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第一章 幽霊花魁
幽霊退治ですかい?
しおりを挟む咲夜の部屋を出てから、肩が軽い。
那津は、ぐるりと腕を回してみた。
自分の後ろに憑いているという階段下の幽霊花魁をあの場所に置いてきてしまったのだろうか。
彼女の霊は真後ろに居るせいか、見えないので確かめようもない。
咲夜は大丈夫だろうか、と振り返る。
上へと続く、階段の暗がりが見えた。
咲夜が放った言葉の数々について考えていたとき、目の前に男が現れた。
酒宴から抜け出してきたらしい男は、町人風の格好をしていたが、その顔には覚えがあった。
小平だ。
罰悪そうに足を止めていたが、すぐにいつものように、居丈高に物を言い始める。
「これはこれは、エセ坊主の那津様。
今日も吉原ですか。
医者のナリまでして、ご苦労なこったな」
小平は鼻で笑ってみせるが。
自分も町人に変装しているせいか、いつもほどの迫力はなかった。
そんな小平から酒の匂いがしないのに気づき、訊いてみる。
「呑んでないのか」
「……接待だからな」
お役人様も吉原で接待か。
変装しているところを見ると、あまりまともな接待ではなさそうだ、と那津は思う。
そんな那津の勘繰りに気づいたように、小平は溜息をつき、珍しく愚痴をもらしてくる。
「いろいろ大変なんだよ、俺たちも」
そのとき、
「便所、まだですかー」
と可愛らしい顔の男が障子を開け、顔を出してきた。
確か、弥吉とかいう岡っ引きだ。
人懐っこい顔をしてはいるが、岡っ引きということは犯罪者なのだろう。
岡っ引きは荒っぽいこともしなければならないし、裏の世界に通じていなければならないので、元犯罪者が適任のようだった。
「ああ、こんばんはー」
弥吉は那津に気づいて笑顔になる。
いつか、町で評判の美人画を真似たものを描いてやったので、小平とは違い、好意的だった。
「今日も幽霊退治ですか?」
「この男、他に仕事はないだろう」
と小平は吐き捨てるように言うが、弥吉は、
「那津さん、絵も描かれるじゃないですかー。
ああでも、今は『幽霊花魁』の退治を依頼されてるんでしたっけね?」
と興味津々だ。
生きてる方も死んでる方も、どちらの幽霊花魁も、素直に退治されるようなタマではないみたいだけどな……、
と思う那津に、小平が、
「もう見たのか? 幽霊花魁」
と妙に緊迫した様子で訊いてきた。
「さっき見たな」
と言うと、小平は一瞬、黙り、
「……幽霊花魁の絵、描くのか?」
お前、頼まれていたじゃないか、いつもの店で、と言ってくる。
ああ、そういえば、と思ったが、咲夜の顔を描くわけにもいかないし。
背後の霊の方は顔も見えない。
「描こうにも、はっきりとは見えなかったんでな」
そう適当に誤魔化すと、小平は複雑そうな顔で、そうか、と言う。
「旦那も見たかったんですかい? 幽霊花魁」
笑う弥吉に小平が噛み付く。
「やかましいっ。
お前は戻ってろっ」
懲りない弥吉は、はーい、と笑いながら、酒宴の席へと戻っていった。
「おい」
腕組みした小平が低い声で呼びかけてくる。
「もしも、幽霊花魁を見たら、絵に描いてみてくれ」
あのときは興味がない風を装っていたのに、どうしたことか、小平はそんなことを言ってきた。
「まあいいが、どうした?」
いや……ちょっとな、と小平は歯切れ悪く言う。
「此処は吉原の中でも、いろいろと後ろ暗い話が多いところだからな」
そもそも、吉原に後ろ暗くない妓楼などあるのだろうかな、と思いながら那津は聞いていた。
何があるのか知らないが。
此処で起こったことには、彼らでさえ、迂闊に首を突っ込めないようだからな、と思う。
管轄が違うからというだけではなく。
妓楼の主が、笑顔で、いいえ、そんなことはありませんでした、と言えば、なにが起ころうとも、此処では、それまでなのだ。
彼らの後ろには、幕府のお偉いさん方も馴染み客として付いているのだろうし。
そもそも、吉原では、日々、バタバタと人が死んでいく。
病気で死に、逃亡を企てて死に。
いちいち、人の死や事件を気にしていられそうにもない。
小平は更に不機嫌そうに、窓の外を見ていた。
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