冷遇され、虐げられた王女は化け物と呼ばれた王子に恋をする

林檎

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第四章 覚醒編

レティア

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川の畔でゴクゴクと水を飲み干す。
水を飲み終え、ハア…、と息を吐く。
身体中、汗を掻いたせいで気持ちが悪い。
基礎の訓練だけで心が折れそうだ。
弱気になりそうな心を振り払うようにルーファスは首を横に振った。
そろそろ、リーの所に戻らなければ。
立ち上がり、踵を返すルーファスの耳に、パシャン、と水音がした。
反射的に警戒し、腰の剣に手をかける。
振り返って見れば、美しい金髪の若い女が川の中に座り込んだ状態で俯いているのが見えた。
あの金髪…。ルーファスが既視感を覚えていると、女が視線に気づいたのか顔を上げた。
その女性の顔を見て、ルーファスは目を瞠った。

「…リスティーナ?」

「ルーファス様!」

リスティーナはパッと顔を輝かせ、縋るような目でルーファスを見つめた。
何故、彼女がここに?
ルーファスは腰の剣から手を放し、川に浮かんだ岩を足場にして、リスティーナに近付いた。

「リスティーナ。何故、ここに?」

「ルーファス様を探していたら、ここに辿り着いたんです。でも、川を渡っている途中で足を挫いてしまって…。あの、ルーファス様。もしよければ、手を貸していただけませんか?一人では立てそうになくて…。」

リスティーナは痛みに顔を歪めながらも、申し訳なさそうな表情でルーファスに懇願した。
まさか、リスティーナまでも現れるとは…。
そういえば、以前も似たようなことがあったな。リスティーナが触れると、俺の過去の記憶を共有することができた。これもリスティーナの力の一つなのか?
そう思いながらも、ルーファスはリスティーナに手を差し出した。
が、ふわっと漂った匂いに違和感を抱き、反射的に手を引っ込めてしまう。
ルーファスの手に掴まろうとしたリスティーナの手が空を切った。

「る、ルーファス様?」

「……。」

ルーファスは無言でじっとリスティーナを見た。
金髪にエメラルドグリーンの瞳。白い肌も薔薇色の頬も薄紅色の唇も華奢な身体も記憶にあるリスティーナと一つも変わらない。だけど…、匂いが違う。

「どうしましたか?あの、早く手を貸してくれませんか?もう、足が痛くて…。」

ぶわっと匂いが濃くなった。
何だ。この悪臭は…!
リスティーナからはいつも甘い花の香りがした。
ふわりと包み込むかのような優しくて、甘い香り…。
一度嗅いだら、絶対に忘れない。それ程までに記憶に強く残る魅惑的な香りを…、間違える筈がない。
この女からはリスティーナの香りがしない。こいつは一体、何なんだ?

「お前…、誰だ?」

「え?どういう意味ですか?ルーファス様ったら、変な事を聞くのですね。私です。リスティーナです。妻の顔を忘れるなんて、酷いです。ルーファス様ったら…。」

悲しそうな表情を浮かべ、責めるように言うリスティーナにルーファスは確信した。
違う…!リスティーナじゃない!これは…、リスティーナに似た何かだ…!
ルーファスは剣を抜き、そのままリスティーナに似たその何かの生き物の心臓を貫いた。
が、リスティーナの姿を模ったその何かは剣が突き刺さる直前に、ぐにゃり、と姿を変え、黒いドロドロとした物体へと変化した。そのままどぷり、と不気味な音を上げて、川の中に沈んでしまう。

くそっ…!逃がしたか…!
追おうとするルーファスだったが、グン!といきなり、後方に引っ張られるような感覚がしたかと思ったら、そのまま岸辺に身体を引き寄せられた。引力魔法だ。
傍には、リーが立っていた。
リーは笑顔でパチパチと手を叩いた。

「よく気付いたわね。あの魔物の罠を見破るなんて意外だったわ。危なくなったら手を貸そうかと思ってたけど、やるじゃない。」

「!?やはり、あれは魔物なのか?」

「そう。レベルはFランクの大したことない雑魚だけどね。あれは擬態系の魔物。さっきの黒いドロドロとしたスライムみたいな見た目が本来の姿よ。
獲物が庇護欲や愛情を抱いている相手に擬態して、甘い言葉で誘い込んで自分の巣に引きずり込む。
弱いけど、化けるのは上手いからそれに引っかかる人間は多いのよ。でも、しょせんは雑魚だからね。
相手の弱みになるものに変化しないと、獲物を狩れないの。」

