期限付きの側室なのに皇太子殿下が離してくれません!

林檎

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第二章 才能の開花編

手作りの温もり

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「……その籠は、なんだ?」

「あ、これは……教会の皆さんに差し上げる手土産です」

リリアーヌは素直に答えた。

「手土産?君が用意したのか?」

「はい。焼き菓子を作ってきたんです。大したものではないですけど……。」

アルフレートは、わずかに眉を寄せた。

(……わざわざ、自分で焼くなど……。)

「そこまでする必要はない。教会への手土産なら、こちらで用意している。」

少し間を置いて、付け加える。

「君はただ、同行してくれるだけでいい。」

本来、リリアーヌはこの教会と王家の確執においては無関係だ。
リリアーヌには何の責任もない。なのに、こちらの都合で巻き込んでしまっている。
アルフレートはそんな思いで口にしたが、いかんせん言葉の使い方が悪かった。

「あ…、そうですよね。申し訳ありません。余計な事をしてしまって……、」

シュン、と肩を落とすリリアーヌ。
アルフレートはそれを見て、自分の失言に気付く。

(……違う。そういう意味じゃない。)

アルフレートはわずかに慌てたように言葉を継ぐ。

「い、いや。別に責めている訳ではない。」

(ただ、彼女に負担をかけたくなかっただけなのに……。俺はどうして、こんな言い方しかできないんだ。)

「ただ、そこまで気負う必要はない、という意味だ。」

「え?あ…、ありがとうございます。」

リリアーヌはようやくアルフレートの本心に気付いた。

(そっか…。殿下はただ、私に負担をかけないように……。)

責めている訳ではなく、リリアーヌが気を遣う必要はないと言ってくれているのだ。
これは彼の不器用な優しさなのだと知り、リリアーヌは温かい気持ちになった。

(やっぱり、殿下は優しいな……。)

リリアーヌは籠を、そっと胸に引き寄せた。

しばらく、静かな沈黙が流れた。
アルフレートの視線が、リリアーヌの膝の上の籠に落ちる。

「先ほど――焼き菓子を作ったと言っていたな。……君は、菓子を作れるのか?」

問いかけながら、彼は内心で首を傾げていた。

(貴族令嬢の嗜みといえば、刺繍や楽器、舞踏に茶会。料理など下女の仕事だ。)

下位貴族とはいえ、男爵家の娘が――わざわざ自らの手で?

(理解に苦しむ。必要とあらば、料理人に作らせればいいものを……)

リリアーヌはこくりと頷く。

「あ、はい。焼き菓子はよく作りま――」

言いかけて、ハッとしたように口元を押さえた。

(……しまった!)

胸の奥に、男爵と夫人の冷たい声が蘇る。

――"貴族の令嬢が使用人じみた真似をするなど、使用人を雇う金もないと言っているようなもの。家の恥を晒す行為だ。"

思い出しただけで背筋が冷える。

「えっと……あの……、」

慌てて笑顔を作り直し、

「た、たまに!そう、たまに作ったりしてるだけなんです。その……ひ、暇つぶしというか……。」

最後の方は小声になり、語尾は曖昧に濁っていった。

「……そうか。」

アルフレートはジッと彼女を見つめた。

(……取り繕ったな。この反応……。"たまに"という顔ではない。)

視線を籠へ戻す。

(自分の手で焼いたというのは確かなようだな。だが、なぜ?令嬢が自ら菓子を焼くなど……料理人に命じれば済むことだろう。使用人に任せられないほど余裕のない家なのか?それとも――ただの物好きか?)

アルフレートはわずかに目を細め、小さく息を吐いた。

「菓子作りなど、令嬢の嗜みとは言い難い。君ほどの身分なら、無理をしてまで自ら作る必要はないはずだ。」

「も、申し訳ありません……」

リリアーヌはまたシュンと肩を落とした。
その様子を見て、アルフレートは妙な居心地の悪さを感じた。

(……なんだ、この感覚は。)

まるで、こちらが何か悪いことをしているような――そんな気持ちになる。

(……いや、待て。)

アルフレートは内心で自分を諫めた。

(よく考えれば、彼女は男爵家の娘だ。いきなりこちらの作法に慣れろなんて、無理な話ではないか。)

まだ、嫁いで一ヶ月。
王宮の作法にも、貴族社会の空気にも、彼女は慣れていないはずだ。
下位貴族や地方の令嬢には、趣味で菓子を作る者もいるという。
リリアーヌも、きっとその一人なのだろう。

(そもそも……。)

アルフレートは、ふと思い直す。

(彼女に求めているのは、世継ぎの皇子を産むという役割だけだ。それ以外のことで、俺が彼女のすることにとやかく言う権利はない。)

そう考えると、先ほどの自分の言葉が――まるで彼女の行動を否定したかのように思えてきた。
アルフレートは小さく息を吐き、静かに告げた。

「……君の、好きなようにするといい。」

リリアーヌは顔を上げ、きょとんとした表情でアルフレートを見つめた。

「え……?」

「君が教会の者たちに菓子を贈りたいというなら、それでいい。」

アルフレートは、わずかに視線を逸らした。

「俺が口を挟むことではなかった。」

リリアーヌはアルフレートのその優しさに、ホッと胸を撫で下ろした。

(良かった……!怒られなかった……!)

