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第二章 才能の開花編
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「では、こちらへどうぞ。」
柔らかな声に促され、リリアーヌは半ば流されるように試着室へ案内された。
「え、えっと……、あの……、」
戸惑う間もなく、椅子に座らされ、ふわりと肩に布が掛けられる。
「ドレスに合わせて、少しお化粧も整えさせていただきますね。」
「え!? い、いえ……!そんな、お手を煩わせるほどでは……、」
リリアーヌは慌てて首を横に振った。
高級ドレスショップの、あまりにも丁寧すぎる対応に、どうしても気後れしてしまう。
すると、店員の一人が、
「お連れ様に、喜んでいただける装いになさってはいかがでしょう?」
「……え。」
リリアーヌは思わず、顔を上げる。店員は、柔らかく微笑んだ。
「きっと、驚かれるかもしれませんよ。」
その一言に、リリアーヌの動きが、ぴたりと止まる。
(殿下が……驚く……?)
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
(釣り合うなんて、そんなの……無理だけど……。)
それでも。
(隣に立ったときに……恥ずかしくならないくらいには……、)
しばらく逡巡した末、リリアーヌは小さく息を吸い、意を決したように口を開く。
「そ、その……、」
視線を彷徨わせ、頬を赤く染めながら、もじもじと続ける。
「化粧を、したら……わ、私でも……。す、少しは……見られる姿に…なれます、か……?」
言い終えた瞬間、顔が熱くなり、思わず俯いてしまう。
その初々しい様子に、店員たちは顔を見合わせ――そして、ふっと微笑んだ。
「もちろんでございます。」
「女性は、化粧ひとつで見違えるものですよ。」
別の店員が穏やかに付け加える。
「素材がよろしい方なら、なおさらです。」
そう言いながら、店員たちは手際よく準備を始めた。
「まあ、お嬢様はとてもお肌が白くていらっしゃいますね。」
「白いのに、頬はほんのりと薄桃色で‥‥。淡いお色が、よく映えます。」
髪が整えられ、白い肌にほんのりと色が添えられ、目元が優しく引き立てられていく。
鏡越しに映る自分の顔が、少しずつ“見慣れない誰か”に変わっていくのを感じ、リリアーヌは落ち着かなくなった。
(……なんだか、私じゃないみたい……。)
やがて、店員が手を止める。
「さあ、ご覧くださいませ。」
仕上げを終えた店員が、満足そうに頷く。
促されて、リリアーヌは鏡を見て――息を呑んだ。
(……私……こんな顔、してたんだ……。)
鏡の中には、確かに自分でありながら、どこか別人のような少女が映っていた。
(……いつもは、鏡なんて見たくなかった。)
鏡を見るたびにそこに映るのは、パサついた黒髪に血色の失せた肌、痩せ細って、暗く陰鬱な女。
自分の姿を見るたび、心が沈んだ。
だから――リリアーヌは、あの初夜の日以来、鏡を避けてきた。
でも、今、鏡に映る姿は、違っていた。
化粧を施された顔は、見違えるようだった。
血色が悪かった肌も、髪も綺麗に整えられ、表情からは、あの陰りが薄れていた。
「いかがでしょうか?」
「す、すごいです!」
リリアーヌは瞳をキラキラと輝かせる。
「自分の顔じゃないみたいです……。まるで魔法みたいで……、化粧をすると、こんなにも変わるんですね!」
そのはしゃいだ様子に、店員は心なしか嬉しそうに、優しく微笑んだ。
上流階級を相手にするこの店で、こんなにも素直に喜ぶ客は珍しかった。
店員たちにとって、リリアーヌの反応はどこか眩しく、微笑ましかった。
「まあ、そう言って頂けて光栄ですわ。」
「これなら、お連れ様もきっと喜びになります。」
「ええ。本当に……。それにしても、お客様の恋人は、素敵な方ですね。」
「……え?」
不意に投げかけられた言葉に、リリアーヌは目を瞬かせた。
「ここまで大切に想われているなんて、羨ましい限りです。」
「ええっ!?こ、恋人!?め、滅相もないです!!」
勢いよく否定し、思わず一歩引く。
「あら……違いましたか?」
店員はきょとんと首を傾げる。
「ドレスを贈ると仰っていたのでてっきり…、」
「もしかして……まだ、お付き合いされる前なのでしょうか?」
「ち、違います!違います!!」
必死に首を振るリリアーヌ。
「お二人はどういうご関係なのですか?」
言われて、リリアーヌはハタ、と気づく。
(……あれ?そういえば、私と殿下って……どういう関係?)
