冷遇され、虐げられた王女は化け物と呼ばれた王子に恋をする

林檎

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第三章 立志編

リスティーナの秘密

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「まさか、ラシードの奴…。ローザを説得する代わりに君の身体を要求したのか?」



「い、いえ。そうじゃないんです。ラシード殿下は…、私に交換条件を出したんです。自分と勝負して、勝ったらローザ様を説得するのに力を貸して下さると言ってくれて…、」



「勝負?その勝負方法は君が決めたのか?」



「い、いえ…。ラシード殿下が決められて…。」



ルーファスは何かを考え込むように数秒黙った。



「勝負をする前にあいつは何か怪しい素振りは見せなかったか?」



「怪しい素振り…ですか?いえ。特に何もなかったと思いますけど…、」



「本当か?例えば、誓約書にサインするように要求されたりしなかったか?」



「え…?誓約書?いえ。別に。」



「書面も何も交わさなかったのか?」



「は、はい…。」



誓約書。そういえば、エルザが言っていた。

交渉する上で口頭でのやり取りはあまり意味を為さない。後で指摘してもそんな事は言ってないと言い切ってしまえば、何も証拠はないから幾らでも言い逃れできる、と。

だから、交渉するうえで証拠を残す為に書面で取り交わしをするのは基本なのだと。

わ、私ったら焦っていたからといって、そんな大事な事を忘れていたなんて!



「なら、いいが…。もし、あちら側に都合のいい条件で誓約書を交わしていたとなると、面倒だったがただの口約束なら、問題ない。しかし、ラシードが口約束だけで交渉に乗るとは思えないが…。

その勝負とやらだが勝ったら、ラシードがローザを説得するとの話だが、君が負けたらあいつは何を要求するつもりだったんだ?」



「えっと…、私が負けたら、ラシード殿下の言う事を一つだけ聞くという条件でした。」



「…随分、不明瞭な言い回しだな。君の条件は明確に提示されているのにラシードのは何を要求されるか分からない。あいつは具体的な事は何も言ってなかったのか?」



「か、確認しませんでした…。」



ルーファスに指摘されるまで気付かなかった。リスティーナは自分の不甲斐なさにシュン、となった。



「リスティーナ…。相手と取引をする時は気を付けろ。特に男相手に何でも言う事を聞くなんて言うのは絶対に止めるんだ。その言葉を盾に君の身体を好き放題にしようなんて考える男もいるのだから。」



「ううっ…、すみません。次からは気を付けます。」



「とりあえず、次からは何でも一人で抱え込まずに一言、俺に相談してくれ。」



「わ、分かりました。」



「絶対だぞ?」



ルーファスは二度も念押しして、リスティーナの目をジッと見て、言った。



「は、はい!約束します!」



今回の件でリスティーナも自分の行動が如何に浅はかだったか思い知らされたのでコクコクと頷いた。ルーファスは不意にリスティーナから視線を外すと、



「まさか、あいつ…、最初からリスティーナを狙って…?」



「ま、まさか!きっと、あれはただの悪ふざけで言っていただけですよ。ラシード殿下はその前にかなりお酒を飲まれていましたから。」



平気そうに見えたが、あれだけの強いお酒を飲んでいたのだから、本当はかなり酔っていたのかもしれない。よく考えれば、ラシード殿下の言動はおかしかった。いきなり笑ったかと思えば、私を妃にするだなんて言い出すし…。

きっと、酔っ払っていたから、あんなおかしなことを言ってしまったのだろう。

そう考えると、ラシードのあの奇行にも納得がいく。

そういえば、北の森でラシード殿下に会った時、女日照りも続いていたと言っていたし、酔ったことで理性が外れて、たまたま近くにいた私に手を出してしまったのかも。



「……。」



ルーファスはリスティーナの言葉を聞いて、目を伏せ、黙り込んだ。



「ルーファス様?」



「何でもない。それより、ラシードが提案した勝負とは何だったんだ?」



「コップの中に入れたコインを当てるというものです。五回勝負して、コインを当てた回数が多かった方が勝ちだという…、あっ!」



リスティーナはその時に気が付いた。私…、五回目の勝負、途中で中断されてしまったんだ!

立て続けに色々とあったせいで忘れてた!結局、あの中にコインがあるのかどうか分からないままだ。折角、四回も当てることができていたのに…!リスティーナは目に見えて、落ち込んだ。



「どうした?」



「ルーファス様…。私…、最後の勝負が途中で終わってしまってて…。け、決着が着きませんでした。」



「途中で…?つまり、勝負が中断されたという事か?一体、何があったんだ?」



「それが…、五回目の勝負の時にコップの中にコインが入っていないように見えて…。それを指摘したら、ラシード殿下が急に笑い出して、その…、私の事を妃にすると言い出してきて…。」



ルーファスはピクッと眉を顰めた。リスティーナはそんなルーファスに慌てて、弁解した。



「で、でも、あれは多分、酔っていたから言い出したことで…!ラシード殿下も本気で私を妃に迎えるつもりはないと思います。きっと、明日になれば自分が言ったことも忘れているでしょうし…。」



「リスティーナ。君は勝負の時、何か見えたのか?」



「え?」



「さっき、コインが入っていないように見えたと言っていたな。あれはどういう意味だ?」



「あ…、」



リスティーナは一瞬、言うべきか迷った。どうしよう。お母様からはこのことは誰にも話してはいけないと言われていたけど…。

でも…、リスティーナはルーファスを見つめた。

そこには、真剣な表情でリスティーナの言葉を待っているルーファスがいた。

そうだ。ルーファス様は自分の苦しい過去を私に話してくれた。

私も…、ルーファス様に隠し事はしたくない。

リスティーナは覚悟を決めて、秘密を明かすことにした。



「あの…、ルーファス様。これから、話すことは誰にも言わないで欲しいのですけど…、」



「勿論だ。約束しよう。今から君が話すことは誰にも言わないと…。」



「その…、頭がおかしいと思うかもしれないんですけど…、実は、私…、子供の頃から変な子だったんです。人に見えないものが見えたり…、手で物を隠していたり、目隠しをしたりしても…、何故かそれを見ることができたんです。」



