冷遇され、虐げられた王女は化け物と呼ばれた王子に恋をする

林檎

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第三章 立志編

なくした肩掛け

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ラシード殿下の部屋の前には護衛の騎士がいたがアーリヤを見て、すんなりと中に通してくれた。
リスティーナを見て、訝し気な表情を浮かべたがアーリヤが私の連れよ、と言うと納得してくれた。
そのままアーリヤと一緒に中に入っていく。
部屋の中はお香のような甘く、スパイシーな香りが漂ってきた。
この匂い…。アーリヤ様の部屋も同じような匂いがした。
そんな風に思いながら、室内に足を踏み入れる。

「アーリヤか。遅かったな。」

見れば、部屋の長椅子にラシードは座っていた。
ツン、としたアルコールの匂いが鼻腔を擽る。
彼の手には黄金色のグラスが握られている。
ラシードの背後には黒髪に褐色の肌を持った男性が佇んでいた。
そして、もう一人部屋の隅にアーリヤの侍女、カーラがいた。
使用人は侍女と従者を合わせて、二人だけいない。
普通、大国の王太子ならもっと使用人の数がいてもいい筈なのに…。
リスティーナがそう思っていると、

「あら、お兄様だけずるいわ。私にも頂ける?」

「ああ。いいぜ。カリル。」

「はい。」

ラシードの背後に立っていた男性がサッと動き、グラスに酒を注いでアーリヤに差し出した。

「さ、リスティーナ。ここに座って。」

「え!?あ、は、はい…。」

その間にアーリヤはリスティーナの手を引き、長椅子に座るように促した。
リスティーナが座った位置はよりにもよって、ラシードの正面だった。
よ、よりにもよってラシード殿下の正面だなんて…!
てっきり、正面にはアーリヤ様が座るかと思ったのに…。
そんなリスティーナの気持ちに知ってか知らずかアーリヤはリスティーナの隣に座り、ラシードの従者が淹れてくれた酒を口にしている。
ラシードはジッとリスティーナに視線を注いだ。

「来てくれたんだな。リスティーナ姫。あんたも飲むか?」

「あ…、いえ。私は…、」

お酒は苦手なので断ろうとするが…、そういえば目上の人からの誘いを断るのは失礼に値する行為だということを思い出し、口を噤んだ。これから、交渉をするのに相手の心象を悪くするのは得策じゃない。

「い、頂きます…。」

ラシードはカリルと呼ばれた男性の手から酒瓶を受け取り、自分のとは別のグラスに酒を注ぐと、それをリスティーナに差し出した。

「ほら、飲むといい。」

まさか、ラシード殿下本人が淹れてくれるとは思わず、戸惑いながらもリスティーナはグラスを受け取った。

「あ、ありがとうございます。ッ!」

受け取った瞬間、ラシードの指がリスティーナの手をスルリ、と撫で上げた気がした。
リスティーナはグラスを持ったまま、サッと手を引っ込める。
あ、危ない…。もう少しで零れる所だった。今のって偶然手が当たっただけ?
…何だかわざと手を触れたような気が…、い、いやいや!そんな、まさか!
ラシード殿下のような人が私相手にそんな事する訳ない。
恥ずかしい。自意識過剰過ぎる…。
俯くリスティーナにラシードが

「どうした?飲まないのか?」

「い、いえ!頂きます…。」

鮮やかな宝石と繊細な細工が施された黄金色のグラス…。
これ、絶対高いグラスだ…。
さすがパレフィエ国の王族。使っている物まで何もかも違う。
リスティーナは落とさないように細心の注意を払いながら、グラスを傾けた。

