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第二章 才能の開花編
初めてのステーキ
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「……この後はメインだな。基本は難しくない。外側のナイフとフォークから使えばいい。
魚は身を崩さないように、骨を避けて一口大に切る。――それだけ覚えておけば十分だ。」
「は、はい!」
「そう緊張する必要はない。今日は練習だと思えばいい。ゆっくり食事を楽しむことに専念するんだ。」
「あ、ありがとうございます!」
(殿下……。)
胸が、じんわりと温かくなる。
私の緊張に気づいて、こんなに優しく声をかけてくれる。
そして、メインディッシュの魚料理が運ばれてきた。
「スズキのポワレ。レモンバターソースでございます。」
(わあ……金色のソースが綺麗……!)
スズキといえば、高級魚で有名な魚だ。勿論、リリアーヌは食べたことがない。
「こ、これがスズキ‥‥。」
「スズキを食べるのは初めてか?」
「はい!名前は聞いたことありますけど、まさか、実際に食べることができるなんて!ゆ、夢みたいです!」
「大袈裟な‥‥。」
アルフレートはそう口では呆れつつも、リリアーヌの反応を微笑ましげに見つめていた。
(まさか、高級魚と名高いスズキ料理が食べれる日が来るなんて!)
リリアーヌは感動していた。
いそいそと、次のナイフとフォークを手に取る。魚の身は、驚くほど柔らかく、ナイフを当てるとすっと切れた。
(……こ、こんな感じ?えっと、魚料理は骨を避けて一口大に切るって殿下は言っていたよね?)
アルフレートに教えられた通り、一口大に切った魚を口へ運ぶ。
一口食べると、淡白な身にバターとレモンの香りが広がり、思わず目を瞬かせた。
「ッ‥‥‥!す、すごく美味しいです!皮がパリッとしてて……中は、ふんわりして……!こんなに美味しいお魚、初めて食べました!」
感動がそのまま表情に出ているリリアーヌを見て、アルフレートはフッと笑い、
「そうか。口に合ったようだな。」
「はい!とっても!」
リリアーヌは嬉しそうに頷いた。
「それに、このソースもすごい美味しいですね。レモンの香りがして……爽やかです!」
アルフレートはふと、リリアーヌの皿へと視線を落とした。魚の身が乱れていないのを確認して、わずかに目を細めた。
「さっきの、うまくできてたぞ。ちゃんと俺が教えたとおりにできていたな。」
「……!」
アルフレートの言葉に、リリアーヌの表情がぱあっと明るくなる。
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。綺麗に食べられている。」
アルフレートは穏やかに頷いた。
「最初は不安そうだったが、もう心配ないな。」
「ええ!?い、いえいえ!全然まだまだですよ!そ、それに今のは殿下の教え方が分かりやすかったからできただけで……!」
リリアーヌがブンブンと首を横に振る。
(本当にこいつは真面目で謙虚だな。)
アルフレートは、おかしそうに笑った。
「お待たせいたしました。牛フィレ肉のステーキ。赤ワインソースでございます。」
(す、ステーキ…!)
リリアーヌは、思わず目を輝かせた。
リリアーヌは今までステーキなんて高級料理食べたことなかったからだ。
(し、しかも、牛フィレ肉……!)
リリアーヌは思わず喉を鳴らしそうになった。
「わあ……!牛フィレ肉って、確か牛肉の中でもとっても希少な部位なんですよね?」
「よく知っているな。その通りだ。もしかして、食べたことあるのか?」
「まさか!私、ステーキなんて一度も食べたことないんです。」
料理本やレシピ本を熟読するだけあって、リリアーヌは料理の知識はある。が、知識はあっても食べたことがない食材は山ほどある。さっきのスズキ料理や牛フィレ肉もその一つだ。
(そ、そんな高級料理を口にすることができるなんて……!)