一言で表すなら、愛のない契約関係の皇太子と側室だ。
でも、今はお忍び中の身だ。側室などと言ったら、アルフレート殿下が皇太子だとバレてしまう。
な、なんて説明しよう。
改めて考えてみて、思考がぐるぐると空回りする。
考えて、考えて――出てきた言葉は。
「……や、雇い主……?」
口にした瞬間、店員たちが一斉に固まった。
(……あれ? おかしかった、かな……)
でも、間違ったことは言っていない。
契約書にも、そう書いてあった。
『愛情を前提とするものではない』。
役割を果たすための、契約関係。
それ以上でも、それ以下でもない。
だから――雇い主、で合っている、はずなのに。
どうして、自分の口から出たその言葉が、
こんなにも虚しく響くのだろう。
「……雇い主、ですか?」
確認するように、店員が静かに問い返す。
「あ!えっと、その……今のは……!」
リリアーヌは慌てて両手を握り、言い直そうとするが、言葉が続かない。
(ち、違う……?でも、違わない……?)
頭の中が、ますます混乱していくのだった。
「ふふ……失礼いたしました。こちらが勝手に想像してしまっただけでございます。」
「どのようなご関係であっても、お連れ様がお客様を大切に想われていることは、変わりはございませんもの。」
「では、そのお連れ様のためにも、最高の装いに仕上げましょう。」
「あ、ありがとうございます……。」
愛されてはいない。
それは、最初から分かっている。
それでも――
こうして気遣われ、丁寧に接され、淑女のように扱われている。
たとえそれが、皇太子としての義務や立場から来るものでしかなかったとしても。
今のリリアーヌには、それだけで十分だった。
やがて、黄緑色のドレスがそっと掛けられる。
「腕をお通しくださいませ。」
言われるがまま袖を通すと、背中で紐が結ばれ、腰の辺りがきゅっと引き締められた。
「……まあ。」
思わず、店員の一人が声を漏らす。
「腰も……なんて細いんでしょう。羨ましいくらいです。」
次々に向けられる言葉に、リリアーヌは目を白黒させる。
「え、ええっ……!? そ、そんなこと……、」
思わず両手で腰の辺りを押さえ、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「わ、私、ただ……痩せているだけで……。」
自分でも何を言っているのか分からなくなり、声がしぼんでいく。
褒められることに慣れていないせいか、どう返していいのか分からない。
「いえいえ。私どもは嘘は申しませんよ。」
「さあ、お嬢様。鏡をご覧になってくださいませ。」
鏡に映る姿を見せられ、リリアーヌは息を呑んだ。
そこに映っていたのは、春の光を纏ったような少女だった。
黄緑色のドレスは白い肌を引き立て、細い腰のラインを優雅に描いている。
(これ……わ、私……?)
声が、震える。
「よくお似合いですわ。」
店員たちは、どこか微笑ましそうに目を細めていた。
からかうでもなく、値踏みするでもない、純粋な好意の眼差しだった。
「な、なんだか……落ち着かないです……。」
小さく呟くリリアーヌに、店員はくすりと笑う。
「まあ、お嬢様は奥ゆかしい方なのですね。」
「そうおっしゃる方ほど、似合っていらっしゃるのですよ。」
その言葉に、リリアーヌは返す言葉を失った。
(……本当に?)
鏡に映る姿と、自分の中の自己像が、どうしても重ならない。
頭では「そう見えている」のだと理解していても、心が追いつかない。
(私なんて……ずっと、可愛いなんて言われる立場じゃなかった。)
男爵家では、いつも見下されて、蔑まれて、嘲笑されるだけだった。
褒め言葉は、いつも他の誰かに向けられるもので、自分には無縁のものだった。
だからこそ――こうして何の打算もなく向けられる視線が、少し怖くて、少し温かい。
(……でも……、)
胸の奥に、じんわりと広がる感覚があった。
否定したいのに、なぜか強く否定できない。
(殿下が……このドレスを、選んでくれた。)
その事実が、遅れて心に落ちてくる。
(……似合っている、って……思ってくれるかな。)
そんな期待を抱いてしまう自分に気づいて――リリアーヌは慌てて首を振った。
(だ、駄目……! そんなこと、期待しちゃ……、)
でも、心の隅で。ほんの少しだけ。
(……す、少しだけなら……、)
鏡の中の自分に、そっと微笑みかけた。
「お客様。お嬢様の試着ができましたわ。是非、ご覧になって下さいませ。」
「ああ。」
店員に促され、アルフレートは試着室の前に来た。
試着室のカーテンが開いた。
リリアーヌが、黄緑のドレスを纏って立っている。
「……どう、でしょうか……?」
恥ずかしそうに、俯きがちに尋ねる。
アルフレートは一瞬、言葉を失った。
(……ドレスと化粧をしただけで、こんなにも印象が変わるのか)
痩せた身体、艶のない髪――まだ完全に健康を取り戻したとは言えない。
それでも。
(……思ってたより、悪くない。)
いや、悪くないどころか――
(可愛い……な。)
自分でも意外な感想に、アルフレートは内心で首を傾げた。
(いや、待て。俺は今、何を考えている?)
