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終わり
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埃を払ってソファーに座る。注ぎ分けたワインのグラスを静かに鳴らした。
「乾杯」
「……乾杯」
一体何に対して乾杯というのか。私にはよく分からない。強いて言うなら、再会できたことに、だろうか。
「どうだった? この十年は」
「んー? そうね、」ワインをひと口飲んで、続ける。「とにかく忙しかったかな。市民の混乱か尋常じゃなかったからね」
「あぁ、そっか。公務員やってたんだっけ?」
「そうそう。 ……でも不思議よね」
「ん?」彼はぐいっとワインを飲み干す。「何が?」
「世界は終わるっていうのに、社会はちゃんとまわってたじゃん。流石に今日は完全にストップしているだろうけど。あ、でもラジオは流れてたな」
「あれはアレだよ。あれはアナウンサーに独身者が多いからだ」
突拍子もないことを言うものだから、飲みかけたワインを吹き出すところだった。「何それ」
「歳をそこそことっている人ほど、ほら、なんとかっていうので集団自殺してっただろ? だから親がいないのが多いんだよ。んで、独身ともなれば、やることないし。結局一方的に喋りまくるだけになるってこと」
「……はい?」
本気の顔して言うから、こちらも本気にしかけるところだった。そんなわけがない。でも、不思議と笑いを誘う。
「そんなだったら放送局に人が押寄せるじゃんよ。大変、大変。仕事が増えるわ」
ぶはっ、とどちらが先とも言えず、笑いだす。腹を抱えて笑うというのは、きっと、こういうことなんどろうなと考えながら、ただひたすら笑った。
「そっちはどうだったの? 楽しいことあった?」
「楽しいことねぇ……」注ぎなおしたワインを飲む。「強いて言うなら、今日のこと考えることは楽しかったかな」
「今日のこと?」
「そ。会ったら何話そうとか、どんなことしようとか。考えてる時だけは、疲れを忘れられたし、楽しかったよ。なにより俺にとっては一大イベントだったからね」
「一大イベント?」こんな時でさえも、能天気というか、なんというか。世界の終末をイベント呼ばわりできるのは彼くらいだろう。
かくいう彼は、グラスを置いて持ってきたキャリーバッグの中から小さな紙袋を取り出した。皺だらけでせっかくのライトブルーの色も褪せてしまっている。
「これを、どうしても渡したくて」言うと、その紙袋の中からさらに小さな箱を取り出した。
この形は———もしかして。
「受け取ってくれる?」パカりと開けた中には、綺麗に輝くシルバーリングがふたつ並んで鎮座していた。「俺の伴侶になってくれ」
「……え?」一瞬キョトンとしてしまった。“ハンリョ”が頭の中でめまぐるしく変換される。あぁ、“伴侶”。
“結婚してくれ”でもなく、“妻になってくれ”でもなく、“伴侶になってくれ”、か。いかにも彼らしい。
断るわけがないのに、心配そうに私の表情をうかがう彼が殊更愛おしく思えて、微笑む。「うん。もちろん。」
よかった、と彼も微笑む。「手、かして」
素直に左手を差し出す。彼はそれに片手を添えて薬指にリングをはめてくれた。何の飾り気もなく、シルバー一色に輝くそれは彼の思いで満ちていて、私には十分すぎた。
「今だったら、何十カラットのダイヤをはめ込んだものでもタダ同然で買えるだろう? これはね、十年前に買ったものなんだ。だからちょっと古いけど、俺はこっちの方がどんなダイヤよりも価値があると思うんだ。……うん、よく似合ってるよ」
「ありがとう。じゃ、あなたのも」
ん、と渡されたリングも彼の薬指にはめる。「なんか、結婚式みたいだね」
「そう……だな。そこまでは読んでなかったけど」
二人して照れ笑いをした直後、辺りは大きく揺れ始めた。「きゃあ!」
「みゆっ」体勢を崩した私を受けとめ、彼は「大丈夫だから」と繰り返し呟き、ぎゅっと抱きしめてくれた。「座ろうか」
何も言わず、その言葉に従う。揺れは収まる気配がなかった。どころか、だんだん大きく激しくなっていく。
「もうすぐ、かな」彼が静かに言う。
「そう……だね。多分」
何が、は言わない。だって悲しすぎるから。
一人よりも二人なら、とは思っていたけれど、やはり目の前にすると身が縮みあがるような心地がする。少しでも紛らわせたらと彼に話しかける。「ねぇ」
「……うん?」
「好きだよ。約束、覚えていてくれてありがとう。結婚、してくれてありがとう」
「……みゆ」大きくた溜め息をつく。「それは俺のセリフだ。バカ」
私を抱きしめる身体の体温がぐっと上がった気がした。翻弄されてばかりだったから、少しでも照れてくれたことが嬉しさに、ふふ、と笑って、私もぎゅっと抱きしめた。
途端、ひときわ強く大きく揺れた。
森の木が倒れる音、館の中の物が壊れる音。遠かったそれらの音が、地面の唸る音と共に私達を襲う。
互いの耳の傍らで、名前を呼びあった。
聞こえるように、届くように。ここにいるから、大丈夫だからと相手を落ち着かせるために。
「ねぇ」彼に、正真正銘、最後のお願いをする。「私を、愛してくれる……?」
彼が身体を離したその寂しさを感じる暇もなく、また突然、私の唇は奪われる。最後の最後まで、彼は優しかった。
おい。額をぴと、とつき合わせ視線を離さず彼は言う。
なぁに。微笑んで、私は応えた。
深呼吸をひとつすれば彼は私と同じように笑って、あまいあまい声で口を開いた。
「俺は―――」