「っ…!」

飲んだ瞬間、喉が焼けるようにカッと熱くなり、途端に咳き込んでしまう。

「ゲホッ!…ゴホッ!」

な、何これ…!か、辛い!
頭がクラクラする。つ、強いお酒だとは思ってただけど…、こんなに度数が高いだなんて思ってもみなかった。

「ん?どうした?」

「あら、大変。大丈夫?カーラ。お水持ってきて。」

「はい。只今。」

カーラがすぐに水を持ってきて、リスティーナに差し出してくれる。

「どうぞ。」

「ゴホッ!す、すみません…。」

リスティーナは震える手でグラスを受け取ると、コクコクと水を飲み干した。アルコールで焼けるように熱い喉に冷たい水は心地いい。
でも、まだ喉がヒリヒリするような感じがして気持ち悪い。

「もしかして、酒は苦手だったのか?そいつは悪かったな。」

「私も気付いてあげられなくてごめんなさいね。」

「い、いいえ!こちらこそ、申し訳ありません…。お見苦しい姿を見せてしまって…、」

「…いいや?別に見苦しくなんてなかったぞ。むしろ、初々しくて、そそられ…、」

「お兄様。」

ラシードの言葉に被せるようにアーリヤがにっこりと微笑みながら、ラシードを見つめた。
…?何だろう。今、ラシード殿下が何かを言いかけたような…、アーリヤ様が途中で遮ったからよく聞こえなかった。

ラシードはアーリヤを見て、一度口を噤んだ。
そして、リスティーナを見て、口角を吊り上げ、笑った。
その笑みにリスティーナは背筋がぞくり、とした。
…?何、今の…。
その時、カリルがスッと新しいグラスを差し出してくれる。

「どうぞ。お酒が苦手のようですので勝手ながら果実水を用意させて頂きました。」

「あ…、わざわざありがとうございます。」

リスティーナはおずおずとグラスを受け取る。
綺麗…。色鮮やかな濃い紅色だ。
ジッとグラスの中身を見つめるリスティーナにカリルが説明してくれる。

「そちらは、パレフィエ国特産の果物で作った伝統的な飲み物です。甘くて、爽やかな風味が特徴ですのでお口直しにどうぞご賞味ください。」

「え…、そ、そんな貴重な飲み物を私が頂いてもいいんですか?」

「構いませんよ。ラシード殿下があなた様にとご用意した物です。礼なら、殿下に。」

そう言って、カリルはラシードに視線を向ける。ラシードは口元に笑みを浮かべたまま、、

「あんたにはアーリヤが世話になっているからな。ほんの礼だ。遠慮は無用だ。」

「あ、ありがとうございます…。」

リスティーナは躊躇しながらもせっかくのご好意だし…、と思い、飲み物に口を付けた。
ほんのりと甘い香りが鼻腔を擽る。甘酸っぱさと爽やかな風味が口の中に広がった。…美味しい。

「気に入ったか?」

「は、はい。とても美味しいです。」

「そうか。それは良かった。遠慮せずに飲んでくれ。菓子もあるから、好きなのを選べ。」

そう言って、ラシードはテーブルに並べられた色とりどりの菓子をリスティーナにも食べるように勧めてくれた。

「お気遣いありがとうございます…。」

ラシード殿下の意図が分からない。一見、好意的で親切そうに振る舞っているけど…、何だか怖い。
まるでこちらを懐柔するかのような気がして…。
何かを企んでいるかのように思えてしまう。
考えすぎかもしれない。本当に善意でしてくれていることなのかもしれないし‥。

そういえば、ラシード殿下の話って何だろう。
リスティーナは気になって仕方がなかった。
交渉はラシード殿下の話が終わってからにしないと‥。
いきなり、こちらの要求を口に出すのは得策じゃない。

ラシードとアーリヤはリスティーナが一口飲んだだけで噎せたお酒を平然と口にしている。
それを見て、リスティーナは内心、落ち込んだ。
…私ってどれだけお酒に弱いのだろうか。
二人共、お酒に強いんだ。
何て、羨ましい。どうして、私ってこんな子供舌なんだろう。
もう十七歳なのに…。内心、ズーン、と落ち込んでいると、不意にラシードがグラスをコトリ、とテーブルに置いた。

