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妖怪の出る屋敷
許嫁だと名乗れ
しおりを挟む「いや、ぬらりひょんだ」
自分がそう言うと、七月はちょっと困った顔をした。
ぬらりひょん……。
口の中でそう呟いてみているようだ、と高岡は思った。
構わず、その先を口にする。
「ぬらりひょんが出るそうなんだ。
前市長が言っていた」
「で、信じたんですか?」
そう問われ、少しの間のあと、
「……そうだな」
と高岡は言った。
いや、本当にぬらりひょんが出るなどとは思っていない。
だが、冗談など言わない前市長が、今際の際にその言葉を口にしたのは確かだった。
いや、生きているが――。
あのときは、本人ももう死ぬんじゃないかと思っていたと思う。
そんなときに、ふざけたことは言わないと思うのだが。
『高岡……市長公舎に、は、……ぬ……らり、ひょんが……』
『お父様っ』
と莫迦娘が手を握って叫んだものだから、後の言葉が聞こえなかった。
そのあと、元気になった前市長、巳波弥太郎に問うても、
『ぬらりひょん?
死にかけて幻でも見たかな』
と笑うだけだ。
『三途の川の渡し守がぬらりひょんだったから、驚いて逃げ帰ったんだろうよ』
と誤魔化すが、あの切迫した感じは、なにか言い残したいもののそれだった。
ぬらりひょんねえ、とその場違いな言葉に、多少緊張感が解けたらしい七月が呟く。
「矢部七月」
と呼びかけると、はい? と愛らしい黒い目で、こちらを見上げてきた。
「なんで、ナツキだ。
ナナツキじゃないのか?」
と言うと、七月は、
「……市長、意外と言うことが三橋レベルなんですね」
とわからぬことを言い、眉をひそめる。
「で、ぬらりひょんと七竃の間には、なにか関係あるんですか?」
七月は高岡を見上げ、そう問うた。
「あるわけないだろう」
「……じゃ、なんで私を連れてきたんです」
「なんだか知らないが、怪しい現象が起こったら、お前に聞いたらいいと言われたからだ」
「誰にです?
まさか、槻田先生?」
「……あの嫉妬深そうな男が、他の男にお前のところに行けと言うと思うのか」
仲は悪そうだが、よくわかってるな、と苦笑する。
「気になるんだよ、ぬらりひょんが」
そう言いながら、高岡は廊下の壁を叩いて和風建築の方に戻る。
「市長公舎に普段はお住まいなんですか?
夜中に寝てたら、ひょっと、ぬらりひょんが覗いてそうだからとか?」
と言うと、高岡は、阿呆か、と言う。
「七月」
いきなり呼び捨てか。
「お前、明日から此処へ泊まれ」
「はい?」
「いや、一週間くらい泊まり込め」
「気は確かですか?」
一人暮らしの市長のところに、ましてや、市長公舎になど泊まれるか、と思っていると、
「大丈夫だ。
家政婦と俺の婚約者のおばさんを呼んである。
俺は離れで寝るから。
なにかあったら呼べ」
と言ってくる。
「もしや、此処にぬらりひょんが出ないことを証明したいとか?」
「霊を見るお前が泊まっても見ないのなら、本当に出ないんだろう」
だから、私は妖怪は見たことないんですってば、と思ったが、大事なのはそこではないのだろう。
なにも出なかった、ことを証明した、と誰かに言いたいのだろう。
恐らく、なにかを誤魔化し、はぐらかそうとしている前市長を追求するために。
「それで、親友の槻田先生の許嫁だと名乗れと言ったんですね。
槻田先生が私を寄越したことにしたいから」
そんな心の広い男ではないのだが。
「そうだ。
頭の回転の速い女は嫌いじゃないぞ」
と言ってくるので、いや、別に貴方に好かれなくともいいんですが、と思っていた。
「それにしても、よく婚約者のおばさんとやらが協力してくれましたね」
と言うと、
「まあ、会えばわかる」
と笑うので、あ、嫌な予感、と思っていると、
「お前なら上手くやれるだろう」
と言ってくる。
「あの、そこまでして、貴方に協力する理由が……」
そう言い終わる前に、高岡が言った。
「槻田がお前と付き合ってることをバラす」
えーと。
「教師はやめても、警察官僚でもまずいだろうよ、高校生と付き合ってちゃ」
と鼻で笑う高岡に、あと一年で卒業できるんだがな、と思いながら溜息をつく。
「いやあの、そもそも、先生に私と付き合ってるつもりがあるかどうかもわからないんですが」
そう言ってみたのだが、
「あの、女に興味のない男がお前に張り付いてるんだから、付き合ってるつもりなんだろうし、好きなんだろうよ」
と高岡は言う。
なんだろう……。
「……ありがとうございます(?)」
今まで誰も、本人さえも、というか、本人がもっとも、そんな風に断言してはくれることはなかったので、つい、礼を言ってしまった。
ついでに、感謝を込めて訊いてみた。
「あの、教えるのは、ぬらりひょんのことだけでいいですか?」
「……どうしてだ?」
そう警戒したように横目で見ながら高岡が問う。
「そこ此処に居る軍人さんとかの霊は――」
と言いかけたが、
「そういうのは結構だ」
と即行言われてしまった。
「他の部屋を案内しよう。
何処になにが居ても、ぬらりひょん以外教えるな」
と言う高岡の身体をわりと男前の軍人さんが通り抜けていく。
はは、と橋本は、笑いながら付いてきた。
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