七竈

菱沼あゆ

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始まりの人

しょうこ しょうこ しょうこ しょうこ

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「どうしたの? 矢部さん」

 近くに来ていた三村が小声で訊いてきた。

 幻視の世界からようやく戻ってきた七月は小さく呟く。

「内緒って……私に会いに来てたこと? なんで?」

 その呟きの意味を三村には説明しなかったが、彼は、ひとつ間を置いてから、

「あのさ」
とゆっくりと呼びかけてくる。

「事件の整理より先に、矢部さんの記憶、整理した方がいいと思うよ。
 まあ、結果的には同じことだとは思うけど。

 矢部さんが本当に体験したこと。

 思い込んでいること。
 思い込まされてること」

 思い込まされている? 誰に?
と顔を上げる。

 そこには、こちらを見つめるカヅキの目があった。

 そこから視線を逸らさずに言う。

「どうやって判断したらいいのかしら。
 まず、自分以外の人間に同じ記憶があるものは本物よね」

 まあ、だいたいね、と三村は言う。

「何か証拠がある記憶も本物」

「証拠ね……」
と英嗣が呟く。

 そのとき、いきなり、林葉が膝を折った。

「先生!?」
とみんなが声を上げる。

 林葉は頭を抱えて何か呻いていた。

「……こ……」

「え……?」

「……こ。

 しょうこ しょうこ しょうこ しょうこ

 しょうこ しょうこ しょうこ」

「先生!」

 林葉はただ、その言葉を繰り返す。
 そして、俯いたまま、くぐもった声を絞り出した。

「あれは何処だ」

 近くに行った七月のスカートを掴むような仕草を手探りでする。
 何かにすがろうとするように。

 七月は側に膝をつき、彼の顔を覗き込んだ。

「矢部……

 しょうきゃ」

 そのまま、ふっ、と林葉の姿は消えた。

「えっ、なんで――」

 林葉の姿が奇麗になくなった床を見ていた七月は、顔を上げる。

 カヅキたちの姿が薄くなっていた。

「ナナツキ!
 4:44だ!」
と壁の時計を見ながら、三橋が声を上げる。

「ええっ!?
 じゃあ、まさか、4:44って、帰る方の時間っ?

 っていうか、まだ、そんなに時間経ってなくない!?」

 槻田を振り返ると、
「いや、俺はこんなに長く此処に居たことはないから」
 それが滞在できる限界の時間なのかは知らないと言う。

「どっか行ったら、出られるの!?
 それとも、このままで元の世界に戻るわけ?」

 槻田は呑気に考え出した。
 いや、別に呑気なのではないのだろうが。

 冷静すぎる人間は、時にそのように見えて、周りの者をイライラさせる。

 しかし、カヅキたちの姿が消えかけているところを見ると、このまま彼らの居る空間の方が校舎から離れていく感じのようだった。

 カヅキにも佐竹にも林葉にも訊きたいことはたくさんあるが、もうひとつ、気になっていることがあった。

「七月!」

 いきなり走り出した自分を呼び止めるように、槻田が叫んだ。

 だが、そのまま準備室の扉を開ける。

 扉を開けると、すぐ目の前に、人体模型が立っていた。

「うわっ!」
と身を引く。

 背中や頭を長い支柱に止められたそれは、俯きがちに立っている。

 そのアバラの向こうに、例の紙くずが見えた。

「あの――
 あれ、取らせてください」
と七月は指差す。

「なにやってるんだ!」

 追いかけてきたらしい槻田が後ろから手首を掴んだ。

「あれ」
と短く七月は言い、指差したあとで、人体模型の脛の横をすり抜け、その手に紙くずを掴む。

 かさりとした手応えが、確かにあった。

「なんだ、それ?」
と槻田が訊いてくる。

 既に落ち着いた風の彼の顔を見上げ、
「あっちに戻るんじゃないの?」
と言うと、

「別にお前とはぐれてないんならいいだろう」
と言う。

 何処までも無愛想な顔を見ながら、七月は笑った。

「……本当に貴方を好きかどうかはわからないけど。
 今まで逢った誰より気になるのは確か」

 現実ではないこの空間だからこそ、言えるその台詞を繰り返す。

「――それは好きということとは違うのか」
と槻田は生真面目に訊き返してきた。

「なんだかわからないけど、私の中に不信感があるのよ。
 恋愛ってものに関して」

 そのとき、カタカタカタカタという音がすぐ近くで聞こえた。

 振り向くと、人体模型が踊っていた。

「ほんとに踊ってる!」

「莫迦!
 揺れてるんだ!」
と言う槻田の声に、校舎全体が激しく動いているのだと気づいた。

「きゃっ」
と悲鳴を上げ、しゃがみ込もうとした自分を槻田が抱き止める。

 
 
 
「動きませんねえ」

 溜息をついた男は、ふりこ時計を見上げた。

 何処も壊れていないと言われるのに、どうしても、動き出さないそれは、昇降口近くのホールにあった。

 ガラスの扉を開け、グルグルと指先で、針を廻してみる。

 4:44辺りで、それは止まった。

「油も足らないのかな」

 そう呟いたあとで、また歩き出す。

 誰も居ない廊下を再び、延々と。

 もしかしたら、今日もまた、夜が明けるまで――。




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