「そんな魔物がいるのか…。」

「だけど、あなたは一目で偽物だと見抜いた。これって、凄い事よ。あのシグルドだって最初は罠にかかって、喰われてしまったのだから。」

「喰われた?え…。でも、シグルドは生きているじゃないか。」

「シグルドだって、元々はあなたと同じだもの。勿論、私もね。」

「同じ…?」

リーの言葉の意味が分からず、ルーファスは首を傾げる。
どういう意味だ?

「それにしても、あれだけ完璧に化けているのによく気付いたものだわ。どうして、あれが偽物だと分かったの?」

「匂いが…、いつものリスティーナの匂いがしなかったんだ。だから、気付いた。それに、あの魔物からはひどい悪臭がした。」

「へえ。あなた、もう魔物の匂いを嗅ぎ分けられるのね。いい兆候だわ。あなたは呑み込みが早いから、教え甲斐がありそうね。」

「魔物の匂い?あれがそうなのか?」

「そう。あの腐ったような異臭が魔物の匂いよ。よく覚えておくことね。魔物や魔族は人間に化ける事があるからね。」

リーの言葉にルーファスは頷いた。あれが魔物の匂いだったのか。あの匂いはもう覚えた。
つまり、魔物が近くにいる時はあの匂いがするという事か。

「見かけによらず、あなたってフェミニストだから、女に化けたあの魔物を狩ることはできないんじゃないかって思ってたけど、その心配はなかったみたいね。」

「さっきのあれは反射的に身体が動いて…。それに、あの状況で躊躇していたらこちらがやられていた。」

「その通りよ。戦いに男も女も関係ない。
戦場で女だからって理由で手を抜いたら命を落とす。戦場とはそういうものよ。
私の戦場の心得を教えてあげる。戦場で戦う時は、男女関係なく、本気で挑むこと。これが鉄則よ。
私は男女平等主義者だからね。女だからって理由で舐められるのなんて御免だし、女だから弱いって決めつけるのは我慢がならないの。大体、考えてみて?こっちはエリスの為…じゃなかった。国の為に戦うという覚悟を決めて戦場に立つのよ?生半可な覚悟で来た訳じゃない。それなのに、女だからって理由で手を抜かれたり、女とは戦いたくないって言われたらふざけるな!って言いたくもなるでしょ。」

リーの言う通りだ。それは覚悟を決めて戦う者への侮辱に他ならない。
今まで自分は女性の視点で物事を考えて見たことがなかった。リーの考えを聞いて、改めて女性の身で戦うという事について学ばされた。

「あなたは優しい子だから、弱い人や女性を傷つくことに抵抗を感じてしまうのも分かるわ。
でもね、優しいだけじゃ大切な人を守ることはできないのよ。」

優しいだけじゃ…、大切な人を守れない。その言葉はルーファスの胸に響いた。

「だからね、ルーファス。あなたも男だとか女だとかそんな細かい所には拘らずに相手が誰であろうと全力でぶつかりなさい。それこそが相手へ敬意を払う事になるのだから。さすがに戦意を失った相手を甚振るのは可哀想だからそういう人は相手にしなくていいけどね。」

「ああ。分かった。」

「うんうん。素直でよろしい。それじゃ、今度は食料調達に行きましょうか。また、サウルスでもいればいいんだけど。」

そう言って、リーは上機嫌で森の中を歩き始めた。
サウルス…。あの巨大な肉食獣か。前に見たのは死骸だったがそれでも凄い迫力だった。
もし、あれば生きて動いている状態だったらどれだけ恐ろしいのだろう。
できれば、あんな生き物には遭遇したくないというのがルーファスの本音だ。
対して、リーはまた美味しい肉が食べたいという理由でサウルスがいないかと胸を躍らせている。
…この人には勝てる気がしない。ルーファスは心底、そう思った。

「そういえば、あなたのお嫁さんって、シャーマンなんでしょ?レティアは桃の香りがしてたけど、もしかして、リスティーナも桃の香りがするの?」

「シャーマン?…いや。リスティーナからは花の香りがして…。それより、レティアとは?」

「私の友達よ。レティアもシャーマンだったの。レティアはエリスを助けてくれたことがあるのよ。」

シャーマン。もしかして、巫女のことか?もしかして、国や地域によって巫女の呼び名は違うのかもしれない。だけど、巫女はその世代で一人しか存在しない筈だ。
そのレティアという女性も巫女だったのか?

