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偽装婚約者のキケンな企み
お局様に遭遇しました
しおりを挟むさて、給湯室に行く時間だ、とつぐみが廊下を歩いていると、その給湯室の前に、英里ともう一人、今川正美という先輩秘書が居た。
ともに、専務の秘書のはずだった。
「あら、配属の決まらない秋名さん。
今日はお茶当番?」
と言われる。
はい、と言って給湯室に入ろうとするが、入り口を塞がれた。
「ねえ、あんた、どういうつもり?
たいして仕事も出来ないくせに、チャラチャラして」
うーむ。
どうしたことだ。
ヤンキーとやらの多いゲーセンでもないのに、インネンを吹っかけられている。
初めての体験に、ドラマみたいだ、と思いながら、英里を見下ろしていた。
自分の方が背が高いからだ。
仕事の出来ない後輩に見下ろされるというその体勢もカチンと来る要因のひとつかもしれないと冷静に分析していると、英里は、
「なによ、あんた。
いつも西和田さんと居て、仕事出来ないフリしてあれこれ訊いて」
と言ってくる。
いや、いつも西和田さんと居るのは、決まった所属がないから、秘書室に居る機会が多いからで。
あと、西和田さんは、新人の面倒を見る係だからですよ、と思っていたが、口に出すと、余計キレられそうなので、黙っていた。
そういえば、今、仕事出来ないフリと言ってくれたが。
ということは、この人は、私は仕事が出来る、と思ってくれているということだろうか?
なんだか此処へ来て、初めて認められた気がして、思わず、
「ありがとうございます」
と英里の手を握ってしまう。
すぐに、
「なんなのよっ、あんたはっ」
と振りほどかれてしまったが。
しかし、なるほど、わかりやすい人だ、と思いながら、
「あのー、田宮さん、西和田さんと居たいのなら、なにか間抜けなことをされてみてはどうでしょうか。
専務づきの秘書から降ろされて、ずっと秘書室に居られますよ。
西和田さんは秘書室に居ることも多いですから」
と言って、
「……あんた、何処まで正気?」
と言われてしまう。
「莫迦じゃないの。なんでそこまでしなくちゃいけないのよ。
っていうか、仕事出来ない女になったら、西和田さんに白い目で見られちゃうじゃないのよ」
と言う英里に、
「そうでしょう?」
と畳みかけるようにつぐみは言った。
「ですから、私も今、まさに、西和田さんに白い目で見られ、使えない危険人物として、目を付けられているところです。
田宮さんがご心配されているようなことはなにもありませんよ」
と言うと、私がなに心配してるって言うのよっ、と英里はまたキレる。
「もうっ、なんなの、この子っ。
行くわよ、正美っ」
とようやく給湯室の前を退いてくれた。
連れられて去りながら、正美が振り返り、ごめんね、と片手を上げて無言で謝ってくれた。
あの人もマイペースなご友人に振り回されて大変そうだな、とつぐみは同情気味にそれを見送った。
おお、なんか知らんが、お局その一を撃退している。
ちょうど社長室に入るところだった奏汰は遠目に給湯室の方を見ながら思っていた。
つぐみに言い負かされたらしい英里が怒っているんだか、首を傾げているんだかわからない顔で専務室に入って言った。
恐らく、喧嘩を吹っかけてみたが、なんだかわからないうちに煙に巻かれたのだろう。
西和田が、あれはちょっと只者ではない、とつぐみを評して言っていた。
『一見、おとなしげなお嬢様風で、扱いやすそうなんですけど、とんでもないですよ』
と。
その一見、おとなしげなお嬢様風のつぐみは、特に自分に嫌がらせしてきた相手を追い払ってやったという風にもなく――
もしや、気づいていないのだろうか。
普段通りの顔で、とととっと給湯室に入っていった。
普通に歩いているだけなのだが、なんとなく、動きがコミカルでおかしい。
しかし、まあ、なかなか所属も決まらず、持て余しているようだが、と思いながら、ちょっと笑ったとき、スマホが鳴った。
着信を見ると、白河の妻からだった。
つぐみがデスクで仕事をしていると、沈痛な顔をした西和田がやってきた。
ちょうど作業の終わった書類を揃え、
「あ、西和田さん」
と言いながら、それを差し出そうとすると、
「デスクに伏せて置いておいてくれ」
と西和田は素っ気なく言ったあとで、ちょっと来い、と手招きしてくる。
社長室の前に連れていかれ、小声で、
「ともかく、粗相するなよ」
と言われた。
中に入った西和田は、社長の居る奥の院をノックをする。
「社長、秋名です」
と言うと、入れ、と言う。
奏汰はデスクでまたスマホを片手に、渋い顔をしていた。
一瞬、常にスマホを握っている高校生の弟と重ね合わせてしまい、
スマホ依存症か?
と思ったのだが、そうではないだろう。
メールを見ているようだった。
西和田が自分を連れて入ると、こちらを見、
「ありがとう、西和田。
もう仕事に戻っていいぞ」
と言う。
はい、と西和田は一礼し、下がる前に、あの切れ長の目で、いいから、ご無礼な真似はするなよっ、と訴えてきた。
はっ、はいっ、と緊張しながらも思ったとき、奏汰はもう目の前まで来ていた。
うわっ、と声を上げそうになる。
この間も思ったけど、男の人だけど、なんかいい匂いがするな、この人、と思う。
西和田もそうだが、人に対して良い印象を与える微かな良い香りがする。
常務なんかは、やり過ぎて香水臭いが。
「……秋名」
あ、名前、覚えてくださったんですね、と思っていると、
「秋名つぐみ。
母一人、父一人、兄一人、弟一人。名門私立女子大卒。
育ち良し、容姿良し、頭も良し。
立ち居振る舞いも悪くはないが、注意散漫につき、粗相が多い」
うっ。
名前以外の余計な情報が――っ。
情報漏洩ですっ、と思ったが、社長だった。
「秋名つぐみ」
は、はい、と見上げると、奏汰はものすごく困った顔をして言ってきた。
「俺と結婚しろ」
つぐみは奏汰を見上げて一瞬黙る。
相手は社長なので、言葉を選ばなければと思ったのだが、つい、本心がもれていた。
「お断りです」
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