窓の外の光は音とともにいっそう強くなって私達を包む。
その世界の終末は美しかった。
Fine
「乾杯」
「……乾杯」
一体何に対して乾杯というのか。私にはよく分からない。強いて言うなら、再会できたことに、だろうか。
「どうだった? この十年は」
「んー? そうね、」ワインをひと口飲んで、続ける。「とにかく忙しかったかな。市民の混乱か尋常じゃなかったからね」
「あぁ、そっか。公務員やってたんだっけ?」
「そうそう。 ……でも不思議よね」
「ん?」彼はぐいっとワインを飲み干す。「何が?」
「世界は終わるっていうのに、社会はちゃんとまわってたじゃん。流石に今日は完全にストップしているだろうけど。あ、でもラジオは流れてたな」
「あれはアレだよ。あれはアナウンサーに独身者が多いからだ」
突拍子もないことを言うものだから、飲みかけたワインを吹き出すところだった。「何それ」
「歳をそこそことっている人ほど、ほら、なんとかっていうので集団自殺してっただろ? だから親がいないのが多いんだよ。んで、独身ともなれば、やることないし。結局一方的に喋りまくるだけになるってこと」
「……はい?」
本気の顔して言うから、こちらも本気にしかけるところだった。そんなわけがない。でも、不思議と笑いを誘う。
「そんなだったら放送局に人が押寄せるじゃんよ。大変、大変。仕事が増えるわ」
ぶはっ、とどちらが先とも言えず、笑いだす。腹を抱えて笑うというのは、きっと、こういうことなんどろうなと考えながら、ただひたすら笑った。
「そっちはどうだったの? 楽しいことあった?」
「楽しいことねぇ……」注ぎなおしたワインを飲む。「強いて言うなら、今日のこと考えることは楽しかったかな」
「今日のこと?」
「そ。会ったら何話そうとか、どんなことしようとか。考えてる時だけは、疲れを忘れられたし、楽しかったよ。なにより俺にとっては一大イベントだったからね」
「一大イベント?」こんな時でさえも、能天気というか、なんというか。世界の終末をイベント呼ばわりできるのは彼くらいだろう。
かくいう彼は、グラスを置いて持ってきたキャリーバッグの中から小さな紙袋を取り出した。皺だらけでせっかくのライトブルーの色も褪せてしまっている。
「これを、どうしても渡したくて」言うと、その紙袋の中からさらに小さな箱を取り出した。
この形は———もしかして。
「受け取ってくれる?」パカりと開けた中には、綺麗に輝くシルバーリングがふたつ並んで鎮座していた。「俺の伴侶になってくれ」
「……え?」一瞬キョトンとしてしまった。“ハンリョ”が頭の中でめまぐるしく変換される。あぁ、“伴侶”。
“結婚してくれ”でもなく、“妻になってくれ”でもなく、“伴侶になってくれ”、か。いかにも彼らしい。
断るわけがないのに、心配そうに私の表情をうかがう彼が殊更愛おしく思えて、微笑む。「うん。もちろん。」
よかった、と彼も微笑む。「手、かして」
素直に左手を差し出す。彼はそれに片手を添えて薬指にリングをはめてくれた。何の飾り気もなく、シルバー一色に輝くそれは彼の思いで満ちていて、私には十分すぎた。
「今だったら、何十カラットのダイヤをはめ込んだものでもタダ同然で買えるだろう? これはね、十年前に買ったものなんだ。だからちょっと古いけど、俺はこっちの方がどんなダイヤよりも価値があると思うんだ。……うん、よく似合ってるよ」
「ありがとう。じゃ、あなたのも」
ん、と渡されたリングも彼の薬指にはめる。「なんか、結婚式みたいだね」
「そう……だな。そこまでは読んでなかったけど」
二人して照れ笑いをした直後、辺りは大きく揺れ始めた。「きゃあ!」
「みゆっ」体勢を崩した私を受けとめ、彼は「大丈夫だから」と繰り返し呟き、ぎゅっと抱きしめてくれた。「座ろうか」
何も言わず、その言葉に従う。揺れは収まる気配がなかった。どころか、だんだん大きく激しくなっていく。
「もうすぐ、かな」彼が静かに言う。
「そう……だね。多分」
何が、は言わない。だって悲しすぎるから。
一人よりも二人なら、とは思っていたけれど、やはり目の前にすると身が縮みあがるような心地がする。少しでも紛らわせたらと彼に話しかける。「ねぇ」
「……うん?」
「好きだよ。約束、覚えていてくれてありがとう。結婚、してくれてありがとう」
「……みゆ」大きくた溜め息をつく。「それは俺のセリフだ。バカ」
私を抱きしめる身体の体温がぐっと上がった気がした。翻弄されてばかりだったから、少しでも照れてくれたことが嬉しさに、ふふ、と笑って、私もぎゅっと抱きしめた。
途端、ひときわ強く大きく揺れた。
森の木が倒れる音、館の中の物が壊れる音。遠かったそれらの音が、地面の唸る音と共に私達を襲う。
互いの耳の傍らで、名前を呼びあった。
聞こえるように、届くように。ここにいるから、大丈夫だからと相手を落ち着かせるために。
「ねぇ」彼に、正真正銘、最後のお願いをする。「私を、愛してくれる……?」
彼が身体を離したその寂しさを感じる暇もなく、また突然、私の唇は奪われる。最後の最後まで、彼は優しかった。
おい。額をぴと、とつき合わせ視線を離さず彼は言う。
なぁに。微笑んで、私は応えた。
深呼吸をひとつすれば彼は私と同じように笑って、あまいあまい声で口を開いた。
「俺は―――」
窓の外の光は音とともにいっそう強くなって私達を包む。
その世界の終末は美しかった。
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