期限付きの側室なのに皇太子殿下が離してくれません!

林檎

文字の大きさ
45 / 66
第二章 才能の開花編

名もなき祈り

しおりを挟む
アルフレートは、ふと疑問を口にした。

「……あの知識は、男爵家で身につけたのか?」

「い、いえ……男爵家ではなく……教会で習いました。それと、市民図書館で本を借りたりして……」

「男爵家では、教育を受けなかったのか?」

「っ……」

リリアーヌの肩が、わずかに強張る。

「……い、いえ。男爵家では、あまり教育を受ける機会がなかったので……」

「なら……あれは、すべて独学か?」

アルフレートは、思わず息を呑んだ。
独学で、あれほどの知識を――。

「殿下のお陰です」

「俺の?」

「殿下が……十一年前に施行してくださった政策で、平民でも無料で利用できる市民図書館を設立してくださいましたよね。あの図書館のおかげで……私は、本を読むことができました。」

一つひとつ、確かめるように言葉を紡ぐ。

「あの政策のお陰で……私は、学ぶことができました。」

リリアーヌは、そっと顔を上げた。

「殿下には……ずっと、お礼を言いたかったんです。私に、教育を受ける機会を与えてくださって……本当に、ありがとうございます。」

(やっと……言えた。殿下は、覚えていないかもしれないけれど……。)

彼女にとって、それは――初めて「学んでもいい」と、許された瞬間だった。
アルフレートは、足を止めた。

「……そうか。」

複雑な表情で、彼女を見下ろす。

(俺が作った制度で……誰かの人生を、変えられたのか……。)

その事実が、静かに胸に響いていた。

「リリアーヌ。」

その声には、先ほどまでの冷たさはなかった。
呼ばれた名に、リリアーヌははっと顔を上げる。

「これからも、君の意見を聞かせてほしい。」

「……え?」

一瞬、言葉の意味を理解できず、目を瞬かせる。
それが自分に向けられた言葉だと気づいた瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。

(私に……?本当に、私の意見を……?)

「は、はい……!」

驚きと戸惑いが混じった声で返事をし、それから慌てて、何度も小さく頷く。

「ありがとうございます、殿下……!」

頬が、ほんのりと熱を帯びる。
自分でも抑えきれず、リリアーヌは嬉しそうに微笑んでいた。

その笑顔に、アルフレートはドキリ、とする。

(……なんで、こんなことで……そんな、嬉しそうに笑うんだ。)

その時、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいた。

「殿下、至急ご報告が――!」

侍従が慌てた様子で駆け寄ってくる。
侍従の声に、アルフレートは一瞬だけリリアーヌから視線を離した。
名残を振り切るように、表情が引き締まる。

「……何だ。」

低く抑えた声で応じる。
その変化に、ただならぬ気配を感じ取り、リリアーヌも思わず身を強張らせた。

「首都正門前に、大型の魔獣が出現しました!常駐していた魔術師部隊は、すでに壊滅状態です!現在、城門前で防衛部隊が応戦中ですが、持ちこたえられるか分かりません!このままでは、首都に甚大な被害が――!」

アルフレートは一瞬、言葉を失い――すぐに息を整えた。

「……わかった。すぐに向かう。」

魔獣。
その言葉に、リリアーヌの背筋が冷える。
噂には聞いていたが、まさか首都に――。

アルフレートは彼女へと視線を向けた。

「リリアーヌ。悪いが……ここから先は送れない。護衛の騎士をつけるから、そいつに送らせよう。」

「ありがとうございます。殿下。」

リリアーヌは穏やかに微笑んだ。

「でも、大丈夫です。私のためにわざわざ護衛の騎士をつけるのは申し訳ないですし…。私は一人でも帰れますから。」

「駄目だ。王宮内とはいえ…、いや。王宮内だからこそ、何が起こるか分からない。君は俺の側室だ。王家を敵対視する輩が君を狙う可能性は十分にある。何かあったら遅いんだ。だから、護衛の騎士は必要だ。いいな?」

「は、はい…。ありがとうございます……。」

(殿下…。私のことを心配してくれているんだ。や、優しい…!)