「レティアは立派なシャーマンだったわ。自分よりも他人を思いやる子で…。きっと、似た者同士惹かれ合ったんでしょうね。エリスも優しい子だったから。」

「助けたとは一体…?」

「私のエリスは光の魔力持ちだったから、神殿で聖女になる為の試験を受けていたの。
その神殿で下働きの使用人として働いていたのがレティアだったの。エリスは素質は十分にあったのだけど、魔力のコントロールが上手くできなくてね…。そのせいで実力を出せなくて、悩んでいたの。
そんなエリスを励ましてくれたのがレティアだったのよ。レティアはエリスが元気になれるように手作りのお菓子を作ったり、よく眠れるようにハーブティーを淹れたり、試験で緊張するエリスの為にお守りを作ってくれたりしたの。それからよ。エリスが実力を出せるようになったのは。」

「!」

同じだ。俺もそうだった。リスティーナが作った食事やお菓子、ハーブティーを口にすれば身体が楽になり、回復するのも早かった。

「エリスは聖女にはなれなかったけど、聖女代理に選ばれたのよ。」

「聖女代理?光の魔力保持者はエリス以外にもいたのか?」

「ええ。エリス以外にも聖女候補は何人もいたからね。」

「光の魔力を持つ者は百年に一人いるかいないかといわれているのに…。」

「私の時代は他の属性と比べると光の魔力持ちは珍しかったけど、そこそこいたわよ。
まあ、でも、さすがに光の大精霊の加護持ちはいなかったけどね。だから、光の魔力持ちの中から聖女を選別していたのよ。」

一体、リーはいつの時代の話をしているんだろう。光の魔力保持者は今では光の聖女、フィオナだけだ。
過去には光の魔力保持者が何人もいたという時代もあったが魔法が衰退していくとともに魔力を持つ人間が減り、それに比例するように光の魔力保持者も激減した。
その結果、今では光の魔力を持つ者は百年に一人しか生まれないといわれている。

「その後もレティアはエリスを助けてくれたわ。エリスが拉致された時もレティアが知らせてくれたおかげですぐにエリスを助けることができたの。本当、危なかったわ…。後、少し遅かったらエリスは卑しい男達の慰み者にされているところだった。」

当時の事を思い出しているのだろう。
鞭を持つ手がギリギリ、と音がする程に強く握られる。リーをそっと窺えば、ぞっとする程に昏い目をしていた。

「エリスを拉致した犯人は捕まったのか?」

「当然でしょ。エリスを傷つけようとした奴らを私が逃がすとでも思う?全員、ぶちのめして黒幕を吐かして、そいつらの所に乗り込んでボコボコにしてやったわ。ちょっと暴れすぎて、教会の建物破壊しちゃったけど。」

それはちょっととはいわない。
だけど、リーならやりそうだ。余程、許せなかったのだろう。まあ、気持ちは分かる気がする。
未遂とはいえ、大切な従姉妹を強姦されそうになったのだ。激怒するのも当然だ。
多少、やり過ぎな気もするが…。それより、リーは今、教会といったな。ということは…、

「まさか、犯人は聖職者だったのか?」

「そう。しかも、主犯は教皇と聖女候補の女。エリスを妬んだ女が親の力を使ってエリスを消そうとしたのよ。その女の父親が教皇だったの。
最初はその女の実家に乗り込んだんだけど、あの女私が相手となると魔道具を使って転移魔法でさっさと逃げたのよ。だから、魔力を辿って、女を匿っている教会に乗り込んだの。」

「何でまた、そんな馬鹿な真似をしたんだ。」

リーを怒らせ、敵に回すなんて命知らずとしかいいようがない。
エリスの肖像画入りの懐中時計を肌身離さず身に着けている程にリーはエリスを溺愛している。
エリスに何かすれば、どんな目に遭うかぐらい分かるだろう。
それとも、そんな判断もできない位に嫉妬に狂ってしまったのだろうか。