「わ、私…、今日で一生分の幸運を使い切った気がします…。人生で初めてのステーキが食べられるなんて…、幸せ過ぎます……。」
「い、いや…。別にステーキくらいでそこまで……、」
(こいつ、どれだけ貧乏な食生活を送っていたんだ?グラント男爵家が経済的に困窮しているのは知っていたが、ここまでとは……。)
アルフレートはだから、こんなに細いのかと納得した。
リリアーヌの体つきは華奢や細身を通り越して、ガリガリに痩せている。側室として嫁いでまだ一か月しか経っていないのに、まだまだ痩せた身体だ。力を込めたら折れそう、という表現はよく聞くがあれは例えでしかない。が、リリアーヌの場合は、比喩ではなく――本当に折れそうだ。
(……それを俺は、初夜であんなふうに扱ったんだよな。)
思い出しただけで、胸の奥が鈍く痛む。
自己嫌悪と後悔が、じわじわと込み上げてくる。
一方で、リリアーヌはというと、感動のあまり、小さく手を組み、幸運の女神に感謝の祈りを捧げていた。
――あれだけ乱暴にしてしまったのに。
(リリアーヌの骨が折れていなくて本当に良かった。……いや、何を考えているんだ。失神させた時点で、十分すぎるほど酷いことをしたじゃないか。)
その事実が、胸の奥に重く沈んだ。
思い返せば思い返すほど、自分は取り返しのつかないことをしたのだと、痛感させられる。
アルフレートはそっとリリアーヌを見つめた。
細い肩。手首や首なんて力を込めたら折れそうなくらいに細い。
(今まで、まともな食事も満足に摂れなかったんだろうな……。)
だったら、せめて――
(これからは、たくさん栄養のあるものを食べせてやらないとな。)
気づけば、彼の胸の内には、罪悪感から滲み出た庇護欲のようなものが、静かに根を張り始めていた。
この感情がもはや単なる罪滅ぼしではないことに――アルフレートは、まだ気づいていなかった。
「リリアーヌ。」
名前を呼ばれて、リリアーヌがアルフレートに視線を向けると、
「……これから、いくらでもステーキくらい食べさせてやる。」
低く、独り言のように呟いたその声は、けれど確かに優しかった。
「えっ…?」
リリアーヌはトクン、と胸が高鳴った。
(す、ステーキをこれからも食べさせてくれる…!?)
な、なんて男前……!殿下、かっこよすぎる!
(こ、こんなこと言われたら、だ、誰だって……。)
胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じて、リリアーヌは慌てて首を横に振った。
(って、だめだめ……!わ、私ったら、なに考えてるの!?殿下は優しいから、皇太子としての責任感で言ってくれてるだけなのに!)
だけど――今まで満足に食べることを許されなかった反動なのか、「たくさん食べさせてやる」という言葉が、どうしようもなく心に沁みてしまった。
そんなことを言われたら、嬉しくならないはずはなかった。
「ほら、冷めないうちに食べろ。」
アルフレートの声に、リリアーヌははっと我に返った。
「あ、は、はい……!」
慌てて、肉料理用のナイフとフォークを手に取る。
「肉料理は、最初に全部切る必要はない。左から一口大ずつ切って、その都度口に運べばいい。」
落ち着いた声で、簡潔に教えてくれる。
(え、えっと……。お肉は左から一口大に切っていく……。)
教わった通りに、ナイフをゆっくりと肉に当てる。
だが、ナイフを入れた途端、さきほどの魚料理とは違う感触に戸惑う。
(あ、あれ……?切れない…。か、硬い…。)
思わず力を込めると、キィ……と、嫌な音が立ち、ナイフが皿に当たった。
「あっ……!」
リリアーヌの肩が、びくりと跳ねる。
「す、すみません……!」
慌てて手を止める。
「大丈夫だ。よくあることだ。」
低く、落ち着いた声。
そう言って、アルフレートはそっとリリアーヌの手に手を重ねた。
「……っ!」
触れられた瞬間、胸が大きく跳ねる。
(て、手!で、で、殿下の手が私の手に……!)