それに、俺の側室と言われて不謹慎にもリリアーヌはときめいた。
期限付きの側室で殿下とリリアーヌは契約書を交わした愛のない関係だと分かっているが、それでも、リリアーヌはアルフレートの気遣いが嬉しかった。愛していない側室相手でもちゃんとこうして、守ろうとしてくれるなんて…。
リリアーヌはハッとした。い、いけない!こんな状況なのに、私ったら不埒な事を……!リリアーヌは内心頭を振って冷静さを取り戻した。

「緊急事態ですし、私のことはお気になさらず。それより…、殿下こそ、お気をつけて。」

その言葉に、アルフレートは一瞬だけ目を伏せ、何かを言いかけた――その時。

「殿下!」

侍従の切羽詰まった声が、空気を裂く。

「……すぐ行く。」

短く答え、踵を返しかけて――アルフレートはふと立ち止まり、振り返った。

「君も……気をつけて帰れ。」

それだけ告げると、今度こそ彼は駆け出した。

リリアーヌはその背中を見送りながら、胸に手を当てた。

(殿下……。)

心臓が、激しく鳴っている。

――初めて会った日。優しく手を差し伸べてくれた人。勉強するきっかけをくれた人。

初夜の夜、『お前を愛することはない』と言われて。
この想いに、固く蓋をしたはずだったのに。

(だめ……、また……。)

胸の奥で、何かが溶け始めている。

それが感謝なのか、それとも別の何かなのか――
いや、リリアーヌは本当は、わかっていた。

ただ、認めることが――怖かった。

リリアーヌはその後、近衛騎士に離宮まで送ってもらい、自室に戻った。
そして、リリアーヌは自室に戻って落ち着いた頃にふと大事な事を思い出した。

(あ……、そういえば、手紙のこと、聞けなかった。)

リリアーヌが出した謝罪の手紙を読んでくれたか聞きたかったのに、聞きそびれてしまった。

(まあ…いいか。今日は直接お話できただけでも十分だし。)

それに――

(殿下は、私の意見を聞きたいと言ってくださった……。)

リリアーヌは嬉しくて、ギュッとツノ助を抱き締めながら、口元がにやけるのを抑えられなかった。

「あっ、そうだ!殿下のためにお祈りしないと……!」

リリアーヌはアルフレートが首都の魔獣討伐に出向いたことを思い出し、慌てて身を起こし、窓辺に立つと、そっと両手を胸の前で組む。

「……癒しの女神、アリスティア様。軍神、マレス様。どうか、殿下をお守りください。そして…どうか、無事に帰ってきてくださいますように。」

小さく、切実な声で祈りを捧げる。

「全知全能なる主神、ゼクス様。どうか、この国と、殿下の行く先をお導き下さい。」




リリアーヌと別れた後、アルフレートは一人、廊下を歩きながら唇を噛みしめた。

(……俺は、なんて幼稚なんだ。)

彼女は、ただ純粋に感謝を伝えてくれただけだった。
自分のおかげで学ぶことができたと、まっすぐな眼差しでお礼を言ったリリアーヌ。
その瞳は澄んでいて、何の打算も、驕りもなかった。

自らの知識を誇ることもなく、慎ましく、謙虚で……。
ただ「学べたこと」そのものを大切にしているように見えた。
胸の奥が、じくりと痛む。

(それなのに俺は……、劣等感だの、妬みだの……、そんなものを抱いて。)

自分の醜い感情に、アルフレートは自分が恥ずかしくなった。
彼は、無意識に拳を握り締めた。

(あの時‥‥、)

アルフレートは思い返す。
黒い思考が、確かに自分を呑み込もうとしていた。

『調教すれば、従順になる。』

耳の奥に残る、あの声がこびりついている。

(……もし、あのままリリアーヌが話しかけてくれなかったら。)