幼い頃、エルザと遊んでいる時、硝子玉を握り締め、手の甲を上に向けて、どちらに硝子玉があるのかを当てる遊戯をしたことがあった。リスティーナはいつもそれを当てることができた。

エルザは凄い凄いとはしゃいでいたが、その時の母とニーナは驚愕と困惑、不安が入り混じった表情をしていた。母は今にも倒れそうな位、青褪めていた。

あの時はどうして、母があんな顔をしていたのか分からなかった。でも、今なら分かる。

普通の子供にそんな事は出来ない。リスティーナは普通の子供とは違った。それを母は心配していたのだ。



「見えないもの…?」



「今はそういうのはないんですけど…、小さい頃は時々、黒い靄のような物が見えたんです。」



「黒い靄?」



「はい。初めて、見た時はエルザ達と城下町に行った時で…、」



初めて、町に出かけた時、こんなにたくさんの人がいる場所に出るのは初めてで興奮した。

最初は気付かなかったが、その内に違和感を抱いた。通り過ぎる人達や視界に映った人達の中に黒い靄のような物が覆っているのが見えたからだ。

しかも、その靄は人によって覆っている場所が違うし、色も靄の大きさも違った。

あれは何だろう?一緒にいたエルザに聞いても、キョトンとした顔をして、そんなのは見えませんよと言っていた。…変だな。皆、あれが見えてないの?



そんな風に思っていると、野菜売りの女性が具合が悪そうに咳をしているのを見かけ、リスティーナは思わず立ち止まった。

女性の胸には黒い靄があった。しかも、かなり濃い色。

あれは、何だろう?思わずジッと見つめてしまう。母親の傍にいた娘らしき小さい女の子が母親を心配そうに見つめて、声を掛けていた。

その子はリスティーナと同じくらいの年だった。



黒い靄が女性の胸を覆い、渦巻いている。女性はゴホッ、ゴホッと激しく咳をした。苦しそう。

女性はそのままガクッと膝から崩れ落ち、地面に倒れ込んでしまう。

娘が泣きながら、母の名を呼ぶが、母親はかろうじて、息はしているが倒れ込んだまま動かない。

リスティーナは思わず野菜売りの母娘に駆け寄った。そして、パッと黒い靄を振り払った。

すると、フッと黒い靄が消え去った。それを見て、リスティーナはホッとした。良かった。これ、消えるものなんだ。



その後、リスティーナは女の子と一緒に女性を介抱した。程なくして、女性は気が付いた。

咳が止まり、血色も良く、顔色が戻った母親に女の子は嬉しそうに抱き着いていた。

介抱してくれたお礼にと野菜を貰ったリスティーナはそれを母親へのお土産に持って帰った。

そして、今日あった出来事を話すと、母親は手に持っていたカップを落としてしまった。

驚くリスティーナに母親はカップが割れても、固まったまま動かなかった。

母親は顔色を青褪め、震えていた。リスティーナが心配そうに声を掛けると、いつもの穏やかで優しい母に戻っていたが手はまだ震えていた。

そのまま、母はニーナと共に奥の部屋に行き、暫くそこから出てこなかった。

そういえば、それからしばらくして、リスティーナは黒い靄を見なくなった。

あれは、何だったんだろう?と思ったが次第に時が経つにつれてリスティーナはそれを忘れるようになっていった。



「大人になった今では、もう見えなくなったんですけど…。子供の頃の私はそんな感じで少しおかしな子だったみたいで…。もしかしたら、私、小さい頃は霊感体質だったのかもしれません。

そういえば、いつもお母様が言っていました。この体質の事は絶対に人前では話しては駄目よって…。」



「……。」



「でも、不思議な事に今日みたいなコインを当てる遊戯はぼんやりとですけど見ることができたんです。正直、あまり自信はなかったんですけど…。」



リスティーナは話しながら、ルーファスに視線を向けるが彼は難しい顔をして、黙り込んでいた。



「ルーファス様?」



「ッ、あ…、すまない。君がそんな体質を持っていたとは、知らなかったから驚いてしまって…。」



ルーファスはリスティーナの声にハッとしたようにこちらを見ると、



「…俺も霊感体質の人間は少ないが存在すると聞いたことがある。君のように子供の頃に視えても大人になったら視えなくなったという例もあるらしい。」



「え、そうなんですか?」



「ああ。霊感体質について研究した論文にそんな事が書かれてあった。そこにも書いてあったが彼らのほとんどが周囲からの虐めや批判の対象になったらしい。

君の母親の判断は正しい。人間は自分達より、異質な存在を排除しようとする傾向が強い。

きっと、君がその体質故に周囲の人間から虐めを受けたりすることがないようにと忠告したのだろうな。」



「お母様が…。」



「リスティーナ。これからもその忠告は守った方がいい。俺も今の事は誰にも言わないと約束するから。」



ルーファス様のこの真剣な目…。リスティーナは見覚えがあった。亡くなった母もリスティーナに約束事をする時はこんな目をしていた。

リスティーナは無意識のうちに頷いていた。そんなリスティーナの反応にルーファスは安堵したように表情を和らげた。
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