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第二章 覗き女

長太郎

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 桧山がぼんやり柱に背を預けていると、かたりと音がした。

 扉が開き、長太郎が入ってくる。

 こちらを見て、少しだけ頭を下げた。

「咲夜は居ないの?」

 居ないとわかっていて訊いてみた。

 咲夜は師匠を此処に呼べないので、時折、習い事に出ているようなのだが。

 そのときは、彼がついていっているようなので、今は勝手に抜け出しているのだろう。

「困った子ね」

 遊女の逃亡を防ぐため、女が吉原の大門を抜けるためには、通行証が必要だが。

 その女手形を、あの道具屋が昔のツテを使って手に入れ、咲夜に渡しているのが厄介だった。

 咲夜は此処に居て居ないもの。

 なにも知らない門番にとがめられることもない。

 まあ、目立つあの容貌だから、あまり顔をさらさないようにはしていると思うが。

「もしかして、あの怪しいお坊様のところかしら?
 相当気に入っているようだから」

 わざとそう言ってみたが、長太郎は答えない。

 だが、その目は、彼女がいつもぼんやりと寄りかかっている脇息の方を見ていた。

「じゃあ、邪魔したわね。
 そろそろ下の連中も帰るだろうから」

 単に身を隠しに来ていたのだと暗に言い、その場を去ろうとする。

 もう一度、振り返ってみたが、長太郎はやはり、こちらを見てはいなかった。




 どんな未来が誰に見えても。

 私には私の未来がもう見えない――。




 長太郎は桧山の消えたからくり扉を見ていたが。

 やがて、腰を屈め、落ちていたかんざしを拾う。

 溜息をついて、それを箱にしまおうとした。

 脇息の側からいい匂いがする。

 咲夜が好む薫物たきものの香りが染みついている。

 膝をつき、その脇息に顔を寄せ、匂いを嗅いだ。




「おっ。
 エセ与力じゃねえか」

 那津が咲夜や隆次と道具屋の前で話していたら、見るからに二日酔いな小平がやって来た。

 エセ坊主から進化したな、と那津は思う。

「旦那、酒臭いですよ」
と隆次が顔をしかめたとき、小平は、

「俺は一滴も呑んじゃいねえよ」
と言いかけ、ぎくりとした顔をした。

 黙り込んだ小平のその目は咲夜を見ているようだった――。




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