ぞっとする。
自分は、彼女に何を言っていただろう。何を、していただろう。

(また、傷つけるところだった……。)

初夜の夜――
蒼白な顔で気を失った彼女。震える指先。医師の冷たい視線。
あの光景が、脳裏に蘇る。

(……もう、繰り返すわけにはいかない。)

胸の奥に、重く鈍い痛みが残る。
それは後悔であり、同時に――自分がまだ、正気でいられている証でもあった。
アルフレートは、ふと立ち止まった。

(……そういえば、)

ヴェロニカが見せた、無惨に潰された花束と手紙。

『リリアーヌ様が、苛立ちのあまり……。』

侍女長の言葉が、脳裏に蘇る。
だが、今日、会った彼女からは怒りの欠片も感じなかった。
怯えも、恐怖も、恨みも。

それどころか、彼女は心から感謝を伝え――笑いかけてくれた。

(初夜で、あれほど傷つけたというのに……。)

普通なら、顔を合わせることすら嫌がるはずだ。
触れられることを恐れ、距離を置こうとするはずだ。
だが、リリアーヌは違った。
彼女は、ただ――純粋に、自分に感謝を伝えてくれた。

(……花束を踏みにじるような人間が、あんなふうに笑いかけてくれるだろうか?)

胸の奥で、違和感が静かに膨らんでいく。

(それに……。)

あの時、侍女長が見せた花束。確かに無惨ではあったが――

(……本当に、リリアーヌが?)

もし、彼女が本当に怒っていたのなら、なぜ今日、あんなふうに接してくれたのか。
もし、本当に自分を憎んでいるのなら、なぜあんなにも嬉しそうに笑ったのか。

(……何かが、おかしい。)

だが、今はその答えを探している時間はなかった。
アルフレートは、その疑問を胸の奥にしまい込んだ。

(……後で、確かめよう。とにかく、今は魔獣を討伐することに集中しなければ。)

「殿下!魔獣が――首都の城門を突破しました!」

侍従が息を切らして駆け寄ってくる。

「……何だと?」

アルフレートは振り返った。

(早い……!)

さきほど、出現の報告を受けたばかりだ。それなのに、もう突破されたというのか?

「防衛線が崩れ、魔獣はすでに外郭区画に侵入しています!このままでは、民に被害が――!」

(これは…、間違いなく大型だ。)

アルフレートの表情が、一瞬で変わった。

(馬では間に合わない。転移魔法で向かうしかない。)

魔力の消耗は避けられない。
だが――迷っている時間はなかった。

「転移魔法で向かう。」

アルフレートは右手を掲げ、空中に魔法陣を展開した。
光が弾け、彼の姿がその場から消える。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼馴染の勇者に「魔王を倒して帰ってきたら何でもしてあげる」と言った結果

景華
恋愛
平和な村で毎日を過ごす村娘ステラ。 ある日ステラの長年の想い人である幼馴染であるリードが勇者として選ばれ、聖女、女剣士、女魔術師と共に魔王討伐に向かうことになる。 「俺……ステラと離れたくない」 そんなリードに、ステラは思わずこう告げる。 「そうだ‼ リードが帰ってきたら、私がリードのお願い、一つだけなんでも叶えてあげる‼」 そんなとっさにステラから飛び出た約束を胸に、リードは村を旅立つ。 それから半年、毎日リードの無事を祈り続けるステラのもとに、リードの史上最速での魔王城攻略の知らせが届く。 勇者一行はこれからたくさんの祝勝パーティに参加した後、故郷に凱旋するというが、それと同時に、パーティメンバーである聖女と女剣士、そして女魔術師の話も耳にすることになる。 戦いの昂りを鎮める役割も担うという三人は、戦いの後全員が重婚の認められた勇者の嫁になるということを知ったステラは思いを諦めようとするが、突然現れたリードは彼女に『ステラの身体《約束のお願い》』を迫って来て──? 誰がどう見ても両片思いな二人がお願いをきっかけに結ばれるまで──。

