期限付きの側室なのに皇太子殿下が離してくれません!

林檎

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第一章 契約の側室編

皇太子妃ヴェロニカ

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その後、程なくして、皇太子妃から返事が届いた。
皇太子妃殿下は、男爵家の娘であるなら、リリアーヌでも構わないということだった。
ただし、正式に認める前に一度本人と会いたいと希望があり、リリアーヌは今日、王宮へ挨拶に出向くことになっていた。
そのため、グラント男爵家では朝から慌ただしく準備が進められた。

「いいか?相手は皇太子妃殿下だ。無礼のないようにな。」

「は、はい。旦那様。」

「”お父様”と呼べ!お前は儂の娘として嫁ぐのだからな。」

「も、申し訳ありません。……お、お父様。」

つい、これまで通り「旦那様」と呼んでしまい、叱られた。
この家では正式な娘としてではなく、物心ついた頃から使用人のように扱われていた。
父と呼ぶことを許されなかったのだ。それが急に「娘のように振舞え」と言われても、すぐに馴染めるはずもない。

緊張の面持ちで馬車に揺られ、王宮へ到着すると、案内係に導かれて応接室へと通された。
やがて、奥の扉が静かに開き、眩しいほどに輝く金の髪と、鮮やかな青い瞳を持つ一人の女性が入ってきた。

皇太子妃殿下、ヴェロニカだ。
なんて美しい方……。リリアーヌは思わず息を吞んだ。
五年前の皇太子との結婚式で遠目から二人の姿を見たことあるが、遠くからでもヴェロニカは美しく、黒髪の皇太子と相まってとてもお似合いだった。
でも、間近で見てもヴェロニカはとても美しく、美の女神様のようだった。

「あなたが、グラント男爵の娘ね?」

ヴェロニカは椅子に腰を下ろし、優雅に扇で口元を隠しながら、リリアーヌを値踏みするように見つめた。
甘く、魅惑的な声と扇で口元を隠す上品な仕草に見惚れてしまう。

「リリアーヌ!きちんと挨拶をしないか!」

男爵に怒鳴られ、リリアーヌはハッと我に返った。
い、いけない!

「り、リリアーヌ・ド・グラントと申します。お目にかかれて、光栄です。妃殿下。」

ぎこちないながらも、リリアーヌは一礼してカーテシーを行う。
その所作は完璧とは言えなかったが、精一杯の誠意がこもっていた。
ヴェロニカはしばし無言でリリアーヌを見つめる。
やがて、扇の奥で微笑んだ。

「ふうん。そう…、あなたが、ね…、」

パサついた黒髪、ガリガリに痩せた体つき、血色の悪い頬、おどおどとした態度。
リリアーヌの地味な容姿にヴェロニカは目を細め、唇の端がわずかに吊り上がった。
それは見る者が気づくか気づかないかの微かな笑み。だが、確かにそこには「勝者の余裕」と「劣った者を値踏みする優越感」が滲んでいた。
そのままフフッと勝ち誇ったように笑うと、

「いいわ。あなたを側室として認めましょう。」

「ほ、本当でございますか!?」

リリアーヌでなく、男爵が過剰に反応する。声には抑えきれない興奮と喜びが混じっていた。

「ええ。男爵家の娘とはいえ、貴族であることに変わりはないもの。それに、正妃である私が認めているのだから、問題はないわ。」

リリアーヌはその言葉に胸を撫で下ろし、深く頭を下げた。
なんて器の大きい方なのだろう。正妃としての格をリリアーヌは感じた。

「あ、あの、この子はわたしが手塩をかけて、育てた娘です。わたしも可愛い娘を手放す訳ですから…、」

「ええ。勿論、分かっているわ。男爵の忠誠と誠意に応えて、それなりの謝礼金を支払うと約束しましょう。」

「おお!ありがとうございます!」

男爵はぺこぺことヴェロニカに頭を下げた。
ヴェロニカはリリアーヌを見て、ニッコリと笑うと、

「リリアーヌ、だったかしら?……側室として殿下に忠実にお仕えして、精進なさい。男爵令嬢であるあなたにとって、宮廷の暮らしは慣れないことかもしれないでしょうけれど……、自分の立場をよく理解して、慎重に行動すれば大丈夫よ。」

一見、優しげな口調。だが、ヴェロニカの瞳は一瞬たりとも笑っていなかった。
それは明らかな牽制だった。
”貧乏男爵家の娘であるあんたに宮廷暮らしは似合わないわね。私は正妃。あなたは側室。身の程を弁えて行動することね”
そう言外に告げていた。

「あ、ありがとうございます!妃殿下!」

リリアーヌは心からの感謝を込めて、微笑んだ。
予想外の反応にヴェロニカは眉を顰めた。

貴族特有の遠回しな物言いや皮肉に慣れていないリリアーヌは、ヴェロニカの言葉をそのまま受け取った。
自分を気遣ってくれたと思い込み、純粋に感謝していた。

「私、精一杯、頑張ります!殿下と妃殿下に誠心誠意、お仕えして、少しでもお役に立てるように努めます!」

「……そう。その言葉、忘れないようにね。」

ヴェロニカは少しばかり面食らったような顔を浮かべながらも、それ以上は何も言わず、席を立った。

ヴェロニカ様……。なんてお優しい方なんだろう。
噂では、気位が高くて、嫉妬深く、底意地の悪い女性だと聞いていたけど、全然そんなことない。
やっぱり、噂なんて、当てにならないんだ。