ヴェロニカという最愛の妻がいるのに。
側室を「可愛い」などと――だが、否定しようとしても、その印象は消えなかった。
「……悪くない。」
アルフレートはヴェロニカへの罪悪感からそれしか言えなかった。
「ほ、本当ですか!?」
リリアーヌはぱあ、と嬉しそうに笑顔になる。
その笑顔を見て、アルフレートはまたしても、可愛いと思った。
(…駄目だ。何を考えている。)
アルフレートは視線を逸らした。
「……じゃあ。」
アルフレートは他のドレスに手を伸ばした。
「これも、着てみろ。」
彼が手に取ったのは、空色のドレスだった。
「え、ええ!? ま、まだ着るんですか!?」
リリアーヌは思わず声が裏返る。
(一着だけでも十分すぎるのに……!)
視線を泳がせ、落ち着きなく後ずさる。
「嫌なのか?」
「そ、そういう訳では‥‥!」
慌てて首を横に振るリリアーヌに、アルフレートは言い訳のように、ぶっきらぼうに続けた。
「別に無理にとは言わない。ただ、比べた方が、分かりやすいかと思っただけだ。」
(……それだけだ。)
自分にそう言い聞かせるように、視線を逸らす。
(別に……彼女のドレス姿をもっと見たいわけじゃない。)
――本当に、そうだろうか?
自分でも、よく分からなくなっていた。
「……わ、分かりました……。」
(折角、殿下が勧めてくれたんだし…。)
リリアーヌは小さく頷く。
その声はまだ戸惑いを含んでいたが、どこか――ほんの少しだけ、嬉しそうにも聞こえた。
その様子を見て、店員がくすりと微笑んだ。
「ふふ。ご安心くださいませ。」
「お嬢様は、どのドレスもきっとお似合いになりますわ。」
店員たちは内心で微笑ましく思いながら、次のドレスの準備を始めた。
柔らかな声に促され、リリアーヌは半ば流されるように試着室へ案内された。
「え、えっと……、あの……、」
戸惑う間もなく、椅子に座らされ、ふわりと肩に布が掛けられる。
「ドレスに合わせて、少しお化粧も整えさせていただきますね。」
「え!? い、いえ……!そんな、お手を煩わせるほどでは……、」
リリアーヌは慌てて首を横に振った。
高級ドレスショップの、あまりにも丁寧すぎる対応に、どうしても気後れしてしまう。
すると、店員の一人が、
「お連れ様に、喜んでいただける装いになさってはいかがでしょう?」
「……え。」
リリアーヌは思わず、顔を上げる。店員は、柔らかく微笑んだ。
「きっと、驚かれるかもしれませんよ。」
その一言に、リリアーヌの動きが、ぴたりと止まる。
(殿下が……驚く……?)