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

契約結婚のススメ

文月 蓮
恋愛
 研究一筋に生きてきた魔導士のレティシアは、研究を続けるために父に命じられた結婚をしかたなく承諾する。相手は社交界の独身女性憧れの的であるヴィラール侯爵アロイス。だが、アロイスもまた結婚を望んでいなかったことを知り、契約結婚を提案する。互いの思惑が一致して始まった愛のない結婚だったが、王の婚約者の護衛任務を受けることになったレティシアとアロイスの距離は徐々に縮まってきて……。シリアスと見せかけて、コメディです。「ムーンライトノベルズ」にも投稿しています。

敵将を捕虜にしたら夫になって、気づけば家族までできていました

蜂蜜あやね
恋愛
戦場で幾度も刃を交えてきた二人―― “赤い鷲”の女将軍イサナと、 “青狼”と恐れられたザンザの将軍ソウガ。 最後の戦いで、ソウガはイサナの軍に捕らえられる。 死を覚悟したその瞬間―― イサナは思わず、矢面に立っていた。 「その者は殺させない。命は……私が引き受けます」 理由などなかった。 ただ、目の前の男を失いたくなかった。 その報告を受けた皇帝エンジュは、 静かに、しかし飄々とした口調で告げる。 「庇いたいというのなら――夫として下げ渡そう」 「ただし、子を成すこと。それが条件だ」 敵国の将を“夫”として迎えるという前代未聞の処置。 拒否権はない。 こうしてソウガは、捕虜でありながら 《イサナの夫》としてアマツキ邸に下げ渡される。 武でも策でも互角に戦ってきた男が、 今は同じ屋根の下にいる。 捕虜として――そして夫として。 反発から始まった奇妙な同居生活。 だが、戦場では知り得なかった互いの素顔と静かな温度が、 じわじわと二人の距離を変えていく

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

発情王女の夫選び

山田ランチ
恋愛
〈あらすじ〉  王家熱を発症した者が女王になれる国、テーレフルミ王国の第一王女サンドラは、よりにもよってたまたま通りすがった騎士団長ジュール・ベルナールの前で王家熱を発症してしまう。王家熱を発症するとより多くの子孫を残そうと発情してしまうという厄介な体質になってしまったサンドラは、抗えない衝動によってジュールを襲い後悔する。その日は丁度、功績を上げた褒美としてジュールが騎士団長になり、侯爵という高位の爵位を賜った日でもあった。  女王になれば複数の愛妾を持つ定めのサンドラは、ジュールに惹かれていく気持ちになんとか蓋をしようとする。そんな中、二人を引き裂くようにサンドラの夫候補としてグランテーレ王国から第三王子のアレシュがやってくる。そしてサンドラはアレシュの前で発情してしまい……。 〈登場人物〉 テーレフルミ王国  サンドラ・フルミ 第一王女 17歳 ジュール・ベルナール ベルナール侯爵、騎士団長、26歳。 シルヴィオ・フルミ 第一王子 22歳 シルビア・フルミ 第二王女 8歳 レア・フルミ 女王、53歳 シュバリエ 女王の愛妾 55歳 シレンヌ・ベル 宰相、ベル伯爵、53歳 アレッサ・シャスール シャスール子爵家の長男、騎士団副隊長、28歳。 シェイラ・シャスール シャスール子爵家の長女で、アレッサの双子の妹。ジュールの元婚約者。 グランテーレ王国 アレシュ 第三王子 18歳  

【完結】体目的でもいいですか?

ユユ
恋愛
王太子殿下の婚約者候補だったルーナは 冤罪をかけられて断罪された。 顔に火傷を負った狂乱の戦士に 嫁がされることになった。 ルーナは内向的な令嬢だった。 冤罪という声も届かず罪人のように嫁ぎ先へ。 だが、護送中に巨大な熊に襲われ 馬車が暴走。 ルーナは瀕死の重症を負った。 というか一度死んだ。 神の悪戯か、日本で死んだ私がルーナとなって蘇った。 * 作り話です * 完結保証付きです * R18

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

処理中です...