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秋 終章 帰還 ~そして、はじまりのひと~
丸められた紙くず
しおりを挟むやれやれ、騒がしい子たちですねえ。
校長は校舎の陰から、槻田を含む彼らを見つめ、目を細めていた。
毎年、いろんな子たちが入ってきては、あっという間に出て行ってしまうが。
卒業してしまえば、どんな子どもも、ただ愛おしく、懐かしい。
自分は本当にこの学園が好きだと思った。
教師というものは、一生学校という空間から出ることがない、狭い世界しか知らない人間だと言われることもあるが。
いやいや、なかなか、どうして――
何故か、急に揉め始めた槻田と蛭子隆彦という刑事を見ながら、笑みを浮かべる。
いろんな生徒たちが巣立っていて、雑多な場所に行き、数多くの話を持って帰る。
読まずして、世界中の物語を聞かせてもらえる場所だと思う。
今は何も握られていない己れの左手を見る。
ぶっきらぼうに、丸められた紙を突き出してきた七月のやさしさを思った。
なんだか後ろで、またあの子、人を殺してるけど――。
そう思ったあとで、ふたたび霊が見えるようになった自分に気づいた。
「……離れてしまったのか」
と夜空を見上げる。
成仏したのだからいいことなのだろうが。
「ほんとうに薄情だな。
生きてても死んでても」
とふっと笑う。
あの世では、この世の時間など一瞬だと聞くのに。
ちょっとくらい私が行くまで待っててくれてもいいのに。
それでも、彼女が自分を守ってくれていたという事実は嬉しかった。
なにも見えなくなった自分は、霊にさえも見放されたと思っていたのに。
「どうして、僕だけ、目の仇にっ!?」
そもそも何をしに来たのか知らないが、槻田に喧嘩を売っている蛭子に笑いながら、校舎に入った。
廊下の向こうに、女生徒が立っている。
まっすぐこちらを指差し、彼女は言う。
「見たわ」
「久しぶりですね」
「私、見たわ――」
そう言いながら、すうっと自分を通り抜けていってしまう。
しかし、知らない霊も増えてきたな、と思ったとき、向こうから、女の霊がやってきた。
階段を下りてきたようだ。
ヒールの高いサンダルを手にし、ボロボロの服をまとった若い女だ。
髪を振り乱したその女の眼は、世を恨むように血走っている。
足を引きずりながら、女は真っ直ぐこちらに向かって来た。
「た……す、けて……」
そう言ってはいるが、今にもこちらを呪ってきそうな形相だった。
女は自分を引きずりこもうとするかのように、手を伸ばしてくる。
だが、肩に触れかけた瞬間、何かに弾かれたように、女は手を引いた。
悔しそうにこちらを睨みつけ、行ってしまう。
その背を見ながら、呟いた。
「……まだ居たんですか?」
『なんにでも同情するの、やめなさいよ』
懐かしい突き放すような口調。
数十年のときを越えて聞こえたその声は、七月の話から連想した幻聴だったのかもしれない。
他の霊よりも声が遠かった。
『そんな風だから、どんどんおかしなものが寄ってくるのよ』
安心して、成仏できないじゃない、と彼女は言う。
確かに、今も、去っていく女の背を見ていると、憐憫の情に駆られ、呼び止めたくて仕方なくなっている。
『あのナツキとかって女を見習いなさいよ。
優しそうな顔して、霊に対しては、突き放すときは、突き放してるわよ。
そうじゃないと、とことんつけ込まれるのよ、この世界。
みんな誰かに縋りたくても仕方ないんだから』
突き放しているのは、霊だけではないような……。
あの槻田がなにやら哀れっぽく、七月を見つめていたのを思い出しながら、
「そういうところは、霊の世界も、人間の世界も同じでしょう?」
と言うと、
『違うわよ!』
と彼女は怒り出す。
『霊と生徒は違うのよ!
なんでもかんでも手を差し伸べりゃいいってもんじゃないのよっ』
「貴女はどうしてそう、いつも怒ってるんですか?」
『貴方が情けないからよ!
だから、私は――
私は、そんな貴方にも自分にも疲れたのよ』
すみません、と苦笑しながら謝る。
「もうひとつ、すみません。
あのとき、拾ってみなくて」
別れるとき、彼女が自分に向かい、投げつけてきた紙くず。
転がり溝に落ちていった。
特に意味があるものとも思わず、意地もあって、拾わなかった。
生真面目な自分が、付き合ってください、と言って、差し出した婚姻届。
交際を申し込むなら、そこまでの覚悟を見せるべきだと思ったのだ。
彼女は笑って、それを受け取り、裂くかと思いきや、団扇のように、折って、顔を扇ぎ始めた。
だから、その次の言葉は信じらなかった。
『いいわよ。
お試しで付き合ってみても』
「私の人生で、一番嬉しかったときですかね~」
感慨深く言うと、
『そのあとは、結局、私に振り回されて大変だったって言うんでしょ』
と言い返してくる。
彼女があの婚姻届を持っていてくれて、サインしてくれていたとは。
それを自分に向かい、丸めて投げつけてきたのは、プライドの高い彼女の、精一杯の誠意だったのに。
「そこで何か察して拾えるほど、私も大人じゃなかったんですよね」
『……若かったわね』
ぽそりと彼女も当時の自分を思い、同意した。
「貴女は今でも、私の中では若いですよ。
あれから逢っていませんから」
そう微笑み、曲げた腕を差し出す。
昔のように、彼女がそこに触れてきたように感じた。
その姿はどうしても見えないが――
秋の小道を腕を組んで歩いていたときのように、ゆっくりと歩き出す。
『だからさあ。
普段、朴念仁なくせに、なんで、時折、そう英国紳士みたいな感じに格好つけなの?』
彼女の文句はまだ、たらたらと続く。
それを嬉しいと思って聞いていたこともあったのに、なんでそれを忘れてしまっていたんだろう。
そんなことを思いながら、月光に照られた廊下を歩いていく。
『ねえ、聞いてる?』
「……聞いてますよ」
小さくそう答え、少し笑った。
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