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
(釣り合うなんて、そんなの……無理だけど……。)
それでも。
(隣に立ったときに……恥ずかしくならないくらいには……、)
しばらく逡巡した末、リリアーヌは小さく息を吸い、意を決したように口を開く。
「そ、その……、」
視線を彷徨わせ、頬を赤く染めながら、もじもじと続ける。
「化粧を、したら……わ、私でも……。す、少しは……見られる姿に…なれます、か……?」
言い終えた瞬間、顔が熱くなり、思わず俯いてしまう。
その初々しい様子に、店員たちは顔を見合わせ――そして、ふっと微笑んだ。
「もちろんでございます。」
「女性は、化粧ひとつで見違えるものですよ。」
別の店員が穏やかに付け加える。
「素材がよろしい方なら、なおさらです。」
そう言いながら、店員たちは手際よく準備を始めた。
「まあ、お嬢様はとてもお肌が白くていらっしゃいますね。」
「白いのに、頬はほんのりと薄桃色で‥‥。淡いお色が、よく映えます。」
髪が整えられ、白い肌にほんのりと色が添えられ、目元が優しく引き立てられていく。
鏡越しに映る自分の顔が、少しずつ“見慣れない誰か”に変わっていくのを感じ、リリアーヌは落ち着かなくなった。
(……なんだか、私じゃないみたい……。)
やがて、店員が手を止める。
「さあ、ご覧くださいませ。」
仕上げを終えた店員が、満足そうに頷く。
促されて、リリアーヌは鏡を見て――息を呑んだ。
(……私……こんな顔、してたんだ……。)
鏡の中には、確かに自分でありながら、どこか別人のような少女が映っていた。
(……いつもは、鏡なんて見たくなかった。)
鏡を見るたびにそこに映るのは、パサついた黒髪に血色の失せた肌、痩せ細って、暗く陰鬱な女。
自分の姿を見るたび、心が沈んだ。
だから――リリアーヌは、あの初夜の日以来、鏡を避けてきた。
でも、今、鏡に映る姿は、違っていた。
化粧を施された顔は、見違えるようだった。
血色が悪かった肌も、髪も綺麗に整えられ、表情からは、あの陰りが薄れていた。
「いかがでしょうか?」
「す、すごいです!」
リリアーヌは瞳をキラキラと輝かせる。
「自分の顔じゃないみたいです……。まるで魔法みたいで……、化粧をすると、こんなにも変わるんですね!」
そのはしゃいだ様子に、店員は心なしか嬉しそうに、優しく微笑んだ。
上流階級を相手にするこの店で、こんなにも素直に喜ぶ客は珍しかった。
店員たちにとって、リリアーヌの反応はどこか眩しく、微笑ましかった。
「まあ、そう言って頂けて光栄ですわ。」
「これなら、お連れ様もきっと喜びになります。」
「ええ。本当に……。それにしても、お客様の恋人は、素敵な方ですね。」
「……え?」
不意に投げかけられた言葉に、リリアーヌは目を瞬かせた。
「ここまで大切に想われているなんて、羨ましい限りです。」
「ええっ!?こ、恋人!?め、滅相もないです!!」
勢いよく否定し、思わず一歩引く。
「あら……違いましたか?」
店員はきょとんと首を傾げる。
「ドレスを贈ると仰っていたのでてっきり…、」
「もしかして……まだ、お付き合いされる前なのでしょうか?」
「ち、違います!違います!!」
必死に首を振るリリアーヌ。
「お二人はどういうご関係なのですか?」
言われて、リリアーヌはハタ、と気づく。
(……あれ?そういえば、私と殿下って……どういう関係?)
一言で表すなら、愛のない契約関係の皇太子と側室だ。
でも、今はお忍び中の身だ。側室などと言ったら、アルフレート殿下が皇太子だとバレてしまう。
な、なんて説明しよう。
改めて考えてみて、思考がぐるぐると空回りする。
考えて、考えて――出てきた言葉は。
「……や、雇い主……?」
口にした瞬間、店員たちが一斉に固まった。
(……あれ? おかしかった、かな……)
でも、間違ったことは言っていない。
契約書にも、そう書いてあった。
『愛情を前提とするものではない』。
役割を果たすための、契約関係。
それ以上でも、それ以下でもない。
だから――雇い主、で合っている、はずなのに。
どうして、自分の口から出たその言葉が、
こんなにも虚しく響くのだろう。
「……雇い主、ですか?」
確認するように、店員が静かに問い返す。
「あ!えっと、その……今のは……!」
リリアーヌは慌てて両手を握り、言い直そうとするが、言葉が続かない。
(ち、違う……?でも、違わない……?)
頭の中が、ますます混乱していくのだった。
「ふふ……失礼いたしました。こちらが勝手に想像してしまっただけでございます。」
「どのようなご関係であっても、お連れ様がお客様を大切に想われていることは、変わりはございませんもの。」
「では、そのお連れ様のためにも、最高の装いに仕上げましょう。」
「あ、ありがとうございます……。」
愛されてはいない。
それは、最初から分かっている。
それでも――
こうして気遣われ、丁寧に接され、淑女のように扱われている。
たとえそれが、皇太子としての義務や立場から来るものでしかなかったとしても。
今のリリアーヌには、それだけで十分だった。
やがて、黄緑色のドレスがそっと掛けられる。
「腕をお通しくださいませ。」
言われるがまま袖を通すと、背中で紐が結ばれ、腰の辺りがきゅっと引き締められた。
「……まあ。」
思わず、店員の一人が声を漏らす。
「腰も……なんて細いんでしょう。羨ましいくらいです。」
次々に向けられる言葉に、リリアーヌは目を白黒させる。
「え、ええっ……!? そ、そんなこと……、」
思わず両手で腰の辺りを押さえ、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「わ、私、ただ……痩せているだけで……。」
自分でも何を言っているのか分からなくなり、声がしぼんでいく。
褒められることに慣れていないせいか、どう返していいのか分からない。
「いえいえ。私どもは嘘は申しませんよ。」
「さあ、お嬢様。鏡をご覧になってくださいませ。」
鏡に映る姿を見せられ、リリアーヌは息を呑んだ。
そこに映っていたのは、春の光を纏ったような少女だった。
黄緑色のドレスは白い肌を引き立て、細い腰のラインを優雅に描いている。
(これ……わ、私……?)
