閉まる音が、静かに響いた。





アルフレートとリリアーヌは並んで廊下を歩いていた。沈黙が続く。

(そういえば、殿下は私の意見を聞いて、どう思ったのだろうか。不快に思わなかったかな……?)

リリアーヌは不安になった。

(でも…、それよりもまずは殿下にこれだけは伝えておかないと……!)

リリアーヌは勇気を振り絞って、彼に話しかけようとした。が……、リリアーヌはその時、ざわりと鳥肌が立った。

(な、何?急に寒気が……。)

リリアーヌは思わず辺りを見回す。その時、リリアーヌは一瞬、アルフレートから黒いオーラのようなものが滲み出ているのを見た。

(え!?な、何これ!?殿下の胸の辺りから何か黒い煤のようなものが……!?)

だが、それはほんの一瞬だった。黒い煤はフッと掻き消えた。
リリアーヌは見間違いかと錯覚した。でも、アルフレートの様子がおかしい。さっきと違って、どこかぼんやりとした目をしていて、まるで感情のない人形のようだ。リリアーヌは目の前にいるアルフレートが彼でないような気がして、怖くなり、思わず声を掛けた。

「あの…、殿下?」




一方、アルフレートは胸の奥に沈む重たい感情を持て余していた。

(父上はリリアーヌを褒めていた……。)

父が他人を褒めることなど、ほとんどない。

(俺は…、父上にあんな風に認めてもらったことなんて一度もない。ましてや、褒められたことなんて……。)

自分は幼い頃から英才教育を施され、帝王学を叩き込まれてきた。
一度の失敗も許されず、成果を出して当然とされてきた。
努力しても、結果を出しても、父は決して自分を褒めなかった。

――皇太子なら、できて当然だ。

そう言わんばかりの沈黙と、厳しい視線だけ。

(それなのに……。)

今日、父はリリアーヌを褒めた。会って間もない彼女を……。知識を称え、発想を評価し、その可能性を――認めた。おまけに父はリリアーヌに期待し、教育を受けさせるという待遇を与えた。それだけ、リリアーヌに期待しているということに他ならない。

(リリアーヌは独学で、あそこまで……。)

自分は整えられた環境で、優秀な学者や教師に囲まれて、最高の教育を受けてきた。
なのに、リリアーヌは誰にも教わらずとも、自力であそこまでの知識を身に着けた。

(……彼女の方が俺よりも優れているのではないか。)

何が教養のない娘、だ。文字が読めるかも怪しい?思い違いも甚だしい。リリアーヌの話を聞けば、その聡明さは会話の端々から滲み出ている。誰がどう見ても、彼女は聡明だ。独学であのルシアンを論破できるほどの知識を持っている。

(俺は何年も最高の教育を受けて学んだというのに…、貯水湖という存在すら知らなかった。)

劣等感が胸を締め付ける。リリアーヌとの差を感じ、愕然とする。自分の視野の狭さを思い知らされる。
胸の奥で、何かが軋んだ。

――かちり。

首元の薔薇のペンダントが、微かに熱を帯びる。

『……なんと、生意気な女だろう。』

囁きが、耳元で甘く絡みつく。

『さすがは私生児。慎みを知らぬのだな。淑やかなヴェロニカとは、大違いだ。』

アルフレートの思考に、黒い言葉が流れ込む。
その言葉はまるでアルフレートの頭の中で音が反響するように囁く。

『女とは、男に従い、支える存在。リリアーヌはそれできていない。』

声は尚も囁く。

『欠陥品だ。』

暗い思考が、心に忍び込む。また、この声だ。

『知識をひけらかし、図に乗っている。お前のことも、内心では見下しているに違いない。』

(……違う。)

否定しようとするほど、思考は深みにはまり込んでいく。

『何が違うというのだ?お前を立てることもせずに、出しゃばっていたではないか。女の癖に生意気とは思わないか?お前だって、本当は疎ましく思っているだろう?』

胸の奥にあった劣等感が、怒りと優越感へと歪められていく。

『アルフレート、お前は悪くない。悪いのは、その女だ。』

鎖のような言葉が、心に絡みつく。

『さあ、皇太子としての威厳を示せ。その女に側室としての立場を、自覚させろ。女は――調教すれば、従順になる。』

それが正義であるかのように、思考を縛り上げる。

(……そうだ。俺は皇太子だ。完璧であらなければならない。間違いは…、正さなければ……。)

一瞬、本気でそう思いかけた、その時。

「……あの、殿下?」

柔らかな透き通るような声。
アルフレートは、ハッと顔を上げた。
リリアーヌが、こちらを見上げている。
その瞳には、見下しも、傲慢も悪意もなかった。
その目は真っ直ぐで清らかな光を宿していた。

(今、俺は……何を?)