「リスティーナ姫。俺の招待に応じてくれて、感謝する。突然、前触れもなく招待したりして、悪かったな。驚いたことだろう。」

「い、いえ…。殿下にお招きいただきまして、光栄で御座います。あの…、それで…、」

「そういえば…、さっきは大丈夫だったか?」

リスティーナは本題に入ろうとしたのだが、ラシードが先にリスティーナに質問する。

「は、はい?」

「さっき、あんたは貧血か立ち眩みを起こして、倒れそうになっていただろう。どこか具合が悪かったんじゃないのか?」

「!」

そ、そうだった!わ、私ったらラシード殿下の前であんな失態を…!
リスティーナはサアア、と顔を青褪めた。

「も、申し訳ありません…!さ、先程は大変なご無礼を致してしまい…!どうか、お許しください…!」

リスティーナは慌てて、立ち上がり、サッと腰を低くして、頭を垂れた。

「許すも何も俺は別に怒ってないんだが?俺はただ、具合は悪くないのか聞いただけだぞ。いいから、さっさと顔を上げろ。」

お、怒ってない?リスティーナはそっと顔を上げた。
ラシードは呆れたような表情をしているが怒りの色は見られない。よ、良かった…。リスティーナはホッとした。

「それで?具合はもういいのか?」

「だ、大丈夫です!お気遣いありがとうございます。…あの、言い訳に聞こえるかもしれませんがあの時の私は別に具合が悪かったわけではなくて…、突然、眩暈がしてしまって…。でも、眩暈を起こしたのはあの一回だけでその後は全然…、だから、本当に大丈夫なんです。」

「そうか。なら、いい。あんたは見るからに華奢でか弱そうな見た目をしているから心配だったんだ。」

意外だった。そこまで心配してくれているなんて思わなかったから…。
もしかして、話ってこのことだったのかな?

「そうそう。あんたをここに呼び出したのは他でもない。他人に聞かれると少しまずかったからわざわざ個室に来てもらったんだ。できれば誰にも邪魔されないでじっくりと話したかったからな。」

「!」

リスティーナは肩を強張らせた。

「わ、私に話しとは…、何でしょうか?」

ギュッと膝の上に置いた手に力を込める。

「あんたも気付いているんだろう?北の森といえば分かるか?」

「っ…!」

やっぱり…。この人は私の正体に気付いている。
どうしよう。どうすればいい?どうすればこの場を切り抜けられる?せめて、ルーファス様だけでも咎を受けないようにしないと…!

「あ、あの…、私は…、」

「何でルーファスの側室のあんたが北の森にいたんだ?…まあ、大方の予想はつくけどな。あいつの為に黄金の花を採ってきた。そんな所か?」

リスティーナは息を吞んだ。

「図星か?」

「で、殿下。確かに私は…、あの日、後宮を抜け出し、北の森に行きました。ですが…!これは、私が勝手にしたことなんです!ルーファス様は…、あの方は何も知らないんです!お願いします…。この件はどうか内密にして頂けないでしょうか…?」

「ああ。別にいいぜ。元から、言い触らすつもりもないしな。」

「え…?」

予想外の言葉にリスティーナは思わず目を瞠った。

「何だ?俺があんたを脅すとでも思ったのか?女を脅す程、俺は腐ってねえぞ。大体、女を脅すなんてモテない男のすることだ。」

「は、はあ…。あの、それじゃあ、どうして、私を…。」

「俺があんたを呼び出したのは返したい物があったからだよ。」

ラシードがカリルに視線を送ると、カリルはサッと薄い箱をリスティーナに差し出した。
リスティーナは不思議そうにしながらも渡された箱を受け取った。ラシードに目線で促され、紐を解いて、蓋を開ける。

すると、箱の中には太陽と花の刺繍がされた薄紫色の肩掛けが丁寧に畳まれて入っていた。それは紛れもなく、リスティーナがなくしたと思っていた肩掛けだった。
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