もしこれが、男爵夫人やカリーナが相手だったら――想像しただけで、背筋に冷たいものが走る。

(きっと、“はしたない”“恥さらし”って罵られて……。それで済めばいい方で……。)

ぞわりと、全身に鳥肌が立った。
あの冷たい視線。容赦ない罵倒。下手すれば鞭で打たれるかもしれない。
リリアーヌは思わず、自分の腕をぎゅっと抱きしめた。

(…殿下が優しい方で良かった。それに、これからもお菓子作りも許してくださったし。でも……、)

胸の奥に、男爵家での日々が蘇る。

(…殿下以外の方は、どうだろう…?)

王宮には、きっと厳格な貴族たちがたくさんいる。
男爵夫人やカリーナのように、些細なことで激昂する人たちが。

(こ、今度からは気をつけよう!ダリオみたいに気を許せる相手なら、いいけど……無闇にお菓子や料理を作ってるとか……言わないようにしないと……!)

リリアーヌは小さく息を吐き、籠を強く抱きしめた。
本当に、殿下が相手で助かった。

「あ、ありがとうございます……殿下。」

震える声でそう告げると、アルフレートはわずかに眉をひそめた。

(なんだ…?この反応……。震えている……?まるで何かに怯えているような……。俺の言い方はそんなに酷かったか?)

そうアルフレートは思いつつも、何も言わなかった。あれ以上、どう言葉をかければいいか分からなかったからだ。
彼は話題を逸らすように、

「……ちなみに。」

「はい?」

「中身は、何の菓子だ?」

「あ、えっと――ジンジャークッキーと、ハーブのビスケットです。」

「ハーブ…だと?」

アルフレートは一瞬、聞き間違いかと思った。

「……その、ハーブとは……あの雑草のことか?道端や森に生えている、庶民が食べるという……。」

「あ、はい!」

リリアーヌはぱっと笑顔になる。

「雑草みたいに見えますけど、ハーブって健康にいいんですよ。香りもよくて、美味しいんです。あ、殿下もよかったらどうですか?おやつ用に別の袋も持ってきていて……、」

リリアーヌは嬉しそうに、小さな包みを取り出した。
しかし、アルフレートはわずかに表情をこわばらせた。一瞬だけ視線を落とし、それから静かに首を振る。

「……いや。いい。」

静かに、しかし、どこかぎこちなく首を振った。

(ハーブなど……。そのようなものを皇太子が口にするわけには……、)

だが、その言葉をそのまま口にすれば、彼女を傷つけてしまう。

「皇太子は――毒味されていない食べ物を、むやみに口にするわけにはいかない。」

建前を口にする自分に、わずかな後ろめたさを感じた。

「あ……そう、ですよね。すみません。」

「別に、責めているわけではない。」

アルフレートは小さく息を吐き、窓の外へ視線を逸らした。

「ただ……俺が、そういう立場だというだけの話だ。」

リリアーヌは、小さく頷き、籠をぎゅっと抱きしめる。

(……そ、そうだよね。殿下は皇太子という尊い身分の方なんだもの。軽々しく食べる訳にいかないよね。それに、やっぱり、殿下の口には合わないよね。貴族の方々は、紅茶やコーヒーしか飲まないって聞いたことあるし……。)

リリアーヌはそう思い直し、安易にハーブの菓子を勧めた自分を恥じた。そして、少しだけ寂しそうに目を伏せた。




やがて、馬車は教会の前に停まった。

「着いたぞ。」

アルフレートの声に、リリアーヌは窓の外を見た。

見慣れた教会の門。懐かしい風景。

(……懐かしい。)

ほんの数か月来ていなかっただけなのに、なんだかとても久しぶりな気がする。
まるで我が家に帰って来たかのような感覚だ。リリアーヌは懐かしさに目が潤んだ。

扉が開かれ、アルフレートが先に降りる。
そして――再び、手を差し出した。

「……リリアーヌ、手を。」

「あ……ありがとうございます。」

馬車に乗った時と同じように、その手を取る。
でも、やっぱり胸は高鳴った。

(殿下の手……大きくて、硬い。男の人の手だ……。)

それを自覚しただけで胸がドキドキしてしまう。

馬車を降りて、彼の隣に立つ。
風に揺れる漆黒の髪。冷たく鋭利な銀の瞳。長身の背に、鍛え抜かれた軍人のような体躯。

完璧な彼の隣に立っているのが自分であることに、リリアーヌは気後れしてしまった。

(ヴェロニカ様のような美しい方ならともかく……。私みたいな地味で凡庸な女が、殿下の隣に立っていいのかな……。)

恥ずかしさと気後れから、リリアーヌはフードを深く被った。

「リリアーヌ。」

「はい?」

アルフレートは、わずかに躊躇したあと――静かに告げた。

「……無理はするな。」

「え……?」

「辛いことがあれば、言え。」

リリアーヌは驚いたように目を見開き、それから――小さく頷いた。

「……はい。」

(殿下……本当に、優しい。)

胸が、じんわりと温かくなる。
そのまま二人は、教会の門へと向かった。




司祭は、門の前に立つアルフレートとその一行を見て、面倒くさそうに溜息を吐いた。

「またですか…。殿下、何度言われても、同じことです。書庫に立ち入ることを許可することはできませ…、」

アルフレートの後ろから護衛が進み出て、立派な箱を差し出した。

「司祭殿。殿下より、教会へ献上品をお持ちしました。上質なワインと、最高級の小麦粉です。」

司祭はちらりと箱に視線を向けたが――

「結構です。」

冷たく言い放った。

「教会は、そのような施しを必要としておりません。お引き取りください。」

「なっ!?」

護衛は顔色を変えたが、アルフレートは静かに手を上げて制した。

(……やはり、駄目か。)

その時――、
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