絡みついていた鎖が、音を立てて軋む。
アルフレートは無意識に胸元を押さえた。

「大丈夫ですか?どこか具合でも悪いのでしょうか?」

リリアーヌは心配そうにアルフレートにそう問いかけた。

「……何でもない。」

そう言って、彼は深く息を吐く。
心の闇はまだ消えていない。だが――今は引き戻された。
リリアーヌの声によって。

アルフレートの瞳に、ふっと光が戻る。
先ほどまで虚ろで、人形のように見えた姿が、確かに――生身の人間のものに戻った。

その変化に気づき、リリアーヌは小さく息を吐いた。

(……よかった。殿下だ。)

胸の奥に溜まっていた緊張が、わずかにほどける。
そして――今だ、と自分に言い聞かせた。

「あ、あの……殿下……!」

「……なんだ。」

振り返ったアルフレートの声は、冷ややかで硬い。
まだ、心の奥には暗い感情が残っていたからだ。

リリアーヌはびくりと肩を震わせたが、逃げなかった。

「わ、私……、」

一瞬言葉に詰まり、それから意を決したように続ける。

「先ほどは……ありがとうございました。」

深く頭を下げる。
声が震え、胸がいっぱいで、うまく言葉が続かない。

「……なに?」

アルフレートは眉をひそめた。
予想もしない言葉だった。

「殿下が、あの場で……私の話を聞いてくださらなければ、私はきっと、何も言えずに終わっていました。」

胸の前で、指をきつく組む。

「皆様に笑われて……やっぱり、私なんかが意見を言う場所じゃないって……。そう思いかけていたんです……。」

視線を伏せ、震える声で続ける。

「でも……殿下は違いました。殿下だけが、私の話を……真剣に聞いてくださいました。」

アルフレートは、返す言葉を失った。

(……何を言っている。)

当然のことをしただけだ。
彼女の意見に、政治的な価値を感じただけ――それ以上でも、それ以下でもない。

水不足という現実的な問題に対し、この国はこれまで魔術師や魔法の力に頼ってきた。だが、それに頼らず解決する方法については、誰も考えてこなかった。
結果として出てくる案は、井戸の増設や水路の補修といった、一時しのぎの対処ばかりだった。

そんな中で、リリアーヌは「水を集め、蓄える」という発想を示した。
貯水湖と貯水施設を整備し、雨季の水を計画的に管理するという考え――それは、思いつかなかった選択肢だった。

リリアーヌの意見は解決の糸口になり得る。そう判断したからこそ、聞く必要があった――それだけだ。
宮廷魔術顧問を筆頭とした魔法至上主義の貴族や保守派の貴族を黙らせたのも、皇太子として、議論を整理し、筋の通らぬ反論を退けただけだ。
そのはずなのに。

胸の奥で、黒い感情がわずかに揺らぐ。

リリアーヌは、恐る恐る顔を上げた。
その瞳には、感謝と安堵が滲んでいる。

「そ、それに……、あの時も…私の意見を、否定せずにいてくださって……。」

リリアーヌはアルフレートに心から感謝を示した。

「嬉しかったです…。殿下が味方して下さったお蔭であの時、どれだけ心強かったか…。本当に……ありがとうございました。」

アルフレートは、思わず視線を逸らした。

(彼女は…、純粋に俺に感謝しているというのに…。俺は……、)

「……礼には及ばない。」

短く、突き放すように言う。

「君の提案には、筋が通っていた。それだけのことだ。」

沈黙が落ちる。
それでも、とリリアーヌは小さく首を振った。

「……私、ずっと怖かったんです。あの場所で何か言っても、誰にも聞いてもらえないんじゃないかって……。」

言葉を絞り出すように、続ける。

「私生児の私なんかが……。意見を言うなんて、おこがましいって……笑われるだけだと……。」

声が震える。

「私……ずっと、自分の考えなんて、口にする価値はないと思っていました。でも、今日、殿下が…私の味方をしてくださって……。」

アルフレートの表情が、わずかに曇った。
そして、ゆっくりと口を開く。

「……価値がないなどと、二度と言うな。」

静かだが、はっきりとした声。

「君には、考える力がある。この国の未来を見据える目がある。」

彼は、まっすぐにリリアーヌを見た。

「それは、どんな爵位や血筋よりも尊いものだ。」

リリアーヌは息を呑む。
胸が熱くなり、言葉が出てこない。

――こんなふうに、誰かに認められたことなど、一度もなかった。

「……殿下……。」

アルフレートは一瞬、視線を伏せた。
何かを確かめるように、思案する間が生まれる。
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