リリアーヌは心底、安堵していた。
カリーナから、殿下の側室になったら、ヴェロニカ様から壮絶な虐めを受けるだろうと脅されていたが、そんな心配はなさそうだ。

けれど、それは、リリアーヌがまだ、宮廷の本当の姿を知らないだけだった。
ヴェロニカの噂はほとんど当たっているし、貴族令嬢を馬鹿にして笑い者にしたり、皇太子に言い寄る女性を悉く排除したり、婚約者のいる高位貴族の男性と親しくしたせいで同性の…、特に令嬢達からは蛇蝎の如く嫌われていることは社交界の誰もが知っている噂なのだが、社交界に疎いリリアーヌは、勿論そんなことは知らなかった。




王宮での謁見を終え、男爵家に戻ったリリアーヌ。
ほっと息をつきたい所だが、そうもできないのがリリアーヌの現状だ。

この後は男爵夫人の監視の下、家庭教師から歴史の勉強を受けることになっている。
歴史は好きだけど、あの男爵夫人と家庭教師がいると思うと、憂鬱だ。
男爵夫人はリリアーヌを睨みつけ、こちらの動向を逐一見張っているし、時々舌打ちしたり、机を指でトントンと叩いたり、威圧してくるからだ。おまけに家庭教師は男爵夫人の友人だ。二人共、リリアーヌへの当たりが強いのだ。この前も歴代皇帝の名前を全て正解したのに、おかしい!ズルをしたに決まっている!と叱られた。

今日の授業はどうか平和に終わりますように……。
リリアーヌは心の中でそう祈った。

しかし、リリアーヌを待っていたのは、冷たい現実だった。
リリアーヌが屋敷の階段を上がっている途中で、前方から誰かの気配を感じた。

石撃グラヴェル・ショット

リリアーヌの目の前に茶色い何かが飛んできた。
避ける間もなく、それは彼女の肩に直撃する。

「きゃっ!?」

衝撃で体のバランスを崩し、リリアーヌの足は階段を踏み外す。

ゴツッーードンッ、ドンッ、ガンッ!

階段を転げ落ちる音が屋敷に響き渡り、リリアーヌの細い体は床に打ちつけられた。
目の前がぐらつく。肩が焼けるように痛い、息が上手く吸えない。

「ぅっ……、ッ……、」

声にならない呻きとともに、リリアーヌは床に伏せたまま、動けずにいた。
階段の上の方から、ゲラゲラと笑い声が聞こえる。

「やれやれ…。あんな初歩的な魔術も避けられないだなんて……。情けない。ちゃんとシールドを張らないと駄目じゃないですか。姉上?」

聞き覚えのある声だった。リリアーヌが階段の上に視線を向ければ、そこには金茶の髪に酷薄な笑みを浮かべた少年が立っていた。彼はセオン。リリアーヌの異母弟であり、正妻の子であり、カリーナの弟だ。

「あ、そういえば、姉上は魔力が低すぎて、魔術が使えないんでしたっけ?忘れてました。」

セオンはこちらを見下ろし、わざとらしく、笑っている。その周りには、同じく貴族の同年代の令息達ーーセオンの取り巻きたちが並んでいた。彼らは、倒れたリリアーヌを見て、笑っていた。

「今の見たか?本当に転がってやがんの!」

「ゴロゴロ転がって、面白かったなあ!」

こういうことは初めてではない。
彼らは「魔術の訓練」と称して、リリアーヌをこうして甚振っているのだ。
彼らにとって、これは遊びの一環であり、暇つぶしだった。
セオンは悪びれもせず、軽く肩をすくめると、

「まあ、姉上は丈夫だから大丈夫でしょう。ね?」

セオンは目を細めて、リリアーヌにそう問いかける。

(ま、まずい!に、逃げないと…!は、早くここから逃げないと、また…!)

リリアーヌは痛みに耐えながらも、何とかその場から逃げようと立ち上がろうとする。

「ほら、まだ立ち上がる元気があるじゃないか。君たちもやってみろよ。魔力制御の練習になるぞ。」

「へへっ、じゃあ次、俺いきます!」

取り巻きの一人が手に魔力を込める。リリアーヌは走って逃げだした。

「炎閃≪フレア・スパーク≫」

小さな爆音とともに、魔術の火花が炸裂する。リリアーヌは反射的に体をよじってよけると、すぐ横の柱に焦げ跡が残った。
ハッ、ハッ、と息を荒げながらも必死で走る。一人、また一人とリリアーヌを標的にした”訓練”という名の暴力が繰り返される。
時には、魔術だけでなく、足蹴にされることも、髪を引っ張られることもあった。
それはもう、日常の一部だった。

リリアーヌの体は常に傷だらけだった。誰も彼女を庇う者はいない。
でも、泣いても誰も助けてくれないことを、彼女はとっくに知っていた。

なんとか、リリアーヌはその場を逃げ出し、自分の部屋に駆け込んだ。
そこは、男爵邸の中で一番日当たりの悪く、薄暗い部屋だった。
ただ寝るためだけの部屋だったとしても、それでも、ここはリリアーヌが唯一、一人になれて安心できる場所だった。

リリアーヌは痛む身体を引きずる。ズキッ、と肩が痛む。見れば、服がじんわりと血が滲んでいた。

「えっと、傷薬はここに……、」

リリアーヌは戸棚から薬を取り出した。
薬は高価でとても自分では買えない。あの男爵家の人たちがリリアーヌのために薬なんて買ってくれるはずもない。だから、自分で治すしかなかった。

森で採取したハーブ、裏庭で育つ薬草を使い、古い薬学書から薬を作るようになった。
そのうちに、いつしか薬草の名前を覚え、煎じ方や保存方法も覚えるようになった。

「うっ、痛っ……!」

傷口に薬を塗り込むと、痛みが走る。なんとか痛みを堪えて、薬を塗り込んでいく。

(いつか、この知識が役に立つかもしれない)

そう信じることだけが、リリアーヌの支えだった。
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