「あの女はエリスが私の従姉妹だって知らなかったのよ。それに、エリスは身分を隠して平民として聖女候補の試験に参加したから、エリスの事を平民だと思ったみたい。大方、平民なら手を出しても問題ないって思ったんでしょ。プライドの高い我儘なお嬢様が考えそうなことだわ。」

「平民として…?まさか、エリスは貴族の娘なのか?ということは、リーも?」

「そうよ。私、これでも生まれは公爵家の娘なの。エリスはその分家筋の家系で伯爵令嬢。」

「リーは公爵令嬢だったのか。」

「元公爵令嬢だけどね。私、十二歳の時に公爵家から除籍されたから。」

貴族の家を除籍される。それは、貴族の中でも最も重い罰だといわれている。
貴族の人間が家から除籍されるという事は、もう二度とその家名を名乗ることはできない。
名前も存在も記録から抹消されてしまう。家から除籍された人間の末路は悲惨だ。
しかし、それは余程、大きな問題を犯した場合の話だ。
王族への反逆罪や犯罪行為、国際問題…。そういった大きな醜聞を起こさなければ、除籍処分はされない。
それなのに、リーは公爵家を除籍されたというのか?しかも、十二歳で?

「まだ十二歳のリーを?どうして、そんな…。」

「醜い呪われた娘はいらないって勘当されたの。あの時は本当、どうしようかと思ったわ。
私、それまでずっと地下室に閉じ込められていたから外の世界に出たこともなかったし、日光を浴びてないせいで身体も成長していなかったから自力で歩くこともできなかったのよ。
使用人達に命じて、無理矢理連れ出して、そのまま地面にポイって投げ捨てるなんて、ひどいと思わない?
おまけにその日は雨も降っていたし…。何とか這って路地裏まで辿り着けたはいいけど、そこで力尽きちゃってね。エリスが見つけてくれなかったら私、そのまま死んでいた所だったわ。
気が付いたら、豪華なベッドで寝ていて、エリスの屋敷にいたの。
その後は、エリスの両親の叔父夫婦が私を引き取って、養女として育ててくれたのよ。
だから、私の家族はエリスと叔父様達なの。」

リーの話にルーファスは絶句した。
まさか、リーが両親に虐待を受けていただなんて…。そんな過去があるなんて知らなかった。
それにしても、どこの世界にも碌でもない親はいるんだな。
ルーファスは自分の母親の存在を思い出した。もし、俺に呪いによる反動返しの力がなければ、俺もリーのように虐待を受けて育っていたのかもしれない。

リーは凄惨な過去を語っているにも関わらず、本人は至って冷静だ。
実の家族に捨てられたというのにあまり悲壮感や傷ついた様には見えない。
きっと、それは新しい家族であるエリスと叔父夫婦がいたからだろう。

「優しい家族だったんだな。」

「ええ。叔父様も叔母様もエリスと私を分け隔てなく可愛がってくれて、大切に育ててくれたわ。」

エリスの家に引き取られてからは幸せだったんだろう。
リーの幸せそうな表情を見れば分かる。

「エリスが地下室で私を見つけてくれて、助けてくれたから私は生きることができた。あの時に決めたのよ。エリスが私を助けてくれたように今度は私がエリスを助けるって。エリスを守れるくらいに強くなろうって。だから、余計に許せなかったのよね…。あの女のしたことを。」

低い声で呟くリーの表情は凍るように冷たく、無表情だった。

「知らなかったからといって、許せるものじゃない。
…レティアには感謝してるわ。あの子が正確な場所を知らしてくれたおかげでエリスを救い出すことができたのだから。彼女には返しても返しきれない恩がある。」

リーは振り返ると、ルーファスに向き直ると、真剣な表情を浮かべた。

「ルーファス。リスティーナの事、大事にしてあげてね。ちゃんと守ってあげるのよ。」

リーの言葉にルーファスは頷いた。
リスティーナを守れるだけの力は今の俺にはない。だけど…、リー達が俺を強くするために今こうして鍛えてくれている。それを無駄にはしない。
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