声が、震える。
「よくお似合いですわ。」
店員たちは、どこか微笑ましそうに目を細めていた。
からかうでもなく、値踏みするでもない、純粋な好意の眼差しだった。
「な、なんだか……落ち着かないです……。」
小さく呟くリリアーヌに、店員はくすりと笑う。
「まあ、お嬢様は奥ゆかしい方なのですね。」
「そうおっしゃる方ほど、似合っていらっしゃるのですよ。」
その言葉に、リリアーヌは返す言葉を失った。
(……本当に?)
鏡に映る姿と、自分の中の自己像が、どうしても重ならない。
頭では「そう見えている」のだと理解していても、心が追いつかない。
(私なんて……ずっと、可愛いなんて言われる立場じゃなかった。)
男爵家では、いつも見下されて、蔑まれて、嘲笑されるだけだった。
褒め言葉は、いつも他の誰かに向けられるもので、自分には無縁のものだった。
だからこそ――こうして何の打算もなく向けられる視線が、少し怖くて、少し温かい。
(……でも……、)
胸の奥に、じんわりと広がる感覚があった。
否定したいのに、なぜか強く否定できない。
(殿下が……このドレスを、選んでくれた。)
その事実が、遅れて心に落ちてくる。
(……似合っている、って……思ってくれるかな。)
そんな期待を抱いてしまう自分に気づいて――リリアーヌは慌てて首を振った。
(だ、駄目……! そんなこと、期待しちゃ……、)
でも、心の隅で。ほんの少しだけ。
(……す、少しだけなら……、)
鏡の中の自分に、そっと微笑みかけた。
「お客様。お嬢様の試着ができましたわ。是非、ご覧になって下さいませ。」
「ああ。」
店員に促され、アルフレートは試着室の前に来た。
試着室のカーテンが開いた。
リリアーヌが、黄緑のドレスを纏って立っている。
「……どう、でしょうか……?」
恥ずかしそうに、俯きがちに尋ねる。
アルフレートは一瞬、言葉を失った。
(……ドレスと化粧をしただけで、こんなにも印象が変わるのか)
痩せた身体、艶のない髪――まだ完全に健康を取り戻したとは言えない。
それでも。
(……思ってたより、悪くない。)
いや、悪くないどころか――
(可愛い……な。)
自分でも意外な感想に、アルフレートは内心で首を傾げた。
(いや、待て。俺は今、何を考えている?)
ヴェロニカという最愛の妻がいるのに。
側室を「可愛い」などと――だが、否定しようとしても、その印象は消えなかった。
「……悪くない。」
アルフレートはヴェロニカへの罪悪感からそれしか言えなかった。
「ほ、本当ですか!?」
リリアーヌはぱあ、と嬉しそうに笑顔になる。
その笑顔を見て、アルフレートはまたしても、可愛いと思った。
(…駄目だ。何を考えている。)
アルフレートは視線を逸らした。
「……じゃあ。」
アルフレートは他のドレスに手を伸ばした。
「これも、着てみろ。」
彼が手に取ったのは、空色のドレスだった。
「え、ええ!? ま、まだ着るんですか!?」
リリアーヌは思わず声が裏返る。
(一着だけでも十分すぎるのに……!)
視線を泳がせ、落ち着きなく後ずさる。
「嫌なのか?」
「そ、そういう訳では‥‥!」
慌てて首を横に振るリリアーヌに、アルフレートは言い訳のように、ぶっきらぼうに続けた。
「別に無理にとは言わない。ただ、比べた方が、分かりやすいかと思っただけだ。」
(……それだけだ。)
自分にそう言い聞かせるように、視線を逸らす。
(別に……彼女のドレス姿をもっと見たいわけじゃない。)
――本当に、そうだろうか?
自分でも、よく分からなくなっていた。
「……わ、分かりました……。」
(折角、殿下が勧めてくれたんだし…。)
リリアーヌは小さく頷く。
その声はまだ戸惑いを含んでいたが、どこか――ほんの少しだけ、嬉しそうにも聞こえた。
その様子を見て、店員がくすりと微笑んだ。
「ふふ。ご安心くださいませ。」
「お嬢様は、どのドレスもきっとお似合いになりますわ。」
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