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西條冬木
[3] 騒ぎのあと
しおりを挟む騒ぎが終わると店内にいた女性たちの多くからお礼とねぎらいの言葉をかけてもらった。中には握手やハグをしてこようとする人もいて戸惑いを感じずにはいられなかった。それらをやんわりとだけど断固拒否しながら、彼女たちのたいどはきっとそれだけ怖かったせいだろうと捉えることにした。
その後、俺たちは事務所に通されて出された。どうぞと勧められた白いスツール、小さな丸テーブルに置かれたお茶の向こうで、この店の店長が頭を下げる。
「本当に助かりました。おかげさまで大ごとにならずにすみました」
「無事って……商品、ずいぶん割れちゃいましたけど」
「とんでもない、火事にならなかったんですから商品くらい……香水にはアルコールが入っていますので、燃え広がったらどうなっていたことか」
そう言うと、五十代だと思しき女性店長は椅子に座ったままぶるりとしてみせた。
「うわ、危なかったんだなー……俺ら」
と、小林が青ざめた。
お礼という名の手土産をもらって店の裏口から出たところで立ち止まった小林が尻ポケットからスマホを取り出した。画面をしばらく見ていた小林が「嘘だろォ」と声を上げる。うわーん、と抱きついてくるのでとりあえずよけた。
「まさかのメール一本でフられたわー……コレ、命張ってゲットしたのにさー」
情けない顔で小林が手にした紙袋をかかげる。
「……クリスマス直前にフラれるとか、お前どういうつきあいしてたんだよ」
「えー……、カノジョとは付き合い始めて一ヶ月で、まだ三回しかデートしてないんだけどさ……負けないぞ、俺。クリスマスにはまだ一週間ある」
「そんな付け焼き刃でつきあうなよ」
「ばか、寂しいんだって。イブだぞ。学生時代最後だぞぅ」
「最後だからおとなしくしてろって言ってんだ」
「わかってないな、冬木くん。最後だから楽しむことにしがみつきたいのよ。俺、四月から学校の先生だぞ。遊べねーって」
そう、小林は経済学部のくせに何故か教免を取り、この春から人を教える立場になるのだった。こんな女好きが先生になって大丈夫だろうかと思わないでもないが、実は真面目な奴なので(でなければ学部の勉強以外に教免とろうなんて余計疲れることはしない)なんとかなるだろう。
まぁとにかくそんなふうにだべりながら歩きだそうとすると、ふとビルの陰に男女が立っているのが見えた。あれはさっきの犯人に対応する羽目になった店員と……男の方はその上司だろうか。
その男性を上司と思ったのはその口調からだった。「まったく君は……」「新規の事業なんだからもっとしっかりやってくれ……」「お客様をイタズラに刺激したんじゃないのか……」等々。叱られている方の彼女は青ざめた顔色でしゅんと項垂れている。
つい聞き耳を立てていると小林が「なんだよあれ」とつぶやいた。
「キレた客を最初に止めたのはあの人なのに、怒られるとか……社会人辛すぎね?」
小林の憤慨に俺は答えなかった。気づけば勝手に足が動いていた。
「あの、ちょっといいですか」
俺は男性の背後から声をかけた。さっきまで体の陰になっていて気づかなかったのだが、彼は右手に杖をついていた。見たところ三十代の彼には似つかわしくない。足が悪いのかもしれない。
こちらを向いた男性は俺を見て、(なんだこの若者は)と言うふうに眉をひそめた。
「し、新堂部長……そちらは私を助けてくださった方々です」
ビルの影に押し込められるように立っていた店員の女性が細い声で俺たちを紹介してくれる。新堂? 相手の首に下がる社員証を確認していると、相手の方から、
「これは失礼しました。うちの光森が大変お世話になりました」
と言ってきた。深々と腰から折り曲げたお辞儀に、謝意が形ばかりでないことを知る。言い訳も聞かずに部下を叱りつける酷い上司と、俺は腹を立てたのだが違ったようだ。
「それはいいんです。俺が声をかけたのは、その人を叱らないで欲しくてです」
と言うと、奥にいた店員……光森さんが目を見張る。新堂部長は顎を引いて俺を見る。それに剣呑な何かを感じたのだろうか、光森さんがサッと俺と新堂さんの間に細い体を滑り込ませてきた。
「あのっ、誤解です。叱られていたというより部長は心配してくれていたので」
「そうなんですか?」
新堂さんを見ながら問うと、
「そうなんです」
と、光森さんが答える。しばらく見つめ合っていると(要はガンを飛ばし合っていると)新堂さんが杖の位置を動かして体ごとこちらを向いた。
「失礼ですが、お名前を聞いても?」
「俺は西條といいます。こっちは友人小林です」
俺が名乗った時、新堂さんの目がキラリと光った気がした。気のせいかもしれない。
「〇〇化粧品の新堂です。こちらは部下の光森です」
一通り自己紹介が終わると、新堂さんが言った。
「もしお時間があれば、どうでしょう。お茶でもご馳走させてください」
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