距離が、近い。息遣いまで感じられそうで、思わず息を詰めた。
アルフレートはリリアーヌのナイフとフォークを包むように支えながら、静かに言う。
「さっきのは、少し力を入れすぎただけだ。」
叱るでもなく、淡々と――けれど優しい声で。
「力は要らない。手首だけを使うんだ。」
ゆっくりと彼女の手を導く。
「切る、というより――滑らせる感覚だ。」
低い声が、すぐ耳元で響いた。
「肉料理は、少し難しい。だが焦らなくていい。ここには俺と君しかいない。周りを気にせず、ゆっくりやればいい。」
その言葉に、胸の奥がじん、と温かくなる。
「ほら、やってみろ。失敗してもいいから、実際にやってみれば自然とできるようになる。」
「は、はい……。」
リリアーヌは、小さく息を整える。
(力を入れすぎない…。手首の力を使う。)
教えられた通り、もう一度ナイフを入れた。
――すっ。
今度は、音もなく、綺麗に肉が切れる。
「……!」
目を見開き、皿を見る。
「で……できました……!」
ぱっと顔を上げて、思わず笑顔になる。
「凄いです…!殿下の言う通りにしたら、ちゃんと切れました……!」
その無邪気な喜びに、アルフレートはフッと微笑んだ。
「上出来だ。」
「……!」
リリアーヌの胸が、いっぱいになる。
(ほ、褒められた……!そ、それに、殿下が笑ってくれた…。)
「あ、ありがとうございます……。殿下がご指導して下さったお蔭です!殿下は教えるのも上手なのですね!」
「俺は少しやり方とコツを教えただけだ。」
「そ、そんな……!」
「それに、君は呑み込みが早い。だからすぐにできるようになったんだ。」
「……!」
リリアーヌの目が、じわりと熱くなる。
(殿下……私のこと、ちゃんと見ていてくれたんだ……。)
「まずは一口、食べてみろ。」
見守るような視線が、優しく彼女を包んでいた。
「は、はい!」
リリアーヌは、震える手でフォークに肉を刺す。じゅわりと肉汁が滲み出し、深い褐色の赤ワインソースが、艶やかに肉に絡んでいる。
(……い、いい匂い……。)
高鳴る胸を押さえながら、そっと口へ運ぶ。
次の瞬間――その表情が、ぱっと輝いた。
「ん……! お、おいしい……!」
思わず声が零れる。
柔らかい。噛んだ瞬間、肉汁がぶわりと広がり、濃厚な旨味と、赤ワインソースの深いコクが、舌の上で溶け合う。
頬が自然と緩み、目元まで蕩けてしまう。
(想像以上……!こんなに美味しいなんて……!)
「す、すごく柔らかいです……!口の中でとろけるみたい……!これが牛フィレ肉……。こんなに美味しいお肉、初めて食べました……!」
幸せそうに微笑むその姿を、アルフレートは静かに見つめる。
「気に入ったようだな。その顔を見れば分かる。」
アルフレートは、穏やかにそう告げると、
「なら、もっと食べるといい。」
「は、はい……!」
こくこくと頷き、二口目、三口目と続ける。
噛みしめるたび、幸せが口いっぱいに広がった。
(……ああ。おいしい……。幸せ……。殿下と、ここに来られて……本当に、よかった……。)
胸が、じんわりと温かくなる。
こんなふうに、誰かと並んで食事をして、しかも、それを見守ってもらえるなんて――。
(殿下は……本当に、優しい人だな……)
胸の奥で、ぽわりと温かいものが広がる。
(私みたいな……期間限定の、契約だけの側室相手にでも……)
そこまで思って――はっとする。
(……っ、だ、ダメ……!)
慌てて、心の中で首を振る。
(勘違いしちゃダメ……!)
殿下には、ヴェロニカ様がいる。
一途に、誠実に、ひたむきに――彼女を想っている。
(殿下も、あの時、言ってたじゃない……。)
――「君を愛するつもりはない」、と。
あの、冷たい声を思い出す。
初夜の日のあの言葉。
これは、皇太子としての義務。
それ以上でも、それ以下でもない。
(……そう、だよね)
胸が、きゅっと締めつけられる。
(こんなに優しくされたら……私……)
それ以上、考えないようにする。
(ヴェロニカ様は……幸せだろうな……。)
こんな人に、真っ直ぐに愛されているのだから。
(……お似合いだな。)
そう思うのに――
今この瞬間だけは、この静かな時間が、ずっと続けばいいのにと願ってしまう。
それが、叶わないと分かっているからこそ。
リリアーヌは、そっと視線を落とし、もう一口、料理を口に運んだ。
(……せめて、今だけ)
この温もりを、胸に刻むように。
魚は身を崩さないように、骨を避けて一口大に切る。――それだけ覚えておけば十分だ。」
「は、はい!」
「そう緊張する必要はない。今日は練習だと思えばいい。ゆっくり食事を楽しむことに専念するんだ。」
「あ、ありがとうございます!」
(殿下……。)
胸が、じんわりと温かくなる。
私の緊張に気づいて、こんなに優しく声をかけてくれる。
そして、メインディッシュの魚料理が運ばれてきた。
「スズキのポワレ。レモンバターソースでございます。」
(わあ……金色のソースが綺麗……!)
スズキといえば、高級魚で有名な魚だ。勿論、リリアーヌは食べたことがない。
「こ、これがスズキ‥‥。」
「スズキを食べるのは初めてか?」
「はい!名前は聞いたことありますけど、まさか、実際に食べることができるなんて!ゆ、夢みたいです!」
「大袈裟な‥‥。」
アルフレートはそう口では呆れつつも、リリアーヌの反応を微笑ましげに見つめていた。
(まさか、高級魚と名高いスズキ料理が食べれる日が来るなんて!)
リリアーヌは感動していた。
いそいそと、次のナイフとフォークを手に取る。魚の身は、驚くほど柔らかく、ナイフを当てるとすっと切れた。
(……こ、こんな感じ?えっと、魚料理は骨を避けて一口大に切るって殿下は言っていたよね?)
アルフレートに教えられた通り、一口大に切った魚を口へ運ぶ。
一口食べると、淡白な身にバターとレモンの香りが広がり、思わず目を瞬かせた。
「ッ‥‥‥!す、すごく美味しいです!皮がパリッとしてて……中は、ふんわりして……!こんなに美味しいお魚、初めて食べました!」
感動がそのまま表情に出ているリリアーヌを見て、アルフレートはフッと笑い、
「そうか。口に合ったようだな。」
「はい!とっても!」
リリアーヌは嬉しそうに頷いた。
「それに、このソースもすごい美味しいですね。レモンの香りがして……爽やかです!」
アルフレートはふと、リリアーヌの皿へと視線を落とした。魚の身が乱れていないのを確認して、わずかに目を細めた。
「さっきの、うまくできてたぞ。ちゃんと俺が教えたとおりにできていたな。」
「……!」
アルフレートの言葉に、リリアーヌの表情がぱあっと明るくなる。
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。綺麗に食べられている。」
アルフレートは穏やかに頷いた。
「最初は不安そうだったが、もう心配ないな。」
「ええ!?い、いえいえ!全然まだまだですよ!そ、それに今のは殿下の教え方が分かりやすかったからできただけで……!」
リリアーヌがブンブンと首を横に振る。
(本当にこいつは真面目で謙虚だな。)
アルフレートは、おかしそうに笑った。
「お待たせいたしました。牛フィレ肉のステーキ。赤ワインソースでございます。」
(す、ステーキ…!)
リリアーヌは、思わず目を輝かせた。
リリアーヌは今までステーキなんて高級料理食べたことなかったからだ。
(し、しかも、牛フィレ肉……!)
リリアーヌは思わず喉を鳴らしそうになった。
「わあ……!牛フィレ肉って、確か牛肉の中でもとっても希少な部位なんですよね?」
「よく知っているな。その通りだ。もしかして、食べたことあるのか?」
「まさか!私、ステーキなんて一度も食べたことないんです。」
料理本やレシピ本を熟読するだけあって、リリアーヌは料理の知識はある。が、知識はあっても食べたことがない食材は山ほどある。さっきのスズキ料理や牛フィレ肉もその一つだ。
(そ、そんな高級料理を口にすることができるなんて……!)
「わ、私…、今日で一生分の幸運を使い切った気がします…。人生で初めてのステーキが食べられるなんて…、幸せ過ぎます……。」
「い、いや…。別にステーキくらいでそこまで……、」
(こいつ、どれだけ貧乏な食生活を送っていたんだ?グラント男爵家が経済的に困窮しているのは知っていたが、ここまでとは……。)
アルフレートはだから、こんなに細いのかと納得した。
リリアーヌの体つきは華奢や細身を通り越して、ガリガリに痩せている。側室として嫁いでまだ一か月しか経っていないのに、まだまだ痩せた身体だ。力を込めたら折れそう、という表現はよく聞くがあれは例えでしかない。が、リリアーヌの場合は、比喩ではなく――本当に折れそうだ。
(……それを俺は、初夜であんなふうに扱ったんだよな。)
思い出しただけで、胸の奥が鈍く痛む。
自己嫌悪と後悔が、じわじわと込み上げてくる。
一方で、リリアーヌはというと、感動のあまり、小さく手を組み、幸運の女神に感謝の祈りを捧げていた。
――あれだけ乱暴にしてしまったのに。
(リリアーヌの骨が折れていなくて本当に良かった。……いや、何を考えているんだ。失神させた時点で、十分すぎるほど酷いことをしたじゃないか。)
その事実が、胸の奥に重く沈んだ。
思い返せば思い返すほど、自分は取り返しのつかないことをしたのだと、痛感させられる。
アルフレートはそっとリリアーヌを見つめた。
細い肩。手首や首なんて力を込めたら折れそうなくらいに細い。
(今まで、まともな食事も満足に摂れなかったんだろうな……。)
だったら、せめて――
(これからは、たくさん栄養のあるものを食べせてやらないとな。)
気づけば、彼の胸の内には、罪悪感から滲み出た庇護欲のようなものが、静かに根を張り始めていた。
この感情がもはや単なる罪滅ぼしではないことに――アルフレートは、まだ気づいていなかった。
「リリアーヌ。」
名前を呼ばれて、リリアーヌがアルフレートに視線を向けると、
「……これから、いくらでもステーキくらい食べさせてやる。」
低く、独り言のように呟いたその声は、けれど確かに優しかった。
「えっ…?」
リリアーヌはトクン、と胸が高鳴った。
(す、ステーキをこれからも食べさせてくれる…!?)
な、なんて男前……!殿下、かっこよすぎる!
(こ、こんなこと言われたら、だ、誰だって……。)
胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じて、リリアーヌは慌てて首を横に振った。
(って、だめだめ……!わ、私ったら、なに考えてるの!?殿下は優しいから、皇太子としての責任感で言ってくれてるだけなのに!)
だけど――今まで満足に食べることを許されなかった反動なのか、「たくさん食べさせてやる」という言葉が、どうしようもなく心に沁みてしまった。
そんなことを言われたら、嬉しくならないはずはなかった。
「ほら、冷めないうちに食べろ。」
アルフレートの声に、リリアーヌははっと我に返った。
「あ、は、はい……!」
慌てて、肉料理用のナイフとフォークを手に取る。
「肉料理は、最初に全部切る必要はない。左から一口大ずつ切って、その都度口に運べばいい。」
落ち着いた声で、簡潔に教えてくれる。
(え、えっと……。お肉は左から一口大に切っていく……。)
教わった通りに、ナイフをゆっくりと肉に当てる。
だが、ナイフを入れた途端、さきほどの魚料理とは違う感触に戸惑う。
(あ、あれ……?切れない…。か、硬い…。)
思わず力を込めると、キィ……と、嫌な音が立ち、ナイフが皿に当たった。
「あっ……!」
リリアーヌの肩が、びくりと跳ねる。
「す、すみません……!」
慌てて手を止める。
「大丈夫だ。よくあることだ。」
低く、落ち着いた声。
そう言って、アルフレートはそっとリリアーヌの手に手を重ねた。
「……っ!」
触れられた瞬間、胸が大きく跳ねる。
(て、手!で、で、殿下の手が私の手に……!)
距離が、近い。息遣いまで感じられそうで、思わず息を詰めた。
アルフレートはリリアーヌのナイフとフォークを包むように支えながら、静かに言う。
「さっきのは、少し力を入れすぎただけだ。」
叱るでもなく、淡々と――けれど優しい声で。
「力は要らない。手首だけを使うんだ。」
ゆっくりと彼女の手を導く。
「切る、というより――滑らせる感覚だ。」
低い声が、すぐ耳元で響いた。
「肉料理は、少し難しい。だが焦らなくていい。ここには俺と君しかいない。周りを気にせず、ゆっくりやればいい。」
その言葉に、胸の奥がじん、と温かくなる。
「ほら、やってみろ。失敗してもいいから、実際にやってみれば自然とできるようになる。」
「は、はい……。」
リリアーヌは、小さく息を整える。
(力を入れすぎない…。手首の力を使う。)
教えられた通り、もう一度ナイフを入れた。
――すっ。
今度は、音もなく、綺麗に肉が切れる。
「……!」
目を見開き、皿を見る。
「で……できました……!」
ぱっと顔を上げて、思わず笑顔になる。
「凄いです…!殿下の言う通りにしたら、ちゃんと切れました……!」
その無邪気な喜びに、アルフレートはフッと微笑んだ。
「上出来だ。」
「……!」
リリアーヌの胸が、いっぱいになる。
(ほ、褒められた……!そ、それに、殿下が笑ってくれた…。)
「あ、ありがとうございます……。殿下がご指導して下さったお蔭です!殿下は教えるのも上手なのですね!」
「俺は少しやり方とコツを教えただけだ。」
「そ、そんな……!」
「それに、君は呑み込みが早い。だからすぐにできるようになったんだ。」
「……!」
リリアーヌの目が、じわりと熱くなる。
(殿下……私のこと、ちゃんと見ていてくれたんだ……。)
「まずは一口、食べてみろ。」
見守るような視線が、優しく彼女を包んでいた。
「は、はい!」
リリアーヌは、震える手でフォークに肉を刺す。じゅわりと肉汁が滲み出し、深い褐色の赤ワインソースが、艶やかに肉に絡んでいる。
(……い、いい匂い……。)
高鳴る胸を押さえながら、そっと口へ運ぶ。
次の瞬間――その表情が、ぱっと輝いた。
「ん……! お、おいしい……!」
思わず声が零れる。
柔らかい。噛んだ瞬間、肉汁がぶわりと広がり、濃厚な旨味と、赤ワインソースの深いコクが、舌の上で溶け合う。
頬が自然と緩み、目元まで蕩けてしまう。
(想像以上……!こんなに美味しいなんて……!)
「す、すごく柔らかいです……!口の中でとろけるみたい……!これが牛フィレ肉……。こんなに美味しいお肉、初めて食べました……!」
幸せそうに微笑むその姿を、アルフレートは静かに見つめる。
「気に入ったようだな。その顔を見れば分かる。」
アルフレートは、穏やかにそう告げると、
「なら、もっと食べるといい。」
「は、はい……!」
こくこくと頷き、二口目、三口目と続ける。
噛みしめるたび、幸せが口いっぱいに広がった。
(……ああ。おいしい……。幸せ……。殿下と、ここに来られて……本当に、よかった……。)
胸が、じんわりと温かくなる。
こんなふうに、誰かと並んで食事をして、しかも、それを見守ってもらえるなんて――。
(殿下は……本当に、優しい人だな……)
胸の奥で、ぽわりと温かいものが広がる。
(私みたいな……期間限定の、契約だけの側室相手にでも……)
そこまで思って――はっとする。
(……っ、だ、ダメ……!)
慌てて、心の中で首を振る。
(勘違いしちゃダメ……!)
殿下には、ヴェロニカ様がいる。
一途に、誠実に、ひたむきに――彼女を想っている。
(殿下も、あの時、言ってたじゃない……。)
――「君を愛するつもりはない」、と。
あの、冷たい声を思い出す。
初夜の日のあの言葉。
これは、皇太子としての義務。
それ以上でも、それ以下でもない。
(……そう、だよね)
胸が、きゅっと締めつけられる。
(こんなに優しくされたら……私……)
それ以上、考えないようにする。
(ヴェロニカ様は……幸せだろうな……。)
こんな人に、真っ直ぐに愛されているのだから。
(……お似合いだな。)
そう思うのに――
今この瞬間だけは、この静かな時間が、ずっと続けばいいのにと願ってしまう。
それが、叶わないと分かっているからこそ。
リリアーヌは、そっと視線を落とし、もう一口、料理を口に運んだ。
(……せめて、今だけ)
この温もりを、